デジタル大辞泉
「水鏡」の意味・読み・例文・類語
すい‐きょう〔‐キヤウ〕【水鏡】
1 水面に物の形が映ること。みずかがみ。
2 水がありのままに物の姿を映すように、物事をよく観察してその真情を見抜き、人の模範となること。また、その人。
みず‐かがみ〔みづ‐〕【水鏡】
水面に姿が映っていること。水面に顔や姿を映して見ること。
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すい‐きょう‥キャウ【水鏡】
- 〘 名詞 〙
- ① 水面に物の影が映って見えること。みずかがみ。
- [初出の実例]「公潔等二氷壺一、明逾二水鏡一」(出典:懐風藻(751)在常陸贈倭判官留在京〈藤原宇合〉)
- [その他の文献]〔張九齢‐和吏部李侍郎見示秋夜望月詩〕
- ② ( 水がありのままに物の姿をうつすところから ) 物事をよく観察し、その真状を見抜き、人の模範となること。また、その人。〔世説新語‐賞誉〕
- ③ 月の異称。
- [初出の実例]「団々水鏡空而仮、灼々空花亦不レ真」(出典:性霊集‐一〇(1079)故贈僧正勤操大徳影讚)
- [その他の文献]〔謝荘‐月賦〕
みず‐かがみみづ‥【水鏡】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 澄んでいる水面に物の影がうつって見えること。また、水面に顔や姿などをうつして見ること。また、その水面。
- [初出の実例]「天の河影を宿せる水かかみたなばたつめの逢瀬しらせよ」(出典:恵慶集(985‐987頃))
- [ 2 ] 鎌倉初期の歴史物語。三巻。作者は中山忠親説、源雅頼説などがある。成立年代未詳。神武天皇から仁明天皇までの五五代(弘文天皇を除き、神功皇后・飯豊天皇を含む)、約一五〇〇年間の事跡を編年体に記したもので、鏡物では最も古い時代を扱っている。
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水鏡 (みずかがみ)
平安時代の歴史物語。3巻。著者は中山忠親(《本朝書籍目録》)。《大鏡》に語られる以前の時代,すなわち神武天皇以降仁明天皇までの時代を扱う。《大鏡》や,《大鏡》の後の時代を書き継いだ《今鏡》と異なる点は,天皇の事跡を述べる本紀だけから成り,皇族・臣下を対象とする列伝はない。叙述は,34~35歳の修行者が大和の葛城(かつらぎ)山で神代以来の見聞をもつ仙人から聞いた話を,長谷寺において参詣の老尼に語り,それを老尼が書きとめたという設定で始まる。内容は政治史,仏教史を主とするが,本文には院政期の史書《扶桑略記》の漢文の訓(よ)み下しと思われる個所が散見する。
執筆者:今西 祐一郎
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水鏡
みずかがみ
鎌倉初期の歴史物語。3巻。作者は中山忠親(ただちか)と考えられている。成立年代は文治(ぶんじ)・建久(けんきゅう)(1185~99)のころと思われる。『大鏡』に先行する歴史物語で、神武(じんむ)天皇より仁明(にんみょう)天皇までの1510年間を編年体で記す。平安末期に書かれた『扶桑略記(ふそうりゃっき)』等を材料にしている。形式は、老尼が大和(やまと)国高市郡の竜蓋寺(りゅうがいじ)(岡寺(おかでら))に詣(もう)でた際1人の修行者に出会い、ある夜つれづれの話を聞くが、そのときに修行者が葛城(かつらぎ)で会った仙人から聞いた話を老尼がまた聞きして記録したという形をとる。作者は「いにしへをほめ今をそしるべきにあらず」「目の前のことを昔に似ずとは世を知らぬ人の申すことなり」といっているように、「いにしへ」のなかに「このころあひ似たる」歴史の相をみようとしたところに特色がある。また作者の仏教的世界観を当時の歴史と重ねてみようとしている。『大鏡』『今鏡』『増鏡』に比べると文学作品として価値は低い。
[祐野隆三]
『『新訂増補国史大系21 上 水鏡・大鏡』(1965・吉川弘文館)』
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水鏡【みずかがみ】
平安後期の歴史物語。3巻。中山忠親著とされる(《本朝書籍目録》)。12世紀末に成立。《大鏡》の形式を踏襲。神武天皇から仁明天皇まで,《大鏡》のあつかう以前の時代を記す。ただし,《大鏡》やその後の時代を記す《今鏡》と異なって,天皇の事跡を述べる本紀のみで,皇族・臣下の列伝はない。
→関連項目増鏡|歴史物語
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水鏡
みずかがみ
平安時代後期の歴史物語。著者は中山忠親 (ただちか) といわれるが未詳。3巻。嘉応2 (1170) ~建久6 (95) 年の間に成立。鏡物,四鏡の一つ。神武天皇から仁明天皇までの,おいたち,事績,おもな事件を記し,批評を加える。中年の修行者が長谷寺に詣でたおり,徹夜の勤行の果てたのち,74歳の老女に語って聞かせるという体裁をとり,『大鏡』が文徳天皇以降を記したのを補う意味で書かれたもの。内容はすべて『扶桑略記』に拠ったものと推定され,仏教界の消息に詳しいが,史書としては荒唐無稽な記事を含む。
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水鏡
みずかがみ
神武天皇から仁明天皇までの歴史を綴った歴史物語。四鏡の一つ。作者には,中山忠親・源雅頼をあてる説がある。鎌倉初期の成立か。「大鏡」にならった体裁をとり,厄年に大和の竜蓋寺に参り,長谷寺に参籠する老尼が,出会った若い修行者から葛城山中の仙人が語ったことを聞いたとしている。内容はほとんど「扶桑略記」からの抜粋で,信頼できない記事や誤りが多く,四鏡のなかでも水準は低い。伝本には,高田専修寺本系(流布本)と尊経閣本(異本)の2系列がある。古写本は多く,鎌倉時代の写本には専修寺本(鎌倉中期,重文)・真福寺本(巻下のみ,異本)がある。「新訂増補国史大系」「岩波文庫」所収。
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水鏡
みずかがみ
鎌倉初期の歴史物語。四鏡の第3番目
12世紀後半の成立。3巻。中山忠親の著といわれる。『大鏡』記載以前の神武〜仁明 (にんみよう) 天皇まで54代の皇代記風の編年体史書。『扶桑略記 (ふそうりやつき) 』から素材を得,仏教的歴史観が強い。
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普及版 字通
「水鏡」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の水鏡の言及
【鏡】より
…金属,すなわち青銅の鏡はエジプトに早く発明されて,だんだん世界中にひろがり,中国でも晩周(前5~前3世紀)ころから流行した。それ以前は水をいれた鑑(かん)であって,水鏡であった。皿の上に目がのぞきこんだ象形は鑑の原義を端的に示すものである。…
※「水鏡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」