湖出市十郎(読み)こいでいちじゅうろう

改訂新版 世界大百科事典 「湖出市十郎」の意味・わかりやすい解説

湖出市十郎 (こいでいちじゅうろう)

長唄唄方。3世(一説には4世)を数えるが,初世が著名。(1)初世(?-1800(寛政12)) 初世吉住小三郎の門弟初名吉住市十郎。1747年(延享4)ころから森田座に出勤。のち岡田市十郎と改め,さらに初世富士田吉次に師事して,富士田市十郎と改め,68年(明和5)より湖出市十郎を名のる。明和から寛政期(1764-1801)の代表的な唄方で,とくにめりやす物を得意とした。1778年(安永7)2世湖出金四郎を名のったが,まもなく市十郎にもどる。晩年大坂におもむき江戸長唄を広めた功績は大きい。95年(寛政7)一声と改名する。めりやす《黒髪》の初演者として名高い。(2)2世(?-1803(享和3)) 初世の門弟。初名文治,前名市五郎,95年市十郎を襲名する。《木賊刈(とくさかり)》の初演者である。(3)3世 生没年不詳。文政天保期(1818-44)ころ,大坂の劇場で活躍する。なお,この3世を4世とし,3世には女性(初世あるいは2世の妻女か)が襲名したという説もあるが,明らかではない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湖出市十郎」の意味・わかりやすい解説

湖出市十郎(1世)
こいでいちじゅうろう[いっせい]

[生]?
[没]1800
長唄唄方。1世吉住小三郎および1世富士田吉次に師事,明和5 (1768) 年,湖出市十郎と称する。メリヤスを得意とする。天明4 (84) 年,江戸中村座の顔見世興行地歌を江戸化したメリヤス『黒髪』を歌って名をあげた。なお,湖出市十郎は湖出派の家元名でもあり,3世まで続いたが,現在は絶えている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湖出市十郎」の解説

湖出市十郎(初代) こいで-いちじゅうろう

?-1800 江戸時代中期-後期の長唄唄方。
江戸長唄の初代富士田吉治らに師事し,明和5年湖出市十郎を名のる。「黒髪」などのめりやす物を得意とし,晩年は大坂で江戸長唄をひろめた。一時,2代湖出金四郎を称した。寛政12年9月12日死去。初名は吉住市十郎。前名は岡田市十郎,富士田市十郎。俳名は一声。

湖出市十郎(3代) こいで-いちじゅうろう

?-1859 江戸時代後期の長唄唄方。
文政-天保(てんぽう)のころ大坂で活躍し,3代市十郎をつぐ。安政6年死去。なお,この3代はじつは4代で,初代または2代の妻が3代をついだという説もある。

湖出市十郎(2代) こいで-いちじゅうろう

?-1803 江戸時代中期-後期の長唄唄方。
初代湖出市十郎の弟子。湖出文次,市五郎をへて,寛政7年に2代市十郎をつぎ,立唄(たてうた)となった。享和3年1月19日死去。

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世界大百科事典(旧版)内の湖出市十郎の言及

【黒髪】より

…(1)地歌 (a)繁太夫物《髪梳き》の別称。(b)湖出(こいで)市十郎作曲と伝えられる三下り端歌。鈴木万里が流行させ,また,津山検校が得意として,その歌い方を〈津山ぶし〉といった。…

※「湖出市十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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