精選版 日本国語大辞典 「渋川春海」の意味・読み・例文・類語
しぶかわ‐はるみ【渋川春海】
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江戸時代の天文暦学者。幕府の碁所安井算哲(さんてつ)(1590?―1652)の子として京都に生まれる。幼名六蔵、のち父の名を継ぎ算哲と称し、1692年(元禄5)命により、束髪して助左衛門と改称。字(あざな)は順正(のぶまさ)、広く春海をもって知られる。諱(いみな)は都翁(つつち)、号は新蘆(しんろ)。初め安井姓を名のったが、のち保井を用い、晩年には出身地にちなんで渋川を用いた。家業を継ぎ幕府碁所を勤めた。岡野井玄貞(げんてい)(生没年不詳)、松田順承に師事して暦算を学び、授時暦に通じた。21歳のとき西国諸州の緯度を測定、表を立て、天体の運行を測り、授時暦に範をとって大和暦(やまとれき)を作製した。当時用いられていた宣明(せんみょう)暦は施行八百有余年に及び、天象と2日も差が出ていた。改暦を請うこと三度、ようやくいれられて1684年(貞享1)10月29日大和暦が採用され、貞享暦(じょうきょうれき)と名を賜り翌年から施行された。功により碁所をやめて幕府初めての天文方に任ぜられた。家族を率いて江戸麻布(あざぶ)に居を移し、観測に従事し、本所二つ目に地を拝領、のち駿河台(するがだい)に地を賜り天文台を設けた。従来の七十二候を改めて新制七十二候をつくった。『天象列次之図』に次いで『天文分野之図』や、従来の中国の星座と新たに自ら選定した61座308星の観測に基づいて作製し、子の昔尹(ひさただ)(1683―1715)の名で刊行した『天文成象』がある。春海の天文学を集大成した『天文瓊統(けいとう)』や『日本長暦』、『日本書紀暦考』その他多くの著述がある。春海作の渾天儀(こんてんぎ)、天球儀、地球儀も現存する。儒学、神道(しんとう)、有職故実(ゆうそくこじつ)にも通じた。77歳で没したが、没後吉田家から土守霊社の諡(おくりな)を贈られた。品川東海寺に葬る。
[渡辺敏夫]
(中山茂)
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1639.閏11.-~1715.10.6
名は「しゅんかい」とも。江戸前期の天文暦学者。幕府碁師安井算哲の子。幼名は六蔵,のち助左衛門。京都生れ。姓はのちに保井,1702年(元禄15)渋川と改めた。14歳で父の跡を継いで碁所(ごどころ)を勤め,2代算哲と称した。1684年(貞享元)宣明暦改暦を建議,新暦(貞享暦)が採用され,翌年から施行された。初代の幕府天文方に任じられ代々世襲となる。著書に「日本長暦」「天文瓊統(けいとう)」などがあり,天球儀・渾天儀(こんてんぎ)・星図の製作も行った。
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…中国暦法の最高の傑作といわれる元の授時(じゆじ)暦の研究が盛んになるとともに,漢訳ながらも西洋天文学を伝える《天経或問(てんけいわくもん)》という本ももたらされた。これらの研究を進めるとともにみずからも観測を行い,初めて自国の暦法貞享(じようきよう)暦を作るのに成功したのが渋川春海であった。彼はその功績によって最初の天文方(てんもんかた)に登用された。…
…授時暦は江戸期の日本でさかんに研究され,建部賢弘の《授時暦諺解》が有名である。渋川春海は授時暦によって貞享暦(1685)を作り,麻田剛立は消長法を一般化させた。【橋本 敬造】。…
…長い年月にわたっての暦日をまとめたものを長暦という。初めての幕府天文方に任ぜられた渋川春海は,《日本書紀》にある神武天皇以来貞享1年(1684)に至る暦日,すなわち全年の毎月の朔を計算し,その干支,月の大小,閏月などを記した《日本長暦》(1677)を著した。これが最初に著された長暦である。…
…そのとき以来,国家の名で暦が編集され天象観測も実施されていたことが残された暦や多くの観測記録から推定されるが,国家天文台の状況をしるした文献は見つかっていない。下って江戸時代,貞享暦を作った渋川春海が幕府から天文方を委嘱され,元禄年間の1689年,本所に天文台用地を与えられた。その後幕府の天文台は1703年に駿河台へ移り,46年には神田佐久間町に,65年には牛込袋町に,82年には浅草片町裏へと何度も移設されている。…
…しかし8世知得仙知(1776‐1838)は,11世本因坊元丈と生涯を通じての好敵手として総局数77局を戦い,戦績はまったく互角で,それぞれ名人の実力を有しながら,互いにゆずり合って準名人のままで終わったと伝えられる。また1世算哲の子で1683年(天和3)まで御城碁(おしろご)を務めた渋川春海は暦学者として有名。林家は本因坊算砂時代の高手鹿塩利賢(かしおりげん)に学んだ林門入斎(もんにゆうさい)(1583‐1667)に発し,代々門入を名のった。…
※「渋川春海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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