天地万物が形成される以前の原初の状態。また,物事が混然としてひとつになっているさま。ギリシア語のカオスに相当する。中国では,渾沌,渾敦,,渾淪などと表記されることもある。《列子》天瑞篇では,気(物を形づくるガス状の物質)と形と質(物の性質)との三者が入りまじっている状態が渾淪と呼ばれており,やがてそこから天・地・人が分化していくという。三国時代呉の徐整の《三五暦紀》では,天地未分の混沌を鶏卵にたとえている。原初のカオスを卵でとらえるのは,ギリシアやフィンランドの神話にもみられるが,続いて《三五暦紀》は,盤古(ばんこ)なる人間がその卵中に生まれ,天と地が分かれるにつれ,その身体も天地につかえるほどに巨大化していったと述べている。同じ徐整の《五運歴年記》では,巨人盤古の死体から万物が化生するさまが記されている。おそらくこれは,カオスからコスモスが生じることの神話的表現であろう。
この盤古神話は,徐整以前の文献には見えず,はたしてこれが漢民族の最も古層の天地開闢(かいびやく)神話かどうか問題があるのだが,れっきとした古典である《春秋左氏伝》文公18年の条では,渾敦は擬人化されている。彼は帝鴻(こう)(=黄帝)の不肖の子で,悪行を改めなかったため尭(ぎよう)により世界の果てに追放されたという。カオス(渾敦)はコスモス(尭)の登場によって姿を消さねばならないのである。また,《山海経(せんがいきよう)》西山経によれば,天山に帝江(=鴻)という神が住み,その姿は黄色い袋のようでまっ赤な光を放ち,6本の足と4枚の翼をもっており,〈渾敦として面目は無〉いが,歌や踊りができるという。このように神話的世界における混沌は,悪・愚・醜なるものとしておとしめられているが,これをプラス価値に逆転させたのが荘子であった。彼はこの混沌の神話を次のような寓話として再生させる。南海の帝儵(しゆく)と北海の帝忽(こつ)(儵も忽も迅速・機敏の意)とが中央の帝渾沌の住む土地で出会ったとき,渾沌はこのふたりを手厚くもてなした。儵と忽はその厚遇にむくいるため,のっぺらぼうの渾沌を人間なみにしてやろうとして,その身体に毎日一つずつ穴をあけてやった。ところが七つの穴(耳二つ,目二つ,鼻孔二つ,口一つ)をあけ終わったとたん,渾沌は死んだというのである(《荘子》応帝王篇)。ここには,人間のさかしら(儵・忽)によって自然なるもの(渾沌)を破壊してはならぬ,という荘子の哲学が表明されている。
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執筆者:三浦 国雄
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…その多くは,単に宇宙形態に関するもののみならず,宇宙の始まりについての議論,超自然的な神とのかかわり,その中での人間の位置などに言及するのがふつうである。 メソポタミア文明としての古代バビロニアを支えたのは,基本的にはシュメールの伝統であるが,それを後継したカルデア人たちの整理によれば,宇宙は,混沌(こんとん)の中から現れた神々の激しい闘争の末に,最終的に勝利を収めた神マルドゥクが,天と地を分け,またそこに人間をつくった結果として誕生したものとされている。天は半球,大地は大洋とそれを取り巻く絶壁によって囲まれた高地であり,その中心からユーフラテス川が流れ出すと考えられたらしい。…
…秩序としてのコスモスに対立するギリシア語。〈混沌〉と訳される。この語の初出は前700年ころのギリシアの詩人ヘシオドスの《神統記》においてである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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