浮田和民(読み)うきたかずたみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浮田和民」の意味・わかりやすい解説

浮田和民
うきたかずたみ
(1859―1946)

明治から大正時代の政治学者。大正デモクラシー運動初期の代表的な思想家。安政(あんせい)6年12月28日、熊本藩士の子として生まれる。熊本洋学校、同志社英学校同志社大学前身)卒業。エール大学に留学。同志社大学教授を経て、1897年(明治30)東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)の教授に就任。その後1941年(昭和16)まで同校で教鞭(きょうべん)をとるかたわら、評論活動を精力的に展開。ことに明治後半期から大正期の代表的な総合雑誌太陽』の主幹(1909~17)として、内政立憲主義と、外交帝国主義(経済的帝国主義)との統一的な促進を唱導し、民本主義の理論的先駆者としての役割をも果たした。代表作として『倫理的帝国主義』(1909・隆文館)がある。昭和21年10月28日死去。

[栄沢幸二]

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世界大百科事典 第2版 「浮田和民」の意味・わかりやすい解説

うきたかずたみ【浮田和民】

1859‐1946(安政6‐昭和21)
政治学者。大正デモクラシー運動初期の理論的な指導者の一人。熊本県出身。熊本洋学校,同志社卒業後,イェール大学に留学。同志社教授を経て1898年東京専門学校(現,早稲田大学)の教授に就任。その後1941年まで同校で教鞭をとるかたわら言論界で活躍。ことに明治・大正期の代表的な総合雑誌《太陽》の主幹(1907‐17)として,〈内に立憲主義,外に帝国主義(経済的帝国主義)〉の統一的な促進を力説したばかりか,吉野作造や大山郁夫らの民本主義者にも強い影響を与え,民本主義の理論的先駆者となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浮田和民」の解説

浮田和民 うきた-かずたみ

1860*-1946 明治-昭和時代前期の政治学者。
安政6年12月28日生まれ。熊本バンドのひとり。はじめ同志社でおしえ,明治40年早大教授。雑誌「太陽」の主幹をつとめ,同誌を中心に立憲主義的立場から評論活動を展開。昭和21年10月28日死去。88歳。肥後(熊本県)出身。同志社英学校(現同志社大)卒。著作に「倫理的帝国主義」など。
格言など】教育者は天に代りて人を造るものである

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