デジタル大辞泉
「河童」の意味・読み・例文・類語
かっぱ【▽河▽童】
《「かわわっぱ」の音変化》
1 水陸両生の想像上の動物。身の丈1メートル内外で、口先がとがり、頭上に皿とよばれるくぼみがあって少量の水を蓄える。背中には甲羅がある。人や他の動物を水中に引き入れて生き血を吸い、尻から腸を抜くという。かわっぱ・河太郎・川子・河伯、その他異名が多い。
2 水泳のうまい人。また、泳いでいる子供。
3 子供の髪形の一。髪を結ばず耳の辺りまで垂らして下げ、下を切り落としたもの。江戸時代には頭の頂上を丸く剃ったことからこの名がある。→御河童
4 《河童の好物であるというところから》すし屋などで、キュウリのこと。また、河童巻き。
5 《河童が人を引き込むというところから》
㋐見世物小屋などの呼び込み。
㋑江戸の柳原、本所辺りの売笑婦。
[補説]書名別項。→河童
かっぱ【河童】[書名]
芥川竜之介の小説。昭和2年(1927)発表。河童の国を見たと信じる精神病患者の妄想を借りて、社会や作者自身を辛辣に戯画化した作品。
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かっぱ【河童】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 「河童(かはわらは)」の変化した語 )
- ① 想像上の動物。水陸両棲で、四、五歳の子どもくらいの大きさをし、口先がとがり、背には甲羅や鱗(うろこ)があり、手足には水かきがある。頭には皿と呼ばれる少量の水のはいっているくぼみがあり、その水があるうちは陸上でも力が強く、なくなると死ぬ。水中に他の動物を引き入れ、その生血を吸う。河童小僧。かわたろう。がたろ。がたろう。川立ち男。川小法師。川小僧。川子。河伯(かはく)。
河童[ 一 ]①〈狂歌百物語〉
- [初出の実例]「かねのあみかかれとてしも浪の月 河童子(カッパ)のいけどり秋をかなしむ〈信章〉」(出典:俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678))
- ② ( ①の大好物とされるところから ) 植物「きゅうり(胡瓜)」の異称。また、「かっぱまき(河童巻)」の略。
- [初出の実例]「河童 〈略〉其さま胡瓜に似たれば、胡瓜を江戸の俗にカッパと呼ぶとおもへる者多し」(出典:随筆・筠庭雑録(1832頃))
- ③ 川に舟を浮かべて客を呼ぶ水上売春婦のことをいう隠語。船饅頭(ふなまんじゅう)。
- [初出の実例]「何ぢゃの姫御前を河童(カッパ)とは、モウ女子の一分が廃った」(出典:歌舞伎・助六廓夜桜(1779))
- ④ 子どもの髪形。髪を結ばず、耳の辺まで垂らして下を切り落としたもの。江戸時代には頭の頂上を丸く剃ったことからいう。男の子に多く、のちに女の子がするようになった。かっぱあたま。おかっぱ。
- [初出の実例]「こりゃかっぱ十六もんが持ってこい」(出典:雑俳・柳多留‐一五(1780))
- ⑤ 泳ぎのうまい人。水泳の達人。また、泳いでいる子ども。
- [初出の実例]「大森は海水浴場として夏ごとに都下の河童(カッパ)連を呼び寄せ」(出典:新版大東京案内(1929)〈今和次郎〉東京の郊外)
- ⑥ ⇒カッパ(合羽)④
- [ 2 ] 短編小説。芥川龍之介作。昭和二年(一九二七)発表。社会批評、自己批評を、戯画化された世界を借り、風刺的に描いた。
かわっぱかはっぱ【河童】
- 〘 名詞 〙 =かっぱ(河童)①
- [初出の実例]「河童(カワッパ)も若衆盛の花咲いて 獺(をそ)のたはれの心中の春」(出典:俳諧・桃青門弟独吟廿歌仙(1680)一山独吟)
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河童(妖怪)
かっぱ
水陸両棲(りょうせい)の妖怪(ようかい)。空想上の生物。身長は4、5歳の子供ぐらいで、とがった嘴(くちばし)をもつ。背は甲らで、それ以外のところは鱗(うろこ)で覆われている。手足には水かきがあり、腕は左右が通り抜けていて(体内で両腕がつながっていて)伸縮が自在。頭の上には水をたたえるための皿があって、これが河童の力の源泉で、水がなくなると同時に力も急速に衰える。陸上でも力は強いが、水中にあるときは、人はもちろんのこと牛馬でさえ引っ張り込んで、肛門(こうもん)に手を入れ、尻(しり)玉を抜いたり生き血を吸ったりする。キュウリそして相撲(すもう)を好み、よく人間に挑む。嫌いなものは金物。南九州では、春秋にヒョウヒョウと鳴きながら移動すると伝えられる。
河童は全国的な伝承をもち、カワコ、カワランベ、ガメ、エンコウ、カワシソウ、ミズシ、メドチ、水虎(すいこ)など種々の異名をもつ。亀(かめ)や獺(かわうそ)の姿を想像している地方もある。いずれにしろ、種々多くの妖怪のなかでもっともなじみ深いもので、僻地(へきち)ではいまだにこれの存在を信じている人がいる。つまり、河童の素性は水の神であり、春秋に田の神と交替して穀物の実りを約束するという。また、小(ちい)さ子神なる水神の零落の姿ともいわれ、これは母子神信仰に基づくものとされる。河童がキュウリを好むのは、水神である祇園(ぎおん)信仰に結び付いたためで、キュウリを供えた水神の祭場に出没すると考えられたからである。河童の活動もまた6月から7月にかける祇園祭のころがもっとも活発であるという。河童が椀(わん)・箸(はし)を人に貸し与えるという椀貸し伝説も、この時期のものが多い。昔話(河童婿入り)の世界では、「蛇婿入り」の水乞(みずごい)型と同じ展開の異類婚姻譚(たん)が全国各地でみられる。3人娘のうち末娘を嫁にもらうかわりに、田へ水を引いてやるというたぐいのもので、ここでも水神としての性格を色濃く現している。
河童石の伝説も全国的な広がりを示す。その石は河童が山と川を往復するときの中継点であるとか、人間に助けられたお礼に魚を置いたもの、または、水に関する病に苦しむ者が河童にキュウリを供えたら全快した、そのため石の上に供物をするようになった、など伝承もさまざまである。大分県臼杵(うすき)市野津町の河童石は川の中にある大岩。作男がそこで牛や馬を洗っていると、流れの中から河童の手が伸びて尻尾(しっぽ)などを引っ張ったと伝えられる。このように河童が馬を水中に引き入れようとする「河童駒(こま)引き」の伝承は全国にみられるが、そのほとんどが失敗譚である。逆に、馬に引きずり出されて捕らえられ、危ういところで一命を助けられる。そのお礼にと、魚を届けたり接骨薬や血止め薬の秘伝を伝授したりする。河童の詫(わび)証文や、お礼に借りた椀や膳(ぜん)、または秘伝の薬を家宝として保管している家もある。
河童駒引譚については、駿馬(しゅんめ)が水中から出現するという俗信や、牝馬(ひんば)が水神もしくは竜神の胤(たね)を宿すという考え、そして馬を水神に捧(ささ)げた儀礼の名残(なごり)であると柳田国男(やなぎたくにお)や石田英一郎らによって考察されている。
なお、駒引きは、河童に限らず猿の場合も多く、猿駒引きの絵馬を掲げる習慣も広く各地にみられる。厩(うまや)の守護神であると信じられた猿は、形態的に河童の空想図に近い。両者は兄弟であると信じている地方もあるし、反対に仇敵(きゅうてき)どうしとみる地域もある。いずれにしろ、中国・四国地方では河童をエンコウ(猿猴)とよぶという例もあり、両者の間には密接な伝承上の関係があったことは容易に推測できよう。
前述したように河童は相撲好きで、人間に化けて挑戦してくる。したがって、見ず知らずの人と相撲をとってはならぬとする戒めが九州地方には多い。河童と相撲をとると、第三者にはその姿がまったく見えず、大の男のひとり相撲としか映らぬという。河童は負けると何度でもかかってきて、挑戦されたほうはくたくたに疲れて、しまいには半病人になったり精神に異常をきたす者もあったという。
相撲は、農事に関係した豊凶占いという儀礼であった。そして、この儀礼がおもに七夕(たなばた)に行われてきたことと、同じ日に水辺で禊(みそぎ)を行い物忌みをした伝承や、水神の河童を鎮めたことを考え合わせると、河童と相撲の取り合わせは当然の帰結であったのかもしれない。
河童は江戸随筆にも多く登場するなど、さまざまの文献に現れる。昔話では巧智者(こうちしゃ)譚の『河童釣り』『河童火やろう』が昔から親しまれている。
[渡邊昭五]
『「河童の話」(『折口信夫全集3』所収・1955・中央公論社)』▽『「妖怪談義」(『定本柳田国男集4』所収・1963・筑摩書房)』▽『「山島民譚集」(『定本柳田国男集27』所収・1964・筑摩書房)』▽『石田英一郎著『新版河童駒引考』(1966・東京大学出版会)』
河童(芥川龍之介の小説)
かっぱ
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説。1927年(昭和2)3月『改造』に発表。スウィフト作『ガリバー旅行記』などの先例のある、社会風刺をもった寓意(ぐうい)小説をねらった作品である。ある精神病院の患者が話す、河童の国訪問の体験談の形をとっている。河童の国の「特別保護住民」となった主人公は、人間の社会とはまるで逆になっている河童の国で、胎児が自分で生まれるのを拒否したり、雌が雄を追いかけ回す河童の恋愛を見たり、珍しい体験をするが、結局は憂鬱(ゆううつ)になり人間の世界へ帰ってくる。しかし、人間の醜さにも耐えられず精神病院に入院している。社会批評や風刺よりも、作者自身が当面していた苦悩や問題がそのままの形で出ており、自殺を前にした作者の内面を理解するうえで貴重な作品である。
[海老井英次]
『『河童・歯車・或阿呆の一生』(講談社文庫)』
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河童 (かっぱ)
日本で最もよく知られている妖怪の一つで,川や池などの水界に住むという。カッパという呼称はもともと関東地方で用いられていたもので,エンコウ,ガワタロ,ヒョウスベ,メドチ,スイジン,スイコなどと呼んでいるところもある。その形状や属性も地方によりかなり異なっているが,広く各地に流布している一般的特徴は,童児の姿をし,頭の頂に皿があり,髪の形をいわゆる〈おかっぱ頭〉にしている,というものである。頭上の皿の水が生命の根源であって,そこに水がなくなると死んでしまうという。体の色彩は,赤とするところもあるが,青ないし青黒色,灰色が一般的である。手足には水搔きがあり,指は3本しかないと説くところが多い。腕に関しては,伸縮自在だとか,抜けやすいとか,左右通り抜けだとかいった奇妙な伝承が目だち,また人の尻を抜くといわれる。キュウリが河童の好物と考えられており,水神祭や川祭の時にはキュウリを供えて水難などの被害がないことを祈る。
河童は,川で遊ぶ子どもを溺死させたり,馬を川へ引きずり込んだり,田畑を荒らしたり,人に憑(つ)いて苦しめたりするといった恐ろしい属性をもつ反面,間抜けないたずら者という側面もあり,相撲を好み,人間に負けて腕を取られたり,人間に捕らえられて詫証文を書かされたり,命を助けてもらったお礼として人間に薬の製法を教えたりもする。河童の椀貸伝承などは,こうした好ましい属性を強調したもので,特定の家の守護神となって,田植や草刈りを手伝ったり,毎日魚を届けたりして,その家を富裕にしたという伝承は各地に伝えられている。
各地に伝わる河童起源譚のうちで,最も広く流布しているのが,人造人間説である。たとえば天草地方に伝わる話では,左甚五郎が城を造る際,期限内の完成が危ぶまれたので,多くの藁人形を作って生命を吹き込み,その加勢を得てめでたく完成したが,その藁人形の始末に困り,川に捨てようとしたところ,人形たちが,これからさき何を食べたらよいか,と問うたので,甚五郎は〈人の尻を食え〉と言った。それが河童となったという。これとは別に,祇園牛頭(ごず)天王の御子,眷属(けんぞく)と説く地方や,外国から渡来したと説く地方もある。
河童を意味する語が文献に現れるのは近世以降である。それ以前の文献として,しばしば,《日本書紀》仁徳67年条の,吉備の川嶋の川が枝分れしているところにすむ大虬(みずち)が人を苦しめたので,三つのひさごを水に投げ入れて征伐した,という記事が引かれるが,この大虬は江戸時代以降の文献に見える河童ではなく,水神としての蛇もしくは竜のことであろう。現在信じられている河童のイメージは,水辺に出没する猿や亀,天狗,水神を童形とみる考え,宗教者に使役される護法神,虫送りの人形などが混淆して江戸時代に作られたと考えるべきである。江戸時代には,河童の像や図絵まで作られた。
執筆者:小松 和彦
河童 (かっぱ)
芥川竜之介の短編小説。1927年(昭和2)3月《改造》に掲載。河童の世界を舞台とした寓意的物語。ある精神病患者の体験談として語られるが,河童の世界はすべてが人間の社会とは逆であり,出生はその子供の意志に任され,恋愛はひたすら雌の攻撃性を示し,失業者は肉にされて売られる。宗教は飲食や交合を旨とする生活教が盛んだが,その長老も自分の神を信じてはいない。〈僕〉は憂鬱になり人間の世界に帰って来るわけだが,ここには文明批判という以上に晩期芥川の抱いた暗澹(あんたん)たる鬱情が込められている。われわれは〈この最も空想的な作品の中に〉〈彼の実生活〉のあざやかな〈摸写copy〉を見ることができるとは,その弟子堀辰雄の評するところである。
執筆者:佐藤 泰正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
河童
かっぱ
日本各地に伝わる水界に住む妖怪の一種。水神ないしは水神の一族・従者,あるいはそれの零落したものと考えられている。カッパという呼称は関東を中心とした地方で用いられる方言で,カワランベ,ガタロウ,カワコなどと呼んでいるところもある。地方によって形状にも大きな差異が認められるが,その多くは童児の姿をし,頭の頂に水をたたえた皿があり,髪の形を,いわゆるおかっぱ頭にしている。頭上の皿の水は河童の生命の根源で,そこに水がなくなると死ぬという。また,その腕に関しても,伸縮自在だとか,とても抜けやすいとか,左右通り抜けであるとかいう奇妙な伝承が目立ち,自体の色彩は,青ないし青黒色であるとする報告が多い。こうした河童の形態は,猿や亀,子供などからイメージを得て創造されたと考えられる。河童の行動は,東北地方の座敷わらしなどによく似て相撲を好み,いたずら者で,田畑を荒したり,馬を水の中に引入れたりする。しかしその一方では,恩義に厚く,特定の家の守護霊として,田植えや草取りなどを手伝ったり,毎日魚を届けたりもする。また,まぬけ者の一面ももっていて,馬を川へ引きずり込もうとして,逆に腕を失ったり,相撲に負けて腕を取られたり,人間に捕えられて,薬の製法を教えるはめに陥ったりする。河童駒引の伝承は,河童を猿とみるところから,猿を厩馬の保護者とする習俗,さらに母子神信仰を基盤とする水神童子信仰などが混交して成立したものと考えられる。また,河童が山の神と田の神の両者の性格を示す場合もあり,これは年に2度春と秋に,山と川の間を移動するというもので,山に入ればヤマタロウ,川に入ればカワタロウと呼ばれる。
河童
かっぱ
芥川龍之介の短編小説。 1927年3月『改造』に発表。ある狂人の河童の国での体験談という形式の風刺小説。機知に富む警句や逆説をふんだんに用いながら,人間社会の痛烈な批判を河童の世界に仮託して描いている。芸術至上主義の河童詩人トックの自殺は,芸術と実人生の裂け目に落込んでいった著者の投影を強く感じさせる。なお著者は河童の戯画を数多く書残している。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
河童(民俗)【かっぱ】
水界にすむ妖怪(ようかい)。みずし,めどち,えんこ,かわこなどともいう。総身灰または青色,口はとがり,赤い髪をたれ(おかっぱ),頭上に水をたたえた皿,手に鋭いつめとみずかきをもつ。人馬を害し,相撲とキュウリを好む。毎年6月川祭や水神祭の名でキュウリを供えて河童をまつる地方が多い。
→関連項目水神|妖怪
河童(文学)【かっぱ】
芥川龍之介の短編小説。1927年《改造》に発表。ある狂人の物語る体験談の形式で,河童の国の戯画的風景のうちに,人間社会,また自身の生活への嫌悪・絶望を風刺的に描く。自殺直前の作者の荒涼たる心象風景を見せた異色作。
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河童 かっぱ
伝承上の妖怪。
川や池などの水界にすみ,童子の姿で頭に水をたくわえた皿をいただき,「おかっぱ頭」の髪形をしているといわれる。キュウリと相撲をこのみ,人や馬に害をくわえる反面,田植えや田の草取りを手伝うこともある。その伝承は,日本の各地につたえられている。「かわこ」「めどち」などとも。
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普及版 字通
「河童」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の河童の言及
【川浸り】より
…この日,餅やだんごをつくり川へ投げ入れる習慣は広く全国にわたっていた。これを〈川浸り餅〉〈川渡り餅〉などといい,河童に引き込まれないよう河童に与えてやるとか,これを食べると川でおぼれぬなどという。中国地方ではぼた餅を膝などに塗りつけると川で転ばぬといい,関東ではこの日の早朝,子どもが川にしりをつけると河童にさらわれないと伝えており,水難を防ごうとする意識がうかがわれる。…
【薬】より
…対馬,高取,富山などの売薬のうちには,明確ではないがこのような発生のものがあるかと考えられる。さらに単独の宗教者や医師が土着して,効ある家伝薬をひろめた場合も全国的にあり,〈河童相伝の打身・金瘡薬〉などと称したものには,これを河童を助けた礼として伝えられたなどの伝承をもつ旧家も少なくない。有名な事例に愛州家の秘薬がある。…
【水神】より
…この水神は,水田稲作とは直接関係ないが,生活用水の守護神としての性格をもっており,各家ごとに祭られる屋内神として伝承されている。 水神の表徴として代表的なのは[河童]である。水の妖怪であるが,水神が河童の姿をとったと想像される民間伝承は多い。…
【滝】より
…なお,那智の滝壺には九穴の貝(アワビ)があると伝えられている。タキワロウ(崖童)という妖怪は,山口県に伝わる伝承であるが,山に3年,川に3年いるとか,これが海に入るとエンコになるといい,これに出会った人が長く患った話もあって,[河童]の変種と思われる。奈良県の滝田神社の4月4日の祭りには,ネゴという川魚を供え,大和川の急流に放つという神事があるが,これは水神に対する祭りである。…
※「河童」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」