渡辺美智雄(読み)わたなべみちお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渡辺美智雄」の意味・わかりやすい解説

渡辺美智雄
わたなべみちお

[生]1923.7.28. 栃木
[没]1995.9.15. 東京,新宿
政治家職業軍人であった渡辺喜助の二男として出生した。栃木県の旧制大田原中学校(今日の栃木県立大田原高等学校)を卒業後,陸軍士官学校の受験に失敗し,東京商科大学(今日の一橋大学)に入学,第2次世界大戦により繰り上げ卒業し,学徒出陣した。戦後,読売新聞社記者や税理士を経て,1955年の栃木県議会議員選挙に初当選。1963年の衆議院議員総選挙で,栃木1区から自由民主党公認候補として初当選し,国政入りした。当選 11回。自由民主党では当初,河野一郎河野派に所属したが,河野の急死派閥が分裂すると中曽根康弘率いる政策科学研究所中曽根派)に属した。1980年に温知会を結成。厚生大臣,大蔵大臣,通商産業大臣,党政調会長などの要職歴任して頭角を現し,竹下登宮沢喜一安倍晋太郎とともに「ニューリーダー」と称されたが,リクルート事件で失速した。1990年に派閥を継承して渡辺派を率い,1991年と 1993年の自由民主党総裁選挙に出馬したが敗れた。自由民主党が野党であった 1994年,連立与党側から,自由民主党からの離党条件に内閣総理大臣候補とするという打診があったが,断った。1995年膵臓癌のため死去

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20世紀日本人名事典 「渡辺美智雄」の解説

渡辺 美智雄
ワタナベ ミチオ

昭和・平成期の政治家 衆院議員(自民党);元・副総理;元・外相;元・蔵相



生年
大正12(1923)年7月28日

没年
平成7(1995)年9月15日

出生地
栃木県那須郡那須町

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)附属商学専門部〔昭和19年〕卒

経歴
終戦後、行商、税理士などを行い、昭和30年栃木県議を振り出しに政界入り、38年栃木1区から衆院議員に当選。以来、連続当選11回。51年厚相、53年農相を歴任。55年鈴木内閣の蔵相となり、財政再建尽力。テレビ、マスコミにしばしば出演、ミッチーの名で親しまれる。60年12月第2次中曽根第2回改造内閣の通産相に就任。62年自民党政調会長を務め、平成2年2月旧中曽根派を引き継ぎ、渡辺派領袖となる。3年宮沢内閣の副総理・外相。5年4月病気のため辞任。同年7月総裁選に立候補したが、河野洋平に敗れた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺美智雄」の解説

渡辺美智雄 わたなべ-みちお

1923-1995 昭和後期-平成時代の政治家。
大正12年7月28日生まれ。栃木県議をへて昭和38年衆議院議員(当選11回,自民党)。48年青嵐(せいらん)会をつくる。福田内閣の厚相をはじめ,農水相,蔵相(2回),通産相,党政調会長などを歴任。63年に表面化したリクルート事件に関与。平成2年から渡辺派をひきい,3年副総理兼外相。渡辺喜美(よしみ)の父。平成7年9月15日死去。72歳。栃木県出身。東京商大(現一橋大)卒。

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367日誕生日大事典 「渡辺美智雄」の解説

渡辺 美智雄 (わたなべ みちお)

生年月日:1923年7月28日
昭和時代;平成時代の政治家。衆院議員;副総理;外相;蔵相
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報