中国浙江(せっこう)省余姚(よよう)県の河姆渡で発見された新石器時代の集落遺跡。年代は放射性炭素の測定値から紀元前5000年から前3000年。稲の籾殻(もみがら)が大量に発見され,人工的に稲が栽培されていたことがわかった。稲作はこの江南の地で生まれ,日本列島へ伝播したとする見方も出されている。そのほか陶製の小型の竈(かまど),骨製で木の柄の鋤(すき),イノシシや犬などの家畜の骨,建築材などが出土している。長江下流域の江南の新石器文化の典型として,河姆渡文化と呼ばれる。
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[河姆渡文化から良渚文化へ]
この豊かな自然を基盤に,非常に早くから農耕文化が発達していた。湾の南岸中央,余姚(よよう)県の河姆渡(かぼと)遺跡は前5000‐前4500年ころの長江流域で最も古い新石器時代遺跡で,水稲耕作,家畜飼育,南方特有の干闌式の住居などが確認されている。この文化は北方の黄河流域の仰韶(ぎようしよう)文化とはまったく異なったもので,当時,中原とは別の生活様式をもつすすんだ文化が発展していたことを示す。…
…唐代に市の南西にある四明山にちなんで明州と呼ばれてより,その名で知られる。杭州湾南岸平野は,温暖な気候と豊かな土壌に恵まれ早くから稲作農耕が発達し,市の西,余姚(よよう)県にある河姆渡(かぼと)遺跡は中国南部で最も早い新石器時代遺跡として著名。春秋時代には会稽(紹興)に中心のあった越の後背地であり,秦・漢には句章(こうしよう)県,鄞(きん)県,鄮(ぼう)県等が置かれ会稽郡に属した。…
…明・清には,王守仁(陽明),朱舜水,黄宗羲など浙東学派の指導者を輩出した。南の四明山は名勝の地として有名で,また市の東,余姚江沿いに長江(揚子江)下流域で最も古い新石器時代文化層を有する河姆渡(かぼと)遺跡がある。【秋山 元秀】。…
※「河姆渡遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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