「安永風土記」によれば、寛永一八年(一六四一)竿答の村草創の百姓は九人で、村高は元禄期と変わらず、畑一貫五文のうちに茶畑四文が含まれ、海上高は一二貫六一六文、人頭九四人、家数九五(うち名子二)、男二二九・女二一八、舟八〇(四板舟三・刈子舟三・笹葉舟七四)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
島根県北東部、中海(なかうみ)の大根島(だいこんじま)北東にある小島。大根島とともに松江市八束町を形成する。長さ1.5キロメートル、幅700メートル。中海干拓事業の中浦水門建設により弓ヶ浜半島と結ばれ、自動車で往来できるようになったが、2004年(平成16)に中浦水門の北側に江島大橋が完成したため、水門は自動車通行止めとなった。なお、干拓事業の中止に伴い、水門はに撤去された。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には「蜈蚣島(むかでしま)」と記される。島の北部は江戸時代の新田開発による埋立地で、工業団地も造成されている。
[矢野 博]
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