河原(読み)カワラ

デジタル大辞泉 「河原」の意味・読み・例文・類語

かわら〔かはら〕【河原/川原/×磧】

《「かわはら」の音変化》
川の流れに沿う平地で、ふだんは水の流れていない、石や砂の多い所。
京都鴨川の河原。特に、四条河原
[類語]河川敷川床かわどこ河床かしょう

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「河原」の意味・わかりやすい解説

河原
かわはら

鳥取県東部、八頭郡(やずぐん)にあった旧町名(河原町(ちょう))。現在は、鳥取市の南部を占める地域。1926年(大正15)町制施行。1955年(昭和30)国英(くにふさ)、八上(やかみ)、西郷、散岐(さぬき)の4村と合併。2004年(平成16)国府(こくふ)町、用瀬(もちがせ)町、気高(けたか)町、鹿野(しかの)町、青谷(あおや)町、福部(ふくべ)村、佐治(さじ)村とともに鳥取市に編入。JR因美(いんび)線、国道53号が通じる。旧町域は千代(せんだい)川とその支流八東(はっとう)川、私都(きさいち)川、曳田(ひけた)川の合流点付近に開ける。主産業は農業で、稲作のほか、富有(ふゆう)ガキ、二十世紀ナシ、シイタケなどの栽培が盛ん。また、千代川はアユ釣りが盛んでアユ料理は町の名物である。中心の河原は上方(かみがた)往来に沿った茶屋集落から発達し、酒造で知られた。八上地区の売沼神社(めぬまじんじゃ)は『古事記』の「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」神話に出る八上比売(やかみひめ)を祀(まつ)る。牛戸(うしと)地区は民芸の焼物牛ノ戸焼の発祥地。曳田川上流には県指定名勝の三滝渓(みたきけい)がある。

[岩永 實]

『『河原町誌』(1986・河原町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河原」の意味・わかりやすい解説

河原
かわはら

鳥取県東部,鳥取市中南部の旧町域。千代川中流域にある。 1926年町制。 1955年国英村,八上村,散岐村,西郷村の4村と合体。 2004年鳥取市に編入。中心集落の河原は千代川と八東 (はっとう) 川の合流点付近にあり,江戸時代は渡河集落として発展,「上の茶屋」とも呼ばれた。明治以後は商業地として発展。農村部では米作のほか,カキ,ナシの栽培,アユ漁,酒造も行なわれる。曳田 (ひけた) は因幡 (いなば) の白兎にまつわる「八上比売 (やかみひめ) 」の伝承地。曳田川上流にある三滝渓は瀑布群とシャクナゲの群落で知られる。

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世界大百科事典 第2版 「河原」の意味・わかりやすい解説

かわら【河原】

川辺の砂礫の多い平地。河原は日本の川のいたるところに見られるが,古代,そこは神の集う広場と考えられ,けがれを祓い清める場であった。伊勢神宮の禊祓(みそぎはらえ),大嘗祭・賀茂祭などのさいの天皇の禊祓,六月祓などはみな河原で行われた(河原の御祓,御禊,解除)。そこでは放牧も行われたが,京の鴨川,桂川の河原は9世紀には葬地として京職,悲田院の管轄下におかれ,〈賽(さい)の河原〉として死穢を清める場とされた。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「河原」の解説

河原

正式社名「株式会社河原」。英文社名「KAWAHARA MFG.CO., LTD.」。機械工業。昭和40年(1965)前身の「河原製作所」創業。同49年(1974)設立。本社は広島県尾道市長者原。産業機械製造会社。重量物の昇降移動に使用されるリフトテーブルや搬送装置などを製造。中国・上海に生産・販売現地法人を展開。

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