浜松(読み)ハママツ

デジタル大辞泉 「浜松」の意味・読み・例文・類語

はままつ【浜松】[地名]

静岡県西部の市。徳川家康の居城となり、井上氏らの城下町、東海道の宿場町として発展。織物・楽器・自動車工業が盛ん。平成17年(2005)7月、周辺11市町村を編入。平成19年(2007)4月、指定都市となった。令和6(2024)年、市内7区を3区に再編。人口80.1万(2010)。
[補説]浜松市の3区
中央区天竜区浜名区

はま‐まつ【浜松】

浜辺の松。
「昨日こそ君はありしか思はぬに―の上に雲にたなびく」〈・四四四〉

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精選版 日本国語大辞典 「浜松」の意味・読み・例文・類語

はま‐まつ【浜松】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 浜辺にはえた松。浜辺の松。海松。
    1. [初出の実例]「ぬばたまの夜明しも船は漕ぎ行かな御津の波麻末都(ハママツ)待ち恋ひぬらむ」(出典:万葉集(8C後)一五・三七二一)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 静岡県西部の地名。古くから東海道の宿駅として発達。江戸時代、東海道五十三次の宿場町、浜松藩の城下町となる。明治以後楽器・織物の工業が、第二次世界大戦後はオートバイ・自動車製造工業が立地し、商工業都市として発展。貝塚など古代遺跡が多い。明治四四年(一九一一)市制。周辺市町村を編入し、現在は天龍川の中・下流域を広く占める。
    2. [ 二 ] 明治四年の廃藩置県により堀江県を改めて遠江国に設置された県。同九年静岡県に併合。

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改訂新版 世界大百科事典 「浜松」の意味・わかりやすい解説

浜松[市] (はままつ)

静岡県南西部の市。2005年7月旧浜松市が天竜(てんりゆう),浜北(はまきた)の2市,引佐(いなさ),佐久間(さくま),春野(はるの),細江(ほそえ),舞阪(まいさか),水窪(みさくぼ),三ヶ日(みつかび),雄踏(ゆうとう)の8町および竜山(たつやま)村を編入して成立した。面積1558km2は岐阜県高山市に次ぐ全国市中第2位の広さである。07年4月政令指定都市に移行し,中,東,西,南,北,浜北,天竜の7区を置いた。人口80万0866(2010)。

浜松市西部の旧町。旧引佐郡所属。人口1万5103(2000)。浜名湖の北に位置し,町の南端の金指を天竜浜名湖鉄道線が通る。赤石山脈南西端の山岳地帯で,北東部を都田川,中央部を井伊谷(いいのや)川,南西部を神宮寺川が流れ,谷沿いに集落が点在する。中心の井伊谷は中世に当地を支配した井伊氏の本拠で,南北朝期には後醍醐天皇の皇子宗良親王を擁して南朝方の拠点となった。農林業を中心とし,米作,畜産のほか,ミカン,花卉の栽培が盛ん。1954年セメント工場が進出してから工場も増え,セメントのほか,自動車部品や木製品などの工業生産が伸びている。奥山半僧坊で知られる臨済宗の名刹(めいさつ)方広寺,井伊氏の菩提寺で小堀遠州作の庭園(名)がある竜潭寺,井伊氏の拠城三岳城跡(史),宗良親王をまつる井伊谷宮などがある。新東名自動車道のインターチェンジがある。

浜松市北西部の旧町。旧磐田郡所属。1956年佐久間ダムの完成を契機に浦川町と佐久間,山香,城西の3村が合体して成立。人口6008(2000)。天竜川中流域に位置し,JR飯田線が通る。町域のほとんどが赤石山脈南西端の急峻な山地で,北東から南西に中央構造線が走り,特異な地質構造を示す。天竜川支流の水窪川流域は地すべり・山崩れ地帯である。古くから林業,製材業が盛んで,浦川,中部は天竜川舟運の河港として発展した。ほかに茶,シイタケ,花卉なども栽培される。明治後期に古河鉱業(現,古河機械金属)によって開発され銅,鉄などを産出した久根鉱山は1970年に閉山した。

浜松市中部北寄りの旧村。旧磐田郡所属。人口1236(2000)。天竜川中流域に位置する山村。中央部を天竜川が南流し,谷沿いに国道152号線が通る。村域の大部分が森林におおわれ,杉とヒノキの人工林は日本有数の美林である。木材のほか,茶,シイタケ,柿などを産する。南部に天竜川の秋葉ダム(総貯水量3万4700km3)があり,西部の白倉峡とともに観光地になっている。天竜川東岸で銅,鉄を産出した日本鉱業の峰之沢鉱山は1969年休山した。
執筆者:

浜松市中部の旧市。1958年9月,二俣(ふたまた)町と熊,上阿多古,下阿多古,光明,竜川の5村が合体して二俣町となり,同年11月,市制を施行して天竜市に改称。人口2万3747(2000)。赤石山脈南西縁の山地と天竜川,阿多古川,気田(けた)川などの谷底平野からなり,市域の8割は山林で杉,ヒノキの美林で知られる。信州と遠州を結ぶ要地にあり,江戸時代には船明(ふなぎら)に幕府の榑木(くれき)役所が置かれた。伊那谷から天竜川をばらで川下げされた榑木はここで陸揚げされ,駿府や江戸の需要に応じてさらに下流の掛塚までいかだ流しされた。中心集落は天竜材の集散地で製材工場が集まる二俣と,かつて天竜川舟運で栄えた鹿島で,現在は西鹿島に自動車部品,精密機械などの工場が進出している。茶とシイタケが栽培されるが,とくに天竜茶は銘茶として有名。戦国時代に徳川・武田両氏が攻防を繰り返した二俣城や,1977年完成の多目的ダム船明ダムなどがある。天竜浜名湖鉄道線が通り,西鹿島駅で浜松と結ばれる遠州鉄道に接続する。

浜松市中部南寄り,旧浜松市の北にある旧市。1956年浜名町と北浜村ほか3村が合体して浜北町となり,63年市制。人口8万4905(2000)。市域は天竜川の西岸に位置し,同川のはんらん原と沖積地,三方原台地からなる。遠州鉄道と国道152号線が南北に通り,沿線の貴布禰(きぶね)と小松が中心集落。また北部に天竜浜名湖鉄道と国道362号線,新東名自動車道が東西に走っている。貴布禰は古くから遠州織物の取引の中心地として栄え,1925年には日清紡績が立地したほか,周辺の農村部には現在でも織物工場がみられる。しかし現在の工業の中心は市の製造品出荷額の35%(1995)を占める輸送機械で,ヤマハ発動機浜北工場(オートバイ)をはじめ関連の中小部品工場が多い。農業は水稲のほかマキ,松などの植木生産が盛んである。またミカン,次郎柿などの果樹栽培や,養豚・養鶏農家も多い。近年の住宅地化の進行により,旧浜松市への通勤人口が増加し,ベッドタウン化が進んでいる。近年は浜松テクノポリスの一翼として,浜北新都市開発整備事業,浜北駅前市街地再開発が進められている。市の北部に桜の名所として知られる岩水(がんすい)寺があり,付近の採石場からは浜北人と名付けられた化石人骨が発見された。

浜松市南部の旧市で,同地域の中心都市。1911年市制。人口58万2095(2000)。市域の大部分は浜松平野の南西部および三方原台地,海岸砂丘地からなり,東は天竜川,西は浜名湖を境とする。1871年(明治4)廃藩置県により,一時浜松県の県庁所在地になったが,5年後に浜松県は廃止され静岡県に合併された。綿織物を主とする繊維,ピアノやオルガンなどの楽器,オートバイと自動車の輸送用機械が三大工業である。藩政末期に農家の副業として北部で盛んであった綿織物業は,1889年の東海道本線浜松駅開業後は駅周辺に中心が移り,工場制工業に転換,全国有数の綿織物産地に成長するとともに関連の織機・染色工業の発達をみた。楽器工業は,明治中期に日本楽器製造(現ヤマハ)の創設者山葉寅楠が当地でオルガンを製作したことにはじまるが,伝統的な木工技術,天竜川上流の木材生産などを背景に発達し,現在では全国のピアノ生産量の9割を占めるに至っている。また,旧浜松市の製造品出荷額の4割強(1995)を占めるオートバイ,自動車などの輸送用機械工業は,本田技研,スズキ,ヤマハ発動機(磐田市)の三大メーカーを中心に傘下の部品工場が多数分布している。現在,地場産業の活性化と先端技術の集積をめざして〈浜松テクノポリス構想〉が進められている。農業はメロンなどの施設園芸,菊などの花卉類,セロリ・レタスなどの野菜類の生産が盛んで,施設園芸団地も建設されている。東海道新幹線,東海道本線,東名高速道路などが通り,JR浜松駅前から西鹿島(旧天竜市)まで遠州鉄道が延びている。蜆塚(しじみづか)貝塚伊場遺跡などの史跡のほか,観光地としては浜名湖岸の舘山寺温泉フラワーパーク,浜松祭の際に大たこあげが行われる中田島砂丘がある。また,当地方に広く行われている習俗として盆に行われる遠州大念仏も有名である。
執筆者:

遠江国敷知(ふち)郡の城下町,宿駅。平安期の《和名抄》に,敷智郡内の郷として〈浜松(浜津)〉があり,中世では〈浜松荘〉〈浜松御厨〉などもみえるが,戦国期までは一般に引間(ひくま)としてあらわれた。1570年(元亀1)徳川家康が居城を岡崎から当地に移し,〈浜松〉と改めてからその名が頻出するようになる。90年(天正18)家康の関東転封後,堀尾吉晴が12万石を領して在城,さらに1601年(慶長6)松平(桜井)忠頼が5万石で入封した。浜松城下の本格的町割りは寛永期(1624-44)の高力忠房の時に始まり,武家屋敷と町人地が区別され,町人地は伝馬・人足役を負担する御役町と,職人居屋敷を中心とする無役町とから構成された。さらに17世紀後半の太田氏,青山氏の時期にその整備が進み,82年(天和2)には青山氏が町検地を実施し,町絵図を作成した。《浜松宿諸職記録》によると,この検地で確定した無役町内庄屋役屋敷は1963坪余,諸職人居屋敷は1万7009坪余,職人屋敷には大工,鍛冶,木挽,桶屋,紺屋,畳師,瓦師,塗師,絵師,傘屋,大鋸,檜物師,油屋,白銀師,仕立物師があった。

 近世宿駅としては,1601年幕府により設定された。品川宿より29番目に当たり,《宿村大概帳》によると宿内町並み東西23町15間余,1843年(天保14)の改めでは,宿内人口5964人,惣家数1622軒(うち本陣6,旅籠屋94軒)であった。当宿の助郷は1637年(寛永14)にはじめて指定され,94年(元禄7)の助郷改革で定助郷16ヵ村,大助郷44ヵ村となったが,1725年(享保10)には大助郷も含めて定助郷とされた。この地方の主要産業は,とくに近世後期に綿作が進み,木綿織物が発達した。なお国学も盛んで,幕末維新期には神官層を中心に遠州報国隊も結成され,東征軍に参加した。
浜松藩
執筆者:

浜松市北東部の旧町。旧周智郡所属。人口6414(2000)。赤石山脈南端に位置する。町全体が山地で占められ,天竜川支流の気田川をはじめ,杉川,熊切川,不動川などに沿って集落が点在する。杉,ヒノキの良材を産し,気田は,1890年に日本最初のパルプ工場である王子製紙の気田工場が建設された地である。現在も木材・パルプ工業は活発であり,茶やシイタケの栽培も行われている。南西端の秋葉山には火伏せの神として知られる秋葉神社が鎮座する。南東端の春埜(はるの)山(883m)には,行基の創建といわれる大光寺があり,秋葉山と春埜山の間に東海自然歩道が通る。北部山岳一帯にはツツジの一種アカヤシオおよびシロヤシオの大群落(天)がある。国道362号線が通じる。

浜松市南西部の旧町。旧引佐郡所属。人口2万1281(2000)。浜名湖北東部の引佐細江に面し,南と東は旧浜松市に接する。町域の中央部には都田川の沖積地が広がり,北部は山地,南部は三方原が占める。中心の気賀(きが)はかつて浜名湖舟運の一拠点で,江戸時代には三ヶ日,浜松に通じる東海道の脇往還,姫街道(現,国道362号線)が通じ,関所が置かれていた。江戸後期からイグサの栽培が行われたが近年はミカン,メロン,キーウィフルーツ,レタスの栽培や酪農が盛んになっている。引佐細江では養鰻業が盛ん。1962年西遠工業地区編入後,工場の進出が活発になり,84年にはテクノポリスの指定をうけて電機,輸送機械を主体に工業生産が伸びている。旧浜松市への通勤者も多く,住宅団地の建設が進む。天竜浜名湖鉄道が通じる。

浜松市南端の旧町。旧浜名郡所属。人口1万1787(2000)。浜名湖東岸に位置し,南は遠州灘に面する。面積4.63km2で県下一小さく,人口密度は2522人/km2ときわめて高い。江戸時代には東海道の舞坂宿として栄え,湖口に今切渡(いまぎれのわたし)があった。明治時代から始まった養鰻業の中心地で,現在はスッポン,ノリ,カキなどの養殖も行われる。舞阪漁港を基地とする沿岸漁業は白子(しらす)の水揚げが多い。工業は楽器製造,水産加工業が中心である。西端にある弁天島には弁天島温泉(純食塩泉,19℃)があり,海水浴,潮干狩り,釣りなどでもにぎわう。海水浴場の北には,養鰻業者の信仰を集める魚籃観音がある。JR東海道本線,国道1号線が通じ,南端を浜名バイパスが通る。
執筆者:

東海道の遠江国の宿駅。今川氏の領有時代より宿駅の機能を有していたが,徳川家康は今川氏真を破った直後の1569年(永禄12)に舞坂郷の人足・伝馬を停止した。その後,1601年(慶長6)に宿駅として設定されたが,今切渡の渡船運営権は全面的に対岸の新居宿が握り,単に2里28町隔てた東隣の浜松宿との人馬継立て業務だけを担当した。宿駅住民の生活の糧は交通業務のほか,おもに漁業に頼っていた。アジ,サバ,コチ,ヒラメがおもな漁獲物で,浜松や吉田城下で売りさばいた。坪井・馬郡両村が加宿に指定されており,1843年(天保14)の家数は加宿分を合わせると541軒であった。宿内の中心部は今切渡船場付近で,本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠屋(はたごや)28軒があった。江戸時代を通じて天領であり,中泉代官所の支配下にあった。舞坂宿の東側の松並木は,比較的旧態をよく残している。
執筆者:

浜松市北端の旧町。旧磐田郡所属。人口3723(2000)。天竜川支流の水窪川,気田川上流域を占め,北は長野県,西は愛知県に接する。赤石山脈南西部にあたり,町域のほとんどは山地である。モミ,ツガなどの天然林と杉,ヒノキの人工林が広がり,日本三大美林の一つに数えられる天竜林業地帯の中心をなす。製材業が主体で,シイタケ,茶の栽培も行われる。水窪ダム(1969完成),山王峡は行楽地。西浦(にしうれ)で3月9~10日に行われる西浦田楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。JR飯田線,国道152号線が通じる。

浜松市南西端の旧町。旧引佐郡所属。人口1万6118(2000)。南は浜名湖北岸と猪鼻(いのはな)湖に臨み,周囲は赤石山脈南西端の山地に囲まれる。江戸時代は東海道の脇往還,姫街道の宿場町として栄えた。現在は東名高速道路三ヶ日インターチェンジがあり,天竜浜名湖鉄道,国道362号線が通じる。産業は農業が主体で,ミカンの産地として全国に知られ,畜産やランなどの施設園芸も盛んである。近年ミカン狩りを中心に観光農業も行われる。只木(ただき)採石場は三ヶ日人が発掘されたことで知られる。浜納豆で知られる大福寺,行基の創建と伝えられる摩訶耶(まかや)寺があり,ともに真言宗の名刹である。

浜松市南部の旧町。旧浜名郡所属。人口1万3889(2000)。浜名湖東岸に位置し,北部は三方原台地の末端,南部は湖岸の低地で宇布見(うぶみ),山崎両集落がある。中世末から製塩が行われ,明治期まで盛んであった。また肥料用の藻類採取も行われ,採藻権をめぐって村々の間で紛争がしばしば起こった。農業は米作や畜産,施設園芸が盛んで,浜名湖での漁業は定置網漁,採貝のほか,ウナギやカキの養殖が行われる。伝統的漁法である燃火(たきや)漁やねこ網は,観光用としてのみ残る。近年,隣接する旧浜松市の発展の影響を受け,自動車や電気機器の部品工場が多数進出した。明治以来の綿紡織業もあり,また浜松をはじめ近隣市町村への通勤・通学者も増えて,工業化,都市化が進んでいる。宇布見の中村家住宅は重要文化財に指定されている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浜松」の意味・わかりやすい解説

浜松(市)
はままつ

静岡県西部にある市。1911年(明治44)市制施行。1921年(大正10)天神町村、1936年(昭和11)曳馬(ひくま)町、富塚村、1939年白脇(しろわき)、蒲(かば)の2村、1951年(昭和26)新津(しんづ)、河輪(かわわ)、五島(ごとう)の3村、1954年笠井(かさい)町と和田、長上(ながかみ)、中ノ町、芳川(ほうがわ)、飯田(いいだ)、三方原(みかたはら)、吉野の7村、1955年神久呂(かくろ)、都田(みやこだ)の2村、1957年入野、積志(せきし)の2村、1960年湖東(ことう)村、1961年篠原(しのはら)村、1965年庄内(しょうない)村、1991年(平成3)可美村を編入。1996年中核市に移行。2005年(平成17)の平成大合併で、天竜、浜北の2市、春野、佐久間(さくま)、水窪(みさくぼ)、舞阪(まいさか)、雄踏(ゆうとう)、細江(ほそえ)、引佐(いなさ)、三ヶ日の8町、および龍山村(たつやまむら)の11市町村と合併。この結果、面積は256.74平方キロメートルから1558.06平方キロメートル(境界一部未定)と約6倍に広がった。また、人口も2010年国勢調査では80万0866人となり、県内第1位となった。2020年(令和2)の人口は79万0718人。2007年政令指定都市に移行、中、東(ひがし)、西、南、北、浜北、天竜の7区がつくられた。JR東海道本線・東海道新幹線・飯田線、天竜浜名湖鉄道、遠州鉄道が東西および南北に通じ、国道1号、42号、150号、152号、257号、301号、362号、473号、474号が走る。さらに東名高速道路の浜松、浜松西、三ヶ日、新東名高速道路の浜松浜北、浜松いなさ、浜松いなさ北インターチェンジがあり、東名高速道路三ヶ日ジャンクションおよび新東名高速道路浜松いなさジャンクションで三遠南信自動車道が接続するなど、県西部の交通網の中心となっている。市名は古代以来の郷荘(ごうしょう)名による。北部は赤石山脈の山岳地帯、中部は赤石山脈南縁から延びる丘陵地帯、南部は遠州灘(なだ)に面する砂丘地域と低湿地となり海岸線に続く。南西部は浜名湖に面し、天竜川が中央部から下流では市の東端を流れ、遠州灘に注ぐ。また、中央構造線が中部を走る。2022年時点で全国第2位の面積を有する市域は、多様な地形が展開している。気候は温暖で、1991~2020年の年平均気温は16.8℃。冬季の風は「遠州のからっ風」として有名。

 この地域は古くから人の居住が認められており、中南部の浜北地域の石灰採石場から洪積世(更新世)の人骨が発見され、浜北人と命名された。三方原の南端に縄文後・晩期の蜆塚遺跡(しじみづかいせき)(国指定史跡)、東縁部に古墳群が所在。蜆塚の南方の伊場遺跡(いばいせき)は弥生(やよい)時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡で、発掘された多数の木簡や墨書土器などから、律令(りつりょう)制時代にこの地が遠江(とおとうみ)国敷智(ふち)郡の郡衙(ぐんが)と東海道の宿駅の「栗原(くりはら)駅家」として繁栄したと考えられている。平安時代から池田荘、蒲御厨(かばのみくりや)などをはじめとして多くの荘園、御厨が成立。戦国時代、今川氏は曳馬城を拠点として遠江を支配した。1570年(元亀1)徳川家康は三河国岡崎城から曳馬城に移り、曳馬を浜松と改め、家康の遠江支配とともに浜松は発展した。江戸時代には譜代(ふだい)大名の城下町とともに東海道の宿場町として繁栄。また、舞阪も東海道五十三次の一宿となっていた。廃藩置県で浜松県の県庁所在地となり、1876年(明治9)静岡県に属すると政治行政的機能を失い、以後は商業、工業都市として発展の道をたどった。

 緩傾斜をなす三方原丘陵地ではミカン、茶、平野部では米、温室メロン、セロリ、海岸部ではタマネギ、エシャレットなどをつくっている。そのほか、花卉(かき)栽培も盛ん。また北部は天竜林業地帯を形成、スギ、ヒノキなどの良材を産する。漁業ではウナギ、スッポン、海苔(のり)、カキなどの養殖が盛ん。天竜川沿いの畑地には江戸時代よりワタの栽培が行われ、機(はた)織りが盛んとなり、明治後半には近代工業へ脱皮し、織機の改良、染色技術の発展などとともに遠州織物の主産地となった。明治末年には国鉄(現、JR)浜松工場が誘致され、繊維工業で培った技術力と進取の気性があわさり自動車・オートバイ工業、楽器製造など世界的な工業が育っている。木材工業も盛ん。現在、東海地域のテクノポリス母都市として産業、学術、住居の複合都市の機能をもつ都市計画が進められ、都田(みやこだ)地区にテクノランド、テクノパークが建設され、浜松工業技術支援センターも設置されている。

 南部には風光明媚(めいび)な浜名湖があり、湖岸の舘山寺温泉、フラワーパーク、動物園、遊園地などもにぎわう。天竜川をさかのぼると、日本有数の佐久間ダム、火防(ひぶせ)の神で知られる秋葉(あきは)山、さらに赤石山脈の山岳地帯に続き、付近は天竜奥三河国定公園に指定されている。龍潭寺(りょうたんじ)庭園は国の名勝に指定されている。国指定重要文化財には、方広寺七尊菩薩(ぼさつ)堂、中村家住宅、宝林寺仏殿および方丈、浜名惣社神明宮本殿、摩訶耶寺(まかやじ)の千手観音(せんじゅかんのん)・不動明王立像、大福寺の普賢十羅刹女(ふげんじゅうらせつじょ)像などがある。また、「西浦の田楽」と「遠江のひよんどりとおくない」は国指定の重要無形民俗文化財となっている。そのほか、文化施設として市立の博物館・美術館・楽器博物館、市民ミュージアム浜北、秋野不矩(ふく)美術館、万葉の森公園、白井鉄造記念館などがある。浜松医科大学、静岡文化芸術大学、静岡大学(浜松キャンパス)、浜松学院大学、聖隷クリストファー大学などや、航空自衛隊浜松基地もある。

[川崎文昭]

『『浜松市史』全9巻(1957~1980・浜松市)』『『浜松市史 新編史料編』全3巻(2000~2004・浜松市)』


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百科事典マイペディア 「浜松」の意味・わかりやすい解説

浜松[市]【はままつ】

静岡県南西部の市。1911年市制。天竜川浜名湖を東西の境とし,三方原(みかたはら)台地の大部分と遠州灘に臨む海岸平野を占める。中心市街は東海道の宿場町,浜松城の城下町として発展,県最大の商工業都市となった。東海道本線・新幹線,飯田線,天竜浜名湖鉄道,東名高速道路が通じ,遠州鉄道の起点をなす。合併に伴い,市域は高山市に次いで全国2位の広さ。かつては綿織物が盛んであったが,明治中期からピアノ等の楽器製造で知られ,自動車・オートバイ部品の製造のほか1992年浜松地域テクノポリスの母都市に指定され,一般機器,金属製品,電気機器工業が発展して市の製造品出荷額は2兆5168億円(2003)を上げ,県内1位である。農村部はミカン,スイカ,キュウリ,メロン等を産するが,兼業化が顕著。北部は大半が山林で,林業が行われる。縄文(じょうもん)期の蜆塚(しじみづか)貝塚,弥生〜平安期の伊場遺跡,舘山寺(かんざんじ),航空自衛隊浜松基地がある。5月の凧(たこ)揚げ祭は有名。2005年7月天竜市,浜北市,周智郡春野町,磐田郡佐久間町,水窪町,龍山村,浜名郡舞阪町,雄踏町,引佐郡細江町,引佐町,三ヶ日町を編入。2007年4月,政令指定都市に移行。区,区,区,浜北区,西区,区,天竜区の7区がある。1558.06km2。80万866人(2010)。
→関連項目館林藩浜松医科大学引間村櫛荘竜洋[町]

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事典・日本の観光資源 「浜松」の解説

浜松

(静岡県浜松市中区)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浜松の言及

【海藻】より

…《料理物語》(1643)は〈磯草(いそくさ)之部〉として25種の名をあげ,ホンダワラは煮物,なますなどにするとしている。同書には,ほかに珍しいものでは〈しやうかのひぼ〉〈浜松(はままつ)〉などがあり,淡水産の〈日光(につこう)のり〉の名も見える。しやうかのひぼはヒモノリという種類で,〈経の紐(きようのひも)〉とも呼んだ。…

※「浜松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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