精選版 日本国語大辞典 「淡海三船」の意味・読み・例文・類語
おうみ‐の‐みふね【淡海三船】
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奈良時代の文人、官人。大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)4世の孫で三船王とよばれたが、少年時に出家して元開(げんかい)と称し、751年(天平勝宝3)還俗(げんぞく)賜姓して淡海真人(まひと)三船となる。754年、来日した唐僧鑑真(がんじん)に親炙(しんしゃ)し、のちにその伝『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』を撰述(せんじゅつ)する。756年、藤原仲麻呂(なかまろ)(恵美押勝(えみのおしかつ))の讒(ざん)にあい、朝廷誹謗(ひぼう)の罪で捕らえられたが、まもなく許され、文武少輔(しょうふ)、侍従、東山道巡察使などの官を歴任し、大学頭(だいがくのかみ)、文章博士(もんじょうはかせ)となる。この間に「大安寺碑文」を撰述し、歴朝漢風諡号(かんぷうしごう)を撰進し、石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)とともに奈良朝末期の「文人の首(おびと)」と称された。極官は刑部卿(ぎょうぶきょう)・大学頭で因幡守(いなばのかみ)を兼ね、従(じゅ)四位下。なお、三船を奈良時代の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』の撰者に擬する説もあるが、未詳。
[藏中 進]
『藏中進著『唐大和上東征伝の研究』(1976・桜楓社)』
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722~785.7.17
名を御船とも。奈良後期の文人。天智天皇の皇子大友皇子の曾孫。父は葛野(かどの)王の子池辺王。751年(天平勝宝3)淡海真人(まひと)を賜姓。卒伝に「性識聡敏にして群書を渉覧しもっとも筆札を好む」とみえ,大学頭・文章博士(もんじょうはかせ)として石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)と並ぶ文人の首と称された。しかし756年(天平勝宝8)朝廷を誹謗したとして大伴古慈斐(こしび)とともに禁固された。恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で勢多橋を焼いてその一党を防ぎ,その功によって東山道巡察使に任じられたが,苛政のため767年(神護景雲元)解任。若い頃,元開という僧名を得たこともあり,外典・漢詩にもすぐれ,「続日本紀」「唐大和上東征伝」を撰した。
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…漢風諡は,大宝の《公式令》に定められたもので,文武天皇,光仁天皇等の称は,その例である。また神武天皇以下の諸天皇に対する諡は,淡海(おうみ)三船が勅命によって撰んだものと伝えられる。聖武天皇という名は,勝宝感神聖武皇帝という諡の略称である。…
…書名は〈先哲の遺風を懐(おも)う詩集〉の意をもつ。撰者はその序文に名を記さず,淡海三船(おうみのみふね)など数説にのぼり,最近白壁王(後の光仁天皇)説もあるが,未詳。冒頭に,梁の昭明太子編集の《文選(もんぜん)》の序などを参考にした序文を置き,日本の漢詩の歴史的展開を巧みに記し,さらに編集事情を述べる。…
…淡海三船(おうみのみふね)(元開)の著。1巻。…
※「淡海三船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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