永楽通宝(読み)えいらくつうほう

精選版 日本国語大辞典 「永楽通宝」の意味・読み・例文・類語

えいらく‐つうほう【永楽通宝】

〘名〙 中国明朝永楽六年(一四〇八)から二二年(一四二四)にかけて鋳造された円形方孔の銅銭。鋳造当初から日本へも大量に移入され、江戸初期まで長く標準的通貨の一つとして流通した。また、室町末期から模鋳も盛んに行なわれ、他の銭貨の四倍通用が規定されたこともあったが、粗悪な模鋳銭が出まわるにいたり、幕府の通貨統一政策の一環として、慶長一三年(一六〇八)その通用が禁止された。銅銭の外に金銭銀銭も作られているが、これは豊臣氏が天正年間(一五七三‐九二)一種の功労賞の意味で特製したものといわれている。永楽通宝銭。永楽銭永精銭永銭。永。

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デジタル大辞泉 「永楽通宝」の意味・読み・例文・類語

えいらく‐つうほう【永楽通宝】

永楽銭」に同じ。

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百科事典マイペディア 「永楽通宝」の意味・わかりやすい解説

永楽通宝【えいらくつうほう】

一般には永楽銭と呼ばれ,永,永銭とも略称。中国,明(みん)の永楽年間(1403年―1424年)に鋳造された銅一文銭であるが,室町時代より日本に多量に移入され,江戸初期まで一般通貨として広く流通。他の中国渡来銭や日本私鋳の鐚(びた)銭よりも価値が高く,標準貨とされた。→明銭永高撰銭
→関連項目悪銭寛永通宝

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「永楽通宝」の解説

永楽通宝
えいらくつうほう

永・永楽・永楽銭とも。中国明の銅銭。成祖永楽帝治下の1408年初鋳。日明貿易によって大量に日本に流入し,国内でも精銭として通用した。15世紀末期以降,他の明銭が悪銭化するなかで価値は一時不安定になったが,最終的には精銭に準ずる地位を保った。とくに東国では,16世紀半ば以降,旧来の精銭の2倍の通用価値を付与され,田畠からの収益量を永楽銭換算の金額によって表示する永高制が広がるなど,基準通貨として位置づけられた。江戸幕府もはじめこれを踏襲したが,1608年(慶長13)使用を禁止し,銭貨を鐚銭(びたせん)と同価値である寛永通宝に統一した。以後,永は金貨計算の単位として用いられるのみとなった。

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世界大百科事典 第2版 「永楽通宝」の意味・わかりやすい解説

えいらくつうほう【永楽通宝 Yŏng lè tōng bǎo】

中国,明朝第3代の皇帝永楽帝の時代に作られた銅銭の名称。方孔をはさんで上下に永楽,右左に通宝,の字が刻まれている。永楽帝の父,洪武帝の鋳た洪武通宝には1,2,3,5,10文の5種類があり,建文帝も5種の建文通宝を作ったらしいが,永楽通宝は1文相当の銅銭1種のみである。永楽通宝の鋳造が開始された時期については諸文献の記載が異なるが,通説では1408年(永楽6),北京でまず鋳造され,11年,浙江,江西,広東,福建の4布政司の管轄下で大々的に鋳造され始めたとされている。

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世界大百科事典内の永楽通宝の言及

【寛永通宝】より

…寛永通宝には4文通用・1文通用の2種類があり,素材により銅銭・鉄銭・精鉄銭・シンチュウ(真鍮)銭があり,日常の小口取引に使用される庶民的な通貨であった。幕藩体制の確立期である寛文期(1661‐73)になると,寛永通宝の大量鋳造によって,貨幣流通の統一が銅銭流通の全国化により実現されることになり,中世末期から近世初頭にかけての課題であった永楽通宝の廃棄が実現した。これは慶長通宝・元和通宝の発行によっても実現できなかった課題であった。…

【明銭】より

…明ははじめ銅銭輸出は禁止したが,遣明船の進貢物に対し皇帝頒賜物とし,また貨物買上げの給価として制銭を与えた。足利義満の通好は成祖の世で,遣明船も頻繁で永楽通宝の輸入が多かった。なお大中,洪武各通宝は小平,折二,当三,当五,当十の五等銭が鋳造されたが,輸入銭は1文の小平銭である。…

※「永楽通宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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