渋川 驍
シブカワ ギョウ
昭和・平成期の小説家,文芸評論家
- 生年
- 明治38(1905)年3月1日
- 没年
- 平成5(1993)年1月24日
- 出生地
- 福岡県嘉穂郡穂波町
- 本名
- 山崎 武雄
- 別名
- 別名=町田 純一(マチダ ジュンイチ)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大文学部倫理科〔昭和5年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 平林たい子文学賞(第11回)〔昭和58年〕「出港」,芸術選奨文部大臣賞(第25回)〔昭和49年〕「宇野浩二論」
- 経歴
- 在学中、高見順、中村光夫らと共に「集団」を結成、同誌廃刊後、「日暦」同人に加わる。昭和9年「竜源寺」を発表し、広津和郎に激賞される。以後10年代には「樽切湖」「浅瀬」「外套」などを刊行。21年「柴笛」を刊行。戦中戦後を通じて、堅実な作風を固守し、近代文学の作家・作品論にも造詣が深い。自伝的長編小説「出港」で、58年度の第11回平林たい子賞を受賞。ほかの代表作に「銀色の線路」「議長ソクラテス」「黒南風」「ガラス絵」、評論として「森鷗外」「島崎藤村」「宇野浩二論」「書庫のキャレル―文学者と図書館」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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渋川驍
しぶかわぎょう
(1905―1993)
小説家、評論家。福岡県生まれ。本名は山崎武雄。町田純一の筆名もある。東京帝国大学倫理学科卒業。在学中にマルキシズムの影響を受け、1933年(昭和8)には高見順らと同人誌『日暦』を創刊。ここに連載した『龍源寺(りゅうげんじ)』(1934)をはじめ、『柴笛(しばぶえ)』(1946)などじみで堅実な作風を貫き、時流に抗した。そうした姿勢は戦後の文芸批評にも現れ、『森鴎外(おうがい)』(1959)、『島崎藤村(とうそん)』(1961~62)、『宇野浩二論』(1974)など、実作者の眼(め)からの透徹した作家論がある。
[宗像和重]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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渋川驍 しぶかわ-ぎょう
1905-1993 昭和-平成時代の小説家,評論家。
明治38年3月1日生まれ。「日暦」「人民文庫」などに参加,昭和9年「竜源寺」,11年「樽切(たるきり)湖」を連載し,堅実な作風でみとめられる。戦後は文芸評論も手がけ,50年「宇野浩二論」で芸術選奨,58年長編小説「出港」で平林たい子文学賞。平成5年1月24日死去。87歳。福岡県出身。東京帝大卒。本名は山崎武雄。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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渋川 驍 (しぶかわ ぎょう)
生年月日:1905年3月1日
昭和時代;平成時代の小説家;文芸評論家
1993年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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