海峡植民地(読み)かいきょうしょくみんち(その他表記)Straits Settlements

精選版 日本国語大辞典 「海峡植民地」の意味・読み・例文・類語

かいきょう‐しょくみんちカイケフ‥【海峡植民地】

  1. マライ半島南部マラッカ海峡に面する旧イギリス領植民地。シンガポールペナンマラッカおよびその周辺の島々からなり、一九四八年マラヤ連邦の結成により解消した。

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改訂新版 世界大百科事典 「海峡植民地」の意味・わかりやすい解説

海峡植民地 (かいきょうしょくみんち)
Straits Settlements

マレー半島に置かれたイギリスの直轄植民地の総称(1832-1946)。具体的にはペナン(対岸のウェルズリー地方を含む),マラッカ(ディンディングズ諸島を含む),シンガポール(北ボルネオラブアン島を含む)からなる。これらの各地は18世紀末から19世紀初めにかけてイギリス東インド会社が獲得したもので,1824年の英蘭協約によってイギリスの領有権が確認された。海峡植民地を運営したのは初め東インド会社であったが,1858年の同社の解散に伴い,インド省の管轄下に移され,67年に直轄植民地となった。上記3地域とも商品作物の生産には成功せず,立地条件と自由港という利点にたすけられ,国際貿易港として重要な役割を果たすことになった。同時に,マレー半島全体にイギリスの支配を及ぼす基地としても役立った。その結果,1896年には海峡植民地以外のペラ,スランゴール,パハン,ヌグリ・スンビランの4州がマレー連合州としてイギリスの支配下に入り,これに組み入れられなかったプルリス,ケダ,クランタン,トレンガヌ,ジョホールの5州も名目的に独立を保持するだけで,実際はイギリスの支配下に入った。海峡植民地を含めたこれらをイギリス領マラヤと総称した。

 海峡植民地はマレー半島のゴムスズ輸出基礎を置くばかりでなく,中継貿易基地として繁栄した。なかでもシンガポールが重要であった。住民構成は,少数イギリス人など白人ほかは,中国人,インド人マレー人がほとんどを占め,海峡植民地はまた中国人,インド人商人の活動の基地でもあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「海峡植民地」の意味・わかりやすい解説

海峡植民地
かいきょうしょくみんち

イギリスがマレー半島に保有した植民地。イギリス東インド会社は1786年にはペナン、1819年にはシンガポールを植民地として獲得し、24年にオランダから譲渡されたマラッカとともに26年に東インド会社のベンガル管区の管轄下に置かれ、海峡植民地Straits Settlementsとよばれた。1851年インド総督の直轄植民地となり、58年インド省の所管、66年には植民地省の所管となった。イギリスの最初の意図は、これら各地を商品作物の産地とすることであったが、これは成功せず、国際貿易港としての活動が主となった。その結果、シンガポールがペナン、マラッカを圧倒し、イギリスの東アジア、東南アジアにおける活動の中心地の一つとなった。

 海峡植民地の知事は、連合州、非連合州、海峡植民地によって形成されるイギリス領マラヤの実質的な支配者であった。第二次世界大戦後イギリスはこれを放棄し、海峡植民地はシンガポール、ペナン、マラッカの3州に分かれ、ペナン、マラッカはマラヤ連邦の一員となった。シンガポールは1959年自治国となり、63年完全独立ののちマレーシア連邦に加盟したが、65年に分離独立した。

[生田 滋]

『池端雪浦・生田滋著『東南アジア現代史Ⅱ』(1977・山川出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海峡植民地」の意味・わかりやすい解説

海峡植民地
かいきょうしょくみんち
Straits Settlements

マレー半島の一部とその周辺諸島により構成された旧イギリス植民地。 18世紀末以来マレー半島を南下しつつあったイギリス東インド会社が,1826年にシンガポール,マラッカ,ペナンの3地域に対して与えた名称で,最初の 40年間はベンガル州政府に所属した。 32年にシンガポールが首都となり,58年のイギリス東インド会社の解散後は,イギリスの直轄植民地となった。 67年にインド総督の手に移管され,その後ペナン島対岸,北ボルネオのラブアン島,マレー半島西岸のバンコル島とその対岸地域,インド洋のクリスマス諸島,ココス諸島を加えた。軍事的,経済的重要性のためにイギリスはこの地域の確保に努めたが,第2次世界大戦中は日本軍に占領され,軍政が施行された。 1957年にマラヤ連邦が独立し,シンガポールはイギリス連邦内の自治領となった。さらに 63年にはマレーシア連邦が発足し,シンガポールはこれに参加したが,2年後に再び分離独立した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「海峡植民地」の解説

海峡植民地
かいきょうしょくみんち
Straits Settlements

マレー半島南部にあったイギリス植民地の総称
マラッカ・ペナン・シンガポールを合併して1826年に成立し,イギリス領インドの管轄下に置かれた。1867年にはイギリス本国の直轄領となり,シンガポールのイギリス総督が統治を行った。次いで北ボルネオの獲得,マレー半島内部への勢力拡大により,1895年マレー連合州が成立した。1957年,ペナン・マラッカはイギリス保護領のマレー連合州とともにマラヤ連邦を結成。シンガポールは1959年にイギリス連邦の自治領となったが,63年マレーシア連邦成立の際に合体した。しかし,政府のマレー人優遇政策を不満として,1965年に分離独立した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「海峡植民地」の解説

海峡植民地(かいきょうしょくみんち)
Straits Settlements

1826~1946年にマレー半島周辺地域に存続したイギリスの直轄植民地。ペナン(マレー半島のウェルズリー地方を含む),マラッカ(ディンディンス諸島を含む),シンガポール(ボルネオ北部のラブアン島を含む)の3地域からなる。当初イギリス東インド会社によって運営されたが,1867年から直轄植民地となった。

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世界大百科事典(旧版)内の海峡植民地の言及

【シンガポール】より

…イギリスはシンガポールで商品作物を生産して,それを輸出するために獲得したのであるが,商品作物の生産は成功せず,自由港として発展することになった。シンガポールなど3植民地の地位は24年の英蘭協約によって確認され,32年には海峡植民地としてまとめられた。イギリスは海峡植民地を基地としてマレー半島の諸国に徐々に政治的支配を及ぼし,95年にはマレー連合州を組織した(正式発足は翌年)。…

【マレーシア】より

…ナポレオン戦争が終わると,会社はムラカをオランダに返還したが,ラッフルズはオランダに対抗するために,マラッカ海峡の出口付近に根拠地を獲得することを主張し,1819年にシンガポールに植民地を獲得した。1824年に英蘭協約が締結され,ペナン,ムラカ,シンガポールが会社の植民地となり,海峡植民地と呼ばれた。シンガポールは自由港とされ,東南アジア地域の国際貿易の中心地として繁栄するようになった。…

※「海峡植民地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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