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デジタル大辞泉
「海音寺潮五郎」の意味・読み・例文・類語
かいおんじ‐ちょうごろう〔‐テウゴラウ〕【海音寺潮五郎】
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海音寺潮五郎
かいおんじちょうごろう
(1901―1977)
小説家。鹿児島県生まれ。本名末富東作。国学院大学卒業後、鹿児島県立指宿(いぶすき)中学校や京都府立第二中学校の教師を務めた。『うたかた草紙』(1929)、『風雲』(1932)が『サンデー毎日』の懸賞小説に入選したのち、1934年(昭和9)に教職を退き文筆に専念。36年『天正女(てんしょうおんな)合戦』『武道伝来記』で直木賞を受賞。『平将門(まさかど)』(1954~57)、『天と地と』(1960~62)、連作小説『二本(ふたもと)の銀杏(ぎんなん)』(1959~61)・『火の山』(1961~62)・『風に鳴る樹(き)』(1963~64)、史伝『武将列伝』(1959~60)、『悪人列伝』(1961~62)、『西郷隆盛(たかもり)』(1976~78)などが代表作。73年(昭和48)文化功労者に送ばれ、77年、芸術院賞が贈られた。男性的気概と詩情をたたえた歴史小説や、虚構を排し、高次元での文学としてまとまった史伝には、歴史文学としての傑作が多い。
[磯貝勝太郎]
『『海音寺潮五郎全集』全21巻(1969~71・朝日新聞社)』▽『尾崎秀樹著『海音寺潮五郎・人と文学』(1978・朝日新聞社)』
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「海音寺潮五郎」の意味・わかりやすい解説
海音寺潮五郎【かいおんじちょうごろう】
小説家。鹿児島生れ。本名末富東作。国学院大学高等師範部卒業。中学教師をつとめるかたわら創作に専心し,1929年《うたかた草子》が下期の《サンデー毎日》大衆文芸賞に入選,1932年には《風雲》が《サンデー毎日》の長編大衆文芸の懸賞小説に当選。教職を辞して,1936年《天正女合戦》で直木賞を受賞。歴史を題材とする小説に新境地をひらいた。1968年,〈歴史伝記文学作家としての努力と功績〉で菊池寛賞受賞。作品には《茶道太閤記》《二本の銀杏(ふたもとのぎんなん)》《孫子》《西郷隆盛》などがある。《平将門》《海と風と虹と》《天と地と》はNHKの大河ドラマの原作。
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海音寺潮五郎
かいおんじちょうごろう
[生]1901.3.13. 鹿児島
[没]1977.12.1. 黒磯
小説家。本名,末富東作。 1926年國學院大學高等師範部国漢科卒業。中学教師を務めるかたわら,1931年『サンデー毎日』の懸賞小説に応募,『風雲』が当選,1934年に退職して作家生活に入った。 1936年『武道伝来記』などで直木賞を受賞,大衆文学の代表作家と目された。『平将門』 (1954~55) ,上杉謙信の生涯を描いた『天と地と』 (1960~62) ,純友の乱を主題とする『海と風と虹と』 (1965~66) などのスケールの大きな歴史小説を次々に執筆,ライフワークとしていた『史伝西郷隆盛』を続稿中没した。 1973年文化功労者。 1977年日本芸術院賞受賞。
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かいおんじちょうごろう【海音寺潮五郎】
1901‐77(明治34‐昭和52)
歴史小説家。鹿児島生れ。本名末富東作。1926年(昭和1)国学院大学高等師範部を卒業,旧制中学の国語教師を務めながら《サンデー毎日》の懸賞小説に応募し当選,34年鎌倉に居を構えて作家生活に入る。36年,豊臣秀吉とその女性たちを描いた《天正女合戦》などで直木賞を受賞する。以後,《明治太平記》(1952),《蒙古来る》(1954),《平将門》(1955),《武将列伝》(1959‐63),上杉謙信を描いた《天と地と》(1962),《西郷隆盛》(1969)などの長編歴史小説に,その特色をあますところなくみせている。
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海音寺潮五郎 かいおんじ-ちょうごろう
1901-1977 昭和時代の小説家。
明治34年11月5日生まれ。昭和4年「うたかた草紙」が「サンデー毎日」大衆文芸賞に入選。11年「天正女合戦」「武道伝来記」で直木賞。「平将門」「天と地と」など歴史小説の分野で活躍した。48年文化功労者。52年芸術院賞。昭和52年12月1日死去。76歳。鹿児島県出身。国学院大卒。本名は末富東作。
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