百科事典マイペディア 「渋染一揆」の意味・わかりやすい解説
渋染一揆【しぶぞめいっき】
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江戸末期、岡山藩内で起こった身分差別反対一揆。岡山藩では1855年(安政2)12月に穢多(えた)の衣類を渋染めか藍(あい)染めに限定する「別段御触書(おふれがき)」を出したが、こうした差別の顕在化に反対し、翌年に藩内50の被差別部落が結集して惣寄合(そうよりあい)を結成し、触書の撤回を嘆願した。これが差し戻されると、闘いは小前(こまえ)層を中心とする強訴(ごうそ)へと発展、大庄屋(おおじょうや)や村役人の説得を無視して、家老伊木若狭(いぎわかさ)の虫明(むしあげ)陣屋へと行動を起こした。藩内では穢多からの嘆願書をめぐって対立もあったが、「別段御触書」を空文化することになり、一揆の目的は達せられた。しかし、その後に指導者の検挙と処罰が行われ、同時に郡方役人や村方役人も、その指導が適切でなかったとして処罰を受けた。この一揆は、藩の農民に対する収奪路線の一環として、部落差別を強化しようとしたとき発生したものである。
[三好昭一郎]
1856年(安政3)岡山藩の差別規制強化に反対して穢多身分の者がおこした一揆。藩が前年に出した倹約令29カ条のうち,穢多身分を対象とした部分で,衣類を無紋の渋染・藍染とするとした規制に反対する一揆だったので,この名がある。主張は,自分たちは高(田畑)を所持し,年貢も納める農民で百姓と差別されては困るという論理であった。1月に竹田村紋次郎や国守村豊吉が中心となり,領内53カ村をとりまとめて嘆願に及んだが,3カ月後に差し戻された。このため強訴(ごうそ)参加の廻状が回され,6月13日,吉井川の八日市(ようかいち)河原に約1500人が結集した。一揆勢は3日2夜の交渉の末,筆頭家老伊木若狭に嘆願書を届けることができ,闘いの結果,新たな身分規制を事実上撤回させることに成功した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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