渋川伴五郎(読み)シブカワバンゴロウ

精選版 日本国語大辞典 「渋川伴五郎」の意味・読み・例文・類語

しぶかわ‐ばんごろう【渋川伴五郎】

  1. 江戸初期の柔術家。名は義方。紀伊(和歌山県)の人。渋川流の祖。関口流の柔術家関口氏業(うじなり)について学び、のち一派を創始した。代々子孫は伴五郎と称して流派を継いだ。承応元~宝永元年(一六五二‐一七〇四

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改訂新版 世界大百科事典 「渋川伴五郎」の意味・わかりやすい解説

渋川伴五郎 (しぶかわばんごろう)
生没年:1652-1704(承応1-宝永1)

江戸前期の柔術家。渋川流柔術の祖。字(あざな)は義方。生れは紀伊国和歌山県)とも大和国(奈良県)ともいう。紀州の関口流柔術を2代目関口八郎左衛門氏業(うじなり)に学び,免許を受けた。氏業に従って江戸に出,1698年(元禄11)47歳のときに芝に道場を設け,渋川流を名のり,大いに隆盛した。渋川流柔術を継ぐ者は代々伴五郎を襲名した。とくに4代伴五郎時英(1720-97)は渋川流中興の祖といわれ,学識技量ともに優れ,《柔術大成録》《柔術大意》などの伝書を残している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「渋川伴五郎」の意味・わかりやすい解説

渋川伴五郎
しぶかわばんごろう
(1652―1704)

柔術家、渋川流の祖。名は義方(よしかた)。紀州和歌山の生まれ。16歳のとき関口流2代、八郎左衛門氏業(うじなり)の門に入り、29歳で免許皆伝を許された。1681年(天和1)江戸に出て真田(さなだ)侯に仕え、信州松代(まつしろ)でも教授したが、やがて致仕して江戸に帰り、独立して山王町に道場武義堂(ぶぎどう)を開いた。その後98年(元禄11)芝切通しに道場を新築するころには、名声日々に盛んになり、門弟1000を数えた。

[渡邉一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渋川伴五郎」の解説

渋川伴五郎(4代) しぶかわ-ばんごろう

1720-1797 江戸時代中期の柔術家。
享保(きょうほう)5年生まれ。3代渋川伴五郎の子。家伝の柔術および長沼流兵学をきわめる。筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)藩主有馬頼貴(よりたか)につかえ,江戸邸に出仕。渋川流を体系づけ,渋川流中興の祖といわれる。寛政9年3月7日死去。78歳。名は時英。号は勝斎。著作に「柔術大成録」「薫風雑話」など。

渋川伴五郎(初代) しぶかわ-ばんごろう

1652-1704 江戸時代前期の柔術家。
慶安5年7月生まれ。関口流2代関口氏業(うじなり)に入門し,29歳で免許皆伝。郷里の紀伊(きい)和歌山に道場道凝館をひらく。天和(てんな)年間に江戸にでて,武義堂をひらき,おおくの門人をそだてた。渋川流の祖。宝永元年5月7日死去。53歳。本姓設楽(しだら)。名は義方。号は武義堂,文石。

渋川伴五郎(3代) しぶかわ-ばんごろう

1690-1763 江戸時代中期の柔術家。
元禄(げんろく)3年生まれ。渋川流2代渋川胤親(たねちか)にまなぶ。胤親の養子となり,のち3代をつぐ。長沼流兵学を佐枝政之進(さえだ-まさのしん)にまなび,兵学でも一家をなした。宝暦13年8月1日死去。74歳。本姓は和田。名は正倫,のち資矩(すけのり)。

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