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デジタル大辞泉
「渋江抽斎」の意味・読み・例文・類語
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渋江抽斎【しぶえちゅうさい】
森鴎外の史伝。1916年《大阪毎日新聞》《東京日日新聞》に連載。江戸末期の津軽藩医で考証学者であった渋江抽斎〔1805-1858〕を中心に,夫人五百(いお),娘陸(くが)や知人,師弟から子孫に及び,維新前後の歴史を背景に豊富な資料と客観的方法をもって描く。格調高い作品で,鴎外の作品中でも傑作とされている。
→関連項目伝記
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渋江抽斎 しぶえ-ちゅうさい
1805-1858 江戸時代後期の医師,儒者。
文化2年11月8日生まれ。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩医の子。医学を伊沢蘭軒(らんけん),儒学を狩谷棭斎(かりや-えきさい)らにまなぶ。弘前藩医をへて,幕府医学館躋寿館(せいじゅかん)の講師となり,「医心方」の校訂にあたる。考証学に通じ,森立之(りっし)らと「経籍訪古志」をあらわした。安政5年8月29日コレラで死去。54歳。名は全善(かねよし)。字(あざな)は道純,子良。
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しぶえちゅうさい【渋江抽斎】
森鷗外の史伝。1916年(大正5)に《東京日日新聞》《大阪毎日新聞》に連載。津軽藩の侍医で,考証学者としても知られた渋江抽斎(道純,1805‐58)の伝記。医にして文業を遺し,幕藩体制の内部を自在に生きた抽斎の生涯を,鷗外は自己の経歴と重ねながら共感と憧憬をこめて描く。資料の大部分は抽斎の三男保の提供したものだが,伝記の空白を埋める調査・考証の過程を伝と併行して描くという史伝の新しい領域を開いている。
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渋江抽斎
しぶえちゅうさい
[生]文化2(1805).11.8. 江戸
[没]安政5(1858).8.29. 江戸
江戸時代末期の漢方医。字は道純または子良,抽斎は号。森鴎外の史伝小説で有名であるが,医学を伊沢蘭軒,儒学を市野迷庵,狩野掖斎らに学び,考証家として当代無比といわれた。弘化1 (1844) 年幕府が医学館を一般医師に開放した際に抽斎もその講師の一人に選ばれた。著書『素問識小霊枢講義』『経籍訪古志』 (森枳園と共著) など。
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渋江抽斎 (しぶえちゅうさい)
生年月日:1805年11月8日
江戸時代末期の儒医;考証学者
1858年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報