津村 信夫(読み)ツムラ ノブオ

20世紀日本人名事典 「津村 信夫」の解説

津村 信夫
ツムラ ノブオ

昭和期の詩人



生年
明治42(1909)年1月5日

没年
昭和19(1944)年6月27日

出生地
兵庫県神戸市

学歴〔年〕
慶応義塾経済学部予科卒

経歴
慶大在学中に肋膜炎を患い、療養中に文学に親しみ、以後茅野蕭々室生犀星を師と仰ぐ。昭和7年「小扇」を発表し、新進詩人としての評価を得る。9年第2次「四季」に参加。10年慶大経済学部を卒業後、東京海上火災保険に入社、同年第一詩集「愛する神の歌」を自費出版。15年随筆「戸隠絵本」を、17年第二詩集「父のゐる庭」を、19年第三詩集「或る遍歴から」を刊行信州風土に深い愛情を抱き、平明で優しい言葉を用いる抒情詩人として知られる。「津村信夫全集」(全3巻 角川書店)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「津村 信夫」の意味・わかりやすい解説

津村信夫
つむらのぶお
(1909―1944)

詩人。神戸市生まれ。慶応大学経済学部卒業。白鳥省吾(しろとりせいご)の『地上楽園』に参加、ついで室生犀星(むろうさいせい)に師事、また丸山薫に兄事した。北欧的詩情への憧憬(しょうけい)から出発したが、しだいに質朴な生活を志向し、さらに身辺に取材する平明な叙情へと展開した。『四季』の有力詩人の1人であるが、軽井沢を離れ信州戸隠(とがくし)の風土を愛したところにその独自性を示した。詩集『愛する神の歌』(1935)、『父のゐる庭』(1942)、『或(あ)る遍歴から』のほかに、散文集『戸隠の絵本』(1940)などがある。アジソン病で早逝。兄秀夫(1907―85)は映画評論家。

[飛高隆夫]

『『津村信夫全集』全三巻(1974・角川書店)』『室生犀星著『我が愛する詩人の伝記』(中公文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津村 信夫」の解説

津村信夫 つむら-のぶお

1909-1944 昭和時代前期の詩人。
明治42年1月5日生まれ。津村秀夫の弟。室生犀星(むろう-さいせい)に師事。昭和9年第2次「四季」創刊に参加。「愛する神の歌」「父のゐる庭」「或る遍歴から」などを発表。また随筆集「戸隠の絵本」を刊行した。昭和19年6月27日死去。36歳。兵庫県出身。慶大卒。

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367日誕生日大事典 「津村 信夫」の解説

津村 信夫 (つむら のぶお)

生年月日:1909年1月5日
昭和時代の詩人
1944年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の津村 信夫の言及

【四季】より

…第2次は堀辰雄,三好達治,丸山薫の共同編集で出発,四季社刊,34年10月~44年6月,全81冊の月刊誌。とくに注目されるのは第2次《四季》で,共同編集者のほか,津村信夫と立原道造が参加して昭和10年代抒情詩の一方向を定めた。のち萩原朔太郎,室生犀星のほか,中原中也,竹中郁,神保光太郎,伊東静雄などの詩人,あるいは桑原武夫,河盛好蔵,大山定一,保田与重郎,芳賀檀なども参加して総合文化誌的側面もあった。…

※「津村 信夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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