沿海州(読み)エンカイシュウ(英語表記)Primorskii krai

デジタル大辞泉 「沿海州」の意味・読み・例文・類語

えんかい‐しゅう〔‐シウ〕【沿海州】

ロシア南東部シホテアリニ山脈周辺の地域日本海北西岸を占める。ロシア帝国における呼び名で、ソビエト連邦では南北に分割され北はハバロフスク地方に編入、南は沿海地方となった。

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精選版 日本国語大辞典 「沿海州」の意味・読み・例文・類語

えんかい‐しゅう‥シウ【沿海州】

  1. ロシア連邦のシベリア東南部を占め、日本海に面する地域。正式な行政区画では沿海地方。地下資源に富み、製材業が盛ん。中心都市ウラジオストク。

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改訂新版 世界大百科事典 「沿海州」の意味・わかりやすい解説

沿海州 (えんかいしゅう)
Primorskii krai

ロシア連邦の南東端,日本海に面する地方。沿海地方,プリモルスキー地方ともいう。面積16万5900km2,人口202万(2006)。州都ウラジオストク。1860年の清国との北京条約によって,ロシア帝国の領土となった。当初の行政区分は,ハバロフスクからアムール下流域,のちのサハリン州とカムチャツカ州の全域を含んでいたが,1909年にこの両州が分けられ,14年にアムール下流域がサハリン州に移管された。38年に決定された今日の沿海地方は革命期の沿海州の南半分に当たり,ハバロフスクやその周辺地域は含まれない。西側は中国と国境を接し,南端豆満江をへだてて朝鮮民主主義人民共和国と接している。地形は南端地方を除いてシホテ・アリン山脈が走っている海岸沿いの一帯が山地性で,内陸部の中国との国境をなすウスリー川沿いとハンカ湖周辺に平野がある。気候は季節風の影響で夏季に雨量が比較的多く,冬季は比較的短い。海面は冬季結氷する。原住民はツングース系のナナイ人(ゴリド人)やウデヘ人など。ロシア人,ウクライナ人の移民は,はじめオデッサ~ウラジオストク間の義勇艦隊航路(1883開設)により,ついでシベリア鉄道(1891着工,1903開通)によってこの地方に入り,今日では両民族が人口の95%を占めている。また中国・朝鮮・日本からの移民や出稼ぎもかつてかなり顕著で,とりわけ日本の植民地支配をうけた朝鮮からの移住者が革命と内戦の時期まで激増した。内戦期には他の連合国とともに日本の軍隊もこの地方に進駐し,住民の強い抵抗をうけた。内戦と干渉の終結後,ソビエト政権により経済開発が本格的に進められた。豊富な鉱山・森林資源と良港ウラジオストク,ナホトカをもち,水産業,鉱工業林業米作を含む穀物生産もさかんである。軍事的には太平洋艦隊の基地ウラジオストクをもち,国境を控えて戦略上きわめて重要である。なお《デルスー・ウザーラ》など,アルセーニエフの作品は,20世紀初頭のこの地方の人と自然を活写している。
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百科事典マイペディア 「沿海州」の意味・わかりやすい解説

沿海州【えんかいしゅう】

ロシア,極東の地方。行政単位としてはプリモルスキー・クライPrimorskii Krai(沿海地方)。東側はシホテ・アリン山脈,南西にハンカ(興凱)湖岸低地がある。石炭,木材,金を産し,漁業,毛皮獣飼育が行われる。19世紀半ばにロシア領。アルセーニエフの《デルス・ウザーラ》(1923年)の舞台としても知られる。州都ウラジオストク。16万5900km2。230万2000人(1993)。
→関連項目吉林[省]北京条約

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「沿海州」の解説

沿海州(えんかいしゅう)
Primorskii Krai

ロシア極東の一地方。渤海(ぼっかい)に支配され,以後中国領,アイグン条約北京条約でロシア領となる。ウラジヴォストークを中心とするロシアの対極東根拠地となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「沿海州」の意味・わかりやすい解説

沿海州
えんかいしゅう
Приморская Область/Primorskaya Oblast'

ロシア連邦の東部、沿海地方の旧称であるが、日本では現在も「沿海州」の名でよばれることが多い。

[編集部]

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旺文社世界史事典 三訂版 「沿海州」の解説

沿海州
えんかいしゅう

ロシアのシベリア南東端部,日本海に面する州。ロシア語ではプリモルスキー地方という
7世紀以来,渤海 (ぼつかい) ・遼・金などの領地となり,元代以後,中国領となった。1847年シベリア総督となったムラヴィヨフは,アイグン(愛琿)条約(1858)でこの地をロシア・清両国の共同管理地,北京条約(1860)で完全にロシア領とし,ウラジヴォストーク港を建設して東アジア進出の拠点とした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沿海州」の意味・わかりやすい解説

沿海州
えんかいしゅう

「プリモルスキー地方」のページをご覧ください。

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