哲学(倫理学および社会哲学の一部を含む)と法学との双方にまたがる学科。〈法(律)哲学〉という表現はドイツ語のRechtsphilosophieに由来する。イギリスにおいては,19世紀中葉以来,法に関する理論的な研究がjurisprudence(〈法理学〉)という名称のもとに行われてきた。J.オースティンやH.J.S.メーンを祖とする法理学の伝統は,アメリカにおいても,20世紀の初頭以来,R.パウンドなどによって受け継がれてきた。ドイツ(およびオーストリア,フランス,イタリアなど)における法哲学とイギリス,アメリカにおける法理学とは,共通の要素を含みながらも,その問題意識や探究の態度において,ニュアンスの異なる学問であった。両者の差異は,当然,人文・社会科学における欧州系の伝統とアングロ・サクソン系の学風との相違に基づくものであったが,それに加えて〈大陸法系〉(または〈ローマ法系〉)および〈英米法系〉(または〈コモン・ロー系〉)という,法体制上の違いがその背後にあったことも,また否定することはできない。
第2次大戦後,文化的な国際交流の結果,欧州系およびアングロ・サクソン系という二つの学問伝統の間で活発なフィードバックと相互接近が生じた。今日では,英米文化圏でも〈法哲学philosophy of law〉という表現が用いられるようになり,この学問の内容・領域についても,国際的な合意が成立しているといってよいであろう。では,このような背景をもつ法哲学とは,どのような学問であろうか。現代法哲学は次の三つの主要部門から成っている。(1)正義の理論,(2)法および法学の諸問題に関する論理分析,(3)法の歴史哲学(なお,ソ連および東欧諸国においては,〈法と国家の理論〉と呼ばれる学問分野が西側諸国でいうところの法哲学を包含している)。
この部門においては,すでに古代からインド,中国,バビロニア,イスラエルなどにおいて,哲学的な思索が行われた。西洋における正義の理論は,紀元前5世紀のギリシア人,とくにアテナイで活躍したソフィストたちによって根本的に新しい展開を遂げた。ソフィストたちは,単にある行為が,たとえば,獄中で毒杯を仰いで従容(しようよう)として死についたソクラテスの行為が,〈正しい〉かどうか(これを行為レベルの〈正義論〉と呼んでもよい),またある制度,たとえば奴隷制,が正しいかどうか(〈制度レベルの正義論〉)という問題を論じたばかりでなく,さらに一歩を進めて,ある行為やある制度が〈正しい〉と人々が判断するとき,その判断の〈正しさ〉の判定のための客観的な基準が果たして存在するか否かを正面から論じたのである。こうして,ある行為やある制度が正義にかなっているかどうかという問題だけでなく,〈正義とは何か〉ということが問われたのである。
このようにみてくると,正義の理論には,行為,制度,基準という,三つのレベルが存在することがわかる。ある行為の正・不正についての問題意識は未開社会(そしておそらく先史社会)においても認められる--少なくとも言語が存在するかぎりにおいて。しかし,こうした原始社会においては,社会の諸制度は慣習やタブーによって護持されており,その〈正しさ〉を批判的に吟味することは心理的に困難であったと思われる。制度レベルの正義論に正面から挑戦したのが上記のソフィストたちであったが,この企ては,必然的に,基準レベルの正義論の基本問題へ導いたのである。
現代倫理学の分類用語を用いるならば,行為レベルおよび制度レベルの正義論はともに〈規範的〉正義論に,そして基準レベルの正義論は〈メタ〉正義論に,それぞれ帰属する。メタ正義論の最も基本的な問題は,ある行為または制度(または制度複合体としての体制)の〈正しさ〉のための客観的な基準があるか否か,という問題である。この問題に関しては,〈客観的な基準が存在する〉と説く客観説と,〈そのような基準はない〉と主張する主観説とが対立する。
西洋思想史において,客観説の萌芽はすでにプラトン,アリストテレスにみられるが,客観説に明確な形を与えたのは,ストア学派であった。ストアによれば,〈宇宙の理法〉が善悪の判断に対して,そして正邪の判断に対しても,基準を与えてくれる。ストアの客観主義的正義論は,紀元前1世紀後半ごろ,ローマ法における〈万民法〉の思想とも融合して,〈自然法論〉を形成し,後世の思想に大きな影響を与えた。自然法論によれば,人為によらず,自然または神の与えた法,すなわち〈自然法〉,というものが存在し,それが人間の作った法律・制度や人間の行為の正しさの判定基準となる。自然法論は中世末期のスコラ哲学においても一つの完成した姿に達した(とくにトマス・アクイナスの教説)。近世の法思想においても自然法の観念は大きな役割を果たした。オランダのH.グロティウス,イギリスのT.ホッブズ,J.ロック,ドイツのS.プーフェンドルフなどの法哲学上の著作においては,自然法論が中心テーマとなっている。現代においても,新トマス主義の自然法論は多くの論者によって支持されている。
正義論上の客観主義に対立する主観主義は,すでに紀元前5世紀の若干のソフィストに見られたところであるが,この立場は,20世紀初頭以来,〈価値相対主義〉という形で主張されてきた。この考え方によれば,あることの善悪・正邪についての評価を表す文は,経験的な真理または数学的・論理学的な真理を表す文とは異なって,〈判断〉を表す命題ではない--または〈真理値〉をもたない--と考えられる。すなわち,いわゆる価値判断は,厳密な意味での判断ではなく,話者・筆者の主観的な信念にほかならない,とされるのである。価値相対主義を代表する思想家としては,B.A.W.ラッセル,G.ラートブルフ,H.ケルゼンなどの名をあげることができる。ちなみに,この3人が,それぞれ独自の立場から,西欧型の議会民主制の〈価値相対主義による正当化〉を試みたことは注目に値する。
以上,主として〈メタ理論〉としての正義論について述べた。では,ある制度や体制が正しいかどうかを論ずる正義論,すなわち,規範的正義論のほうはどうであろうか。古代以来西洋の正義論の主流をなしてきた自然法論は,メタ理論レベルでの主張を含むと同時に,規範理論の面でも,〈正しい〉法,〈正しい社会体制〉についても多彩な内容を有していた。たとえば,グロティウスは,自然法論を展開することを通じて,〈戦争と平和の法〉を構想し,〈国際法の父〉と呼ばれた。ロックは,〈自然状態〉および社会契約という二つの思想を結合することによって,独自の自然権(いわゆる〈天賦人権〉)の教説を立てて〈王権神授説〉を批判すると同時に,名誉革命(1688)の立憲主義の理論を提供した。ロックの同国人ベンサムは,功利主義の立場から自由主義の理論を構築し,J.S.ミルその他の思想にも大きな影響を及ぼした。
20世紀に入ってからも,規範的正義論の分野でも多くの文献が公刊されたが,最近の業績の中でとくに注目を集めているのは,J.ロールズの貢献である。《正義の理論》に集約されたロールズの見解は,イギリス,アメリカの功利主義の伝統を批判しつつ,社会契約論の再構成によって,〈公正さ〉の基準を探求する試みであり,思想的には平等主義を基調としている。
立法,裁判,行政においても,法学においても,〈法〉〈権利〉〈義務〉〈国家〉〈法人〉などの表現が用いられる。このような基礎用語の分析や定義をもって〈法理学〉の第1の課題と考えたのは,イギリスのJ.オースティンであった(この分野の先駆者としては,ベンサムがとくに重要である)。19世紀後半のドイツにおける〈一般法学〉,ケルゼンの〈純粋法学〉も,また第2次大戦後のイギリスで興った〈新しい分析法理学〉(その代表者は,H.L.A.ハートである)も,法の基礎用語の分析・定義に意を用いた。この部門の中でもとくに中心的な問題は,〈法の定義〉の問題(あるいは〈法の本質〉の問題)である。
法の本質の問題は,古来,いろいろな形で論議されてきた。〈悪法も法なり〉という格言に対して,不正な法は,まさにそのゆえをもって,〈法ではない〉という主張が多くの論者(とくにあるタイプの自然法論者)によって唱えられてきた。換言すれば,〈正しさ〉または〈正義〉という性質が法(ここでは〈自然法〉と区別された意味での〈実定法〉)の〈本質的〉な要素(または〈契機〉)であるか否かが問われたのである。法の〈本質要素〉としては,〈正しさ〉のほか,〈強制〉〈規範的性格〉などが問題となった。〈法の本質〉についての論議には,ほかの〈本質問題〉の場合と同じく,プラトン以来の〈エッセンシャリズム〉(〈本質主義〉)の影響が見られる。伝統的な論理学の用語を借りるならば,〈法の本質〉の問題は,〈名辞定義〉ではなく〈事物定義〉に関するものである,と考えられてきた。ある事物の〈正しい〉定義を与えるためには,その事物の諸性質の中から,〈偶有的〉なものと〈本質的〉なものとを明晰に区別したうえで,後者によって定義を構成することが必要である,とされた。しかし,いかなる基準をもってこの区別を行うことができるかについては,ついに定説が得られなかった。
〈事物定義〉の理論そのものが混乱に基づいていたことは,すでにJ.S.ミルが指摘したところであり,R.カルナップやC.G.ヘンペルが,独自の論理分析を通して,明快に示したところである。
〈法の本質〉についての伝統的な問題は,約言すれば,カルナップのいわゆる〈エクスプリケーション〉(学術用語の自覚的でかつ精密な再定義)の問題として再解釈すべきであろう。この立場から見れば,現状においては,〈法〉の概念について与えられた定義が,主として学術上の観点から,相対的にどの程度〈適切〉であるか,を論ずる以上のことは望めないであろう。〈法〉という語をいかに定義すべきかという問題をめぐって,異常なほどの情熱が数世紀にわたって傾注されたのは,なぜであろうか。この問いに対する一つの鍵は,〈説得定義〉に関するC.L.スティーブンソンの理論に求められる。この理論によれば,〈文化〉〈商品の価値〉〈社会主義〉その他の表現はいずれも〈情緒意味〉を強く帯びており,その定義の名のもとに,実践的(政治的,宗教的,倫理的)な説得が黙秘裡(り)に行われうる。〈法の本質〉をめぐる伝統的な論争文献もこの見地からの再検討を要するように思われる。
法哲学の論理分析面でのもう一つの課題は,法学および法実践(とくに裁判)に関する方法論である。イギリスにおいては法律教育が古くからインズ・オブ・コート(法曹院)によって行われてきたために,〈法学〉(ドイツ語のRechtswissenschaft)に相当する観念は比較的近年まで存在しなかった(半面,逆説的にいえば,〈実学としての法学〉の観念が欠けていたがゆえに,イギリスでは〈虚学としての法理学〉がすでに1830年代に始まった,とみることもできる)。アメリカでは,19世紀後半から,大学のロー・スクールで法律教育が行われるようになったが,その内容はやはり実務志向であり,〈法学〉の観念とは近年まで結びつかなかった。ドイツ,オーストリア,フランス,イタリアその他のヨーロッパ大陸諸国では,〈ローマ法の継受〉を背景として,大学において法学(とくにローマ法と教会法の知識)を修めた者が法実務において重用されるという伝統が,近世初頭以降,しだいに生じてきた。19世紀のドイツ民法学(いわゆるパンデクテン法学)はこの発展の頂点を成すものであるが,奇しくも,パンデクテン法学者として名声の高かったR.vonイェーリングが,それまでのドイツ法学を〈概念法学〉と呼んでこれを批判し,社会の実情に即した利益衡量が法学にとって不可欠であることを示した。
イェーリングの影響のもとに20世紀の初頭にドイツ,フランス,オーストリアなどで興った自由法論は,実定法学および裁判における〈理論構成〉その他の知的作業の心理学的および認識論的な解明を試みた。ちょうど同じころ,哲学上の〈西南ドイツ学派〉(とくにH.リッケルト)が認識と価値判断との関係についての研究を行ったことも,法学における方法論上の探求・反省に大きく寄与した。この探求の結果,実定法学上の〈学説〉が,多くの場合,認識と評価との両側面をもつものであることが明らかとなった(ちなみに,日本においても,1953年ころから数年間同様の問題群について,〈法解釈論争〉が行われた)。
裁判についての方法論的な反省は制定法主義に立脚していたヨーロッパ大陸諸国だけでなく,判例法主義のアメリカにおいても行われた。〈法のルールからの論理的演繹〉を偏重した20世紀初頭の通説に対して,裁判における〈経験〉と評価との役割を早い時期に力説したのは,O.W.ホームズであった。1930年ごろから興ったリアリズム法学は,やや矯激な形で,法の運用における論理信仰を攻撃した。裁判その他における〈法的推論〉の諸問題は,第2次大戦後のイギリスの新分析法理学の流れに属する諸学者によって,精密に論議されてきた。この学派の哲学上の源泉の一つとして,〈発話行為〉の重層性に関するJ.L.オースティンの分析があった。
ヘーゲルは独自の歴史哲学を構築したが,彼の影響の下で〈法の普遍史〉の概観を試みた人々の中でとくに重要なのはドイツのコーラーJoseph Kohler(1849-1919)である。コーラーのこの分野での業績は一面において民族学,人類学,法史学への傾きを示しており,モンテスキューの《法の精神》,メーンの《古代法論》などとともに,文化人類学,法社会学の先駆的文献とされている。
執筆者:碧海 純一
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法学および哲学の一部をなす学問分野。法理学とよばれることもある。法哲学は、実定法の一般理論を研究する狭義の法理学と、「法の究極にあるもの」を考察する狭義の法哲学からなる。
(1)法理学(狭義) 法領域や個々の実定法体系を超えて、法的諸概念や法の体系性を一般的に考察する学問分野。イギリスの分析法学、ドイツの一般法学などがその有力な学派で、20世紀においてはケルゼンらの純粋法学のほか、ソ連のパシュカーニス、イギリスのハート、アメリカのフリードマン、イスラエルのラズなどによって発展をみた。ドイツでは「法の一般理論」allgemeine Rechtslehre、イギリス、アメリカでは「法理学」jurisprudenceとよばれるのが普通である。おもな主題は、法の定義、国家の定義、法と国家の関係、法律行為、権利・義務などの法概念の定義、実体法と手続法、成文法と慣習法、国際法と国内法の関係、法秩序の構造、戦争や革命の法的構成、法解釈の性格、法学の方法などである。このような考察は当然「法の究極」の問題と結び付いているから、次の(2)の領域に連なっている。
(2)狭義の法哲学 「人間は、はたして、なぜ、またどのような条件のもとで法に従うべきか」という問題が、法哲学の根本問題であるが、これは哲学の根本問題にかかわりがあり、古来大思想家たちがさまざまな思想や理論を展開してきた。プラトン主義、アリストテレス主義、トマス主義、カント主義、ヘーゲル主義、マルクス主義、経験主義、実存主義などの諸々の哲学上の潮流がおのおのの法哲学をもつといわれる。主要な主題としては、法と人間性、道徳、宗教、習俗、歴史、実力、言語などとの関係などのほか、とくに正義の概念、正義の客観性や考察が重要である。これについては、永久不変の正義の存在を主張する自然法論と、これを否定する法実証主義の対立が最大の論点の一つで、代表的な自然法論者としては、キケロ、トマス・アクィナス、グロティウス、ロック、カントなど、法実証主義者としては韓非子(かんぴし)、エピクロス、オースティン、ケルゼン、ハートなどがあげられる。
(3)法思想としての法哲学 学問分野としてでなく、法についての一定の反省を伴った見方を法哲学とよぶことがある。たとえば「紛争はできるだけ平和的に解決すべきだ」とか、「自動車が通っていなくても、赤信号では横断歩道を渡らない」とかいう考え方も、一種の「法哲学」とよばれることがある。また「古代ローマ人は実力主義の法哲学を奉じていた」とか、「伝統的中国人を、『法は必要悪だ』とする法哲学の持ち主だ」などというのもそれである。このような「法哲学」は学問的法哲学の素材となる。
(4)日本の法哲学 前述の(3)のような意味での法哲学は江戸時代以前にもあり、儒学者や国学者は法についての知的反省を伴った思想を展開していたが、学問的法哲学の発端は、西周(にしあまね)、津田真道(まみち)が、幕末にオランダに留学して、西洋の自然法論や功利主義に接してから始まる。穂積陳重(ほづみのぶしげ)が1881年(明治14)東京大学に「法理学」の講座を開設したが、これが大学講座の初めで、穂積は進化論哲学に従って、法の発展を説く法理論を講じた。大正期より京都帝国大学で恒藤恭(つねとうきょう)が、新カント主義哲学の影響下で法哲学を講じ、昭和期に至って尾高朝雄(ともお)が初め京城帝国大学で、続いて東京帝国大学でドイツ法哲学の諸潮流を統合した法哲学を説いた。第二次世界大戦後には日本法哲学会が結成され、多数の研究者がさまざまな潮流の法哲学を研究している。
[長尾龍一]
『碧海純一著『新版法哲学概論』(1973・弘文堂)』▽『矢崎光圀著『法哲学』(『現代法学全集2』1975・筑摩書房)』▽『加藤新平著『法哲学概論』(『法律学全集1』1976・有斐閣)』
ヘーゲルの著書。1821年刊行。正式の表題は『法の哲学の基本線――自然法と国家学の要綱』である。ここでいう「法Recht」とは、「法律Gesetz」の意味ではなく、「権利」や「正義」のことである。人間の自由という理念が具体化されて、権利、契約、犯罪、道徳、家族、市民社会、国家となるさまを体系的に展開している。個人の自由と権利が、絶対的な独立性、自己決定性をもつ主権国家と一致しなければならないという主張が基底となっている。主観的な理想を盾(たて)にとって過激な国家批判を行う愛国主義的な運動への批判を込めて、「理性的なものは現実的である。現実的なものは理性的である」と語った序文には、哲学の非実践性を告げるかのように「ミネルバのフクロウは暮れそめる夕暮れを待って飛び立つ」ということばがあり、理性のたそがれを感じさせる沈痛な響きとなっている。
この体系の基本となるものは、自由な人格である。私という人格には、生命、身体、財産を自由意志によって処分する権利がある。権利として認められた「私のもの」の内で、私の存在から切り離すことのできる外的な事物と一定の制限時間内の労働を私は譲渡することができる。
基底となる個人の権利を支えるものは、市民社会における商品交換のなかに現存する「相互承認」の事実である。他人を自分の生存の手段にする市民社会での相互関係は、同時に分業と交換を通じた相互依存の関係でもある。この市民社会に内在する権利(法)を自覚的、制度的に保障するものが国家であると、ヘーゲルは論じ、個人の自由、権利、人格としての存在が国家に基礎づけられていると主張する。これは、個人を実体とみなすアトミズムを前提として、その個人の契約によって国家が成立すると説く社会契約説への根本的な批判である。
道徳性の根底を単に主観的な理想や理念に置く観念論を批判して、家族、市民社会、国家という3段階にわたって展開される「人倫」という具体的な共同体を法の実体的な基盤として設定し、そのなかに市民社会という経済社会を国家から明確に区別して概念化したことは、ヘーゲルの社会哲学における大きな功績である。この「市民社会」を歴史的な段階とみなしたとき、マルクスの「ブルジョア社会」という概念が生まれる。
近年、彼のベルリン大学での法哲学講義の聴講者によるノートが多種刊行されて、本書の真意が新しい視点で見直されている。
[加藤尚武]
『藤野渉・赤沢正敏訳『法の哲学』(『世界の名著35 ヘーゲル集』所収・1978・中央公論社)』▽『リーデル著、清水正徳他訳『ヘーゲル 法哲学』(1978・福村出版)』▽『上妻精他著『ヘーゲル 法の哲学』(1980・有斐閣新書)』▽『高峯一愚訳『ヘーゲル法の哲学』(1983・論創社)』
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