デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田忠雄」の解説
池田忠雄 いけだ-ただかつ
慶長7年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主池田輝政(てるまさ)の3男。母は徳川家康の娘督姫(とくひめ)(良正院)。慶長12年松平姓をゆるされる。15年淡路(あわじ)(兵庫県)6万3000石をあたえられて洲本(すもと)藩主。20年兄忠継(ただつぐ)の跡をつぎ,備前岡山藩主池田(松平)家2代となる。38万石のうち播磨(はりま)の宍粟(しそう)・赤穂(あこう)・佐用(さよ)の3郡10万石を弟輝澄(てるずみ)・政綱・輝興(てるおき)に分与。河合又五郎事件をめぐり旗本と対立した。寛永9年4月3日死去。31歳。