精選版 日本国語大辞典 「浅間山」の意味・読み・例文・類語
あさま‐やま【浅間山】
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標高二五四二メートル。長野(
浅間の呼称は、古来より変化なく、わずかに「中右記」の天仁元年(一一〇八)に「国中有高山称麻間峰」とあり「麻間」と記す。「中右記」はまた「朝間」とも記す。都を遠く離れた辺地、東国への道筋に屹立して煙を噴く山として詩歌に詠われてきた。「伊勢物語」第八段には、
とある。歌枕として「能因歌枕」等の歌学書にもあげられ、また次のような歌がある。
常に煙を噴く高山で、山岳信仰の対象ともされている。追分(現軽井沢町追分)にある
群馬県
総社本「上野国神名帳」の総社大明神鎮守のなかに従一位浅間大明神が載る。山岳信仰の対象ともされ、とくに信州側では諏訪明神とのかかわりが考えられている。また、赤木文庫本「神道集」(白山権現事)に「抑、白山権現ト者、(中略)信濃ノ浅間モ同ク此御神ナリ云々」とみえ、「加沢記」によると
噴火の際の火山灰は上州側に降り被害をもたらしてきた。天仁元年(一一〇八)七月二一日には大噴火があった。上野国司の解状によって知られる被害は「而従治暦間
峯中細煙出来、其後微々也、従
今年七月廿一日
猛火焼
山嶺
、其煙属
天沙礫満
国、
燼積
庭、国内田畠依
之已以滅亡」(「中右記」天仁元年九月五日条)と国内の田畠が壊滅するほどであった。大治四年(一一二九)二月一七日、上野国から提出された「条事」が朝廷において審議された(長秋記)。上野国司(上野介顕俊)の申請によると、前年灰砂(火山灰)が降り荒廃がはなはだしいので本年の貢納物を免除してほしいとのことであったが、朝廷では前例にないと処理されている。天仁元年の噴火では火山灰による被害が大きかったため、済物免除になっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長野・群馬県境にそびえる三重式の成層・円錐火山(えんすいかざん)。標高2568メートル。おもに安山岩からなる。有史以後(685年以後)も近年までしきりに噴火を繰り返してきた日本の代表的活火山。那須(なす)、富士両火山帯が合する位置にあるが、普通、前者に属させる。更新世(洪積世)末期、数万年前にまず成層・円錐火山が形成されたのち、大規模な水蒸気爆発でその東半が吹き飛ばされ、カルデラを生じたが、同山の西側はいまも第一外輪山(黒斑山(くろふやま)など)として残存する。その後、南側山腹に寄生火山の石尊山(せきそんざん)(溶岩円頂丘)を生じた。約2万年前、そのカルデラ内に粘り強い石英安山岩(デイサイト)質の仏岩溶岩流(ほとけいわようがんりゅう)が噴出して扁平な楯状(たてじょう)火山ができ、その東方には石英安山岩質の寄生火山、小浅間(溶岩円頂丘)を生じた。約1万1000年前、大爆発して石英安山岩質の火山砕屑(さいせつ)物を関東北部一帯に厚く降り積もらせ、かつ、同質の軽石流が火山の南北両側の麓(ふもと)を広く覆った。現世に入り、約5000年前にカルデラ内で噴火活動が再開され、第二外輪山、前掛山(まえかけやま)が形成されてきた。
有史以後の二大噴火は1281年(弘安4)と1783年(天明3)におき、ともに大爆発、火砕流、溶岩流が発生し、噴出物総量は前者は約30億トン、後者は約10億トン。後者では死者1152人を出した。鎌原村遺跡(かんばらむらいせき)はそのときのものである。天明大噴火後、前掛山火口内に中央火口丘の釜山(かまやま)が生まれた。釜山火口はほぼ円形で直径約350メートルであるが、深さは絶えず変動し(0~250メートル)、活動期には浅くなる。爆発型噴火が特徴で、噴出物総量数十万立方メートル、噴煙を山頂上数千メートル以上にあげ、噴石、降灰、爆風などでしばしば惨害を出す。
1911年(明治44)日本最初の火山観測所を震災予防調査会が設け、1922年(大正11)創設の軽井沢測候所(その後、軽井沢特別地域気象観測所と浅間山火山防災連絡事務所に改組)と、1933年(昭和8)創設の東京大学地震研究所浅間火山観測所がその観測研究を受け継いだ。火山防災連絡事務所は火山の活動データを収集している。山頂部は裸地であるが、山腹にはカラマツ、アカマツ、シラカンバなどの森林や低木草原が広がり、裾野(すその)は開拓され、軽井沢、北軽井沢の高原別荘地帯がある。夏の避暑、春秋の行楽、冬のスケートと来遊者が絶えない。風光に恵まれ、野鳥に富み、上信越(じょうしんえつ)高原国立公園に属する。JR信越本線(現、しなの鉄道)中軽井沢、信濃追分(しなのおいわけ)、小諸(こもろ)と、JR吾妻(あがつま)線長野原草津口の各駅から登山路が通じ、約4時間で登頂できたが、1973年(昭和48)火山活動のため入山が規制された。近年、小諸を登山口とする一部コースの規制が緩和されたが、頂部は常時立入り禁止になっている。熔岩樹型は国指定特別天然記念物。噴火対策用の火山シェルターをもつ小諸市(長野県)の火山館、長野原町(群馬県)の浅間火山博物館がある。車坂峠にある小諸市浅間連峰自然観察センターには浅間山の歴史や噴火についての資料が展示されている。
[諏訪 彰]
『八木貞助著『浅間山』(1936・信濃毎日新聞)』
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(井田喜明 東京大学名誉教授 / 2007年)
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(2015-6-18)
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…【原島 礼二】
【中世】
1031年(長元4)に終わる平忠常の乱は南関東の諸国を荒廃させたが,忠常の父忠頼が住んでいた武蔵国もその例外ではなかった。そして1108年(天仁1)の浅間山大爆発は,上野ばかりでなく武蔵国北部一帯に大きな被害をもたらした。最近の研究によれば,この爆発は江戸時代の天明の噴火の規模をはるかに超え,浅間山と霞ヶ浦を結ぶ線を長軸としたレンズ状の地域に分厚い降灰をもたらし,これにともなう河川のはんらんとともに,利根川・荒川流域の水田はとくに深刻な影響をうけたと考えられる。…
※「浅間山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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