②は、西洋近代の演劇用語の翻訳で、小山内薫が使い始めたものであるという。
演出とは,舞台のために書かれた戯曲に,あらゆる方法によって魂を与え,光を与え,生命を与えることである。戯曲を上演するためには,その中心となる俳優の演技をとりまく舞台装置,照明,音楽,音響効果などさまざまな要素が必要であるが,そのすべてを統一して調和させるのが演出の仕事である。演出家の使命は現代演劇の発展とともに重要性を増してきたが,この役割は演劇の歴史とともにあったといえる。ギリシア時代には,作者がしばしば演出,俳優,合唱隊長を兼ね,執政官は富める市民を選び出して合唱団の組織,衣装の調達など劇上演の管理にあたらせた。中世の宗教劇では僧侶がこの任にあたった。スペクタクル性に富んだ中世劇では,作家の創造力よりも芝居を統合する指導者の力が強かったが,これはギリシアと異なり,一人として偉大な詩人を生み出しえなかったためであろう。近世以後は,フランスのモリエールが作者と俳優を兼ねて一座の中心となったように,座頭俳優がこの役割をつとめた。
演出が独自の機能をもちはじめたのは,ヨーロッパでは近代劇の確立した19世紀の終りである。近代文明社会の成熟によって演劇は急激に商品化していき,特定の俳優を舞台の前面に押し出すことに腐心し,全体の調和を高めることは忘れがちであった。このスター・システムを排して舞台に統一をもたらしたのは,ドイツのザクセン・マイニンゲン公ゲオルク2世だった。1874年から90年にかけて彼の劇団マイニンゲン一座はヨーロッパ各地の都市を巡演したが,その集団的演技による群衆処理と写実的な演出は,各国の近代劇運動に大きな影響を与え,数多くの新しい演出者が登場してきた。戯曲の言葉を重視し,自然主義を徹底させた自由劇場Théâtre Libreを創設(1887)したフランスのA.アントアーヌ,V.I.ネミロビチ・ダンチェンコとともにモスクワ芸術座を結成(1898)してチェーホフ,ゴーリキーらの新しい戯曲をとりあげ,リアリスティックな俳優術を探究したK.S.スタニスラフスキーなどすぐれた演出家が生まれてきた。イギリスのE.H.G.クレーグは演出の概念を徹底化し,理論的考察を与えた最初の人である。彼は,日常的な生活感がにじみでる写実的な舞台を拒否しようとし,劇作家,舞台装置家,俳優の上に演出家の絶対主権を主張し,俳優に生ける人形であることを要求した。また,スイスの舞台装置家アッピアAdolphe Appiaは,照明と彫塑的な装置による俳優活用の演出を主張した。
20世紀に入るとドイツのM.ラインハルトは豊かな想像力と構成力によって絢爛,雄大な演出力を示したが,すぐれた俳優指導者でもあった。ドイツではさらに叙事演劇の先駆者E.ピスカートルが政治的直接行動をめざすプロレタリア劇場を創設(1920)したが,彼の協力者であるB.ブレヒトによって,ひきつづき叙事演劇による異化効果が探究された。ブレヒトは舞台に真実らしい幻想をつくりだすことを拒否し,観客を劇の世界に同化させないよう,その意識をたえず現実に引き戻す工夫をした。ソ連では,モスクワ芸術座の写実主義的傾向にあきたらず,独創的な肉体訓練を俳優に実践させ,世界の前衛的な芸術運動に多大な影響を与えたV.E.メイエルホリドが,反リアリズム,抽象美の舞台をつくりあげた。フランスではJ.コポーが,ビュー・コロンビエ座を創設(1913),裸の舞台で,戯曲を尊重し,俳優に自由な演技を求めた。イギリスではH.G.バーカーが内的真実を強調しつつ,シェークスピアを現代に復活させた。
このようなヨーロッパ演劇の影響を受けて,1907年前後から日本でも,坪内逍遥,小山内薫,島村抱月らによって近代的な演出が行われるようになった。24年土方与志と小山内らによって築地小劇場が設立されて以後,劇の上演にとって演出の仕事は切り離すことのできないものとなり,この流れは太平洋戦争終結後に復活した新劇運動の中心となった村山知義,千田是也らの演出家にひきつがれ定着した。
演出の方法には一定の方式というものはなく,演出家の個性が各人各様の主張をもって舞台に反映されるとき,その多様性が演劇そのものの魅力となりうる。現代演劇にとって演出は,劇上演のかなめとなるものだが,すぐれた演出家は熱意と同時に謙虚に劇作品に奉仕し,演出自体の華やかさや,戯曲に対する賞賛とかけはなれた喝采を求めるべきではない。戯曲に演出が服従するという基本原則は,その必然的な帰結として,戯曲とその上演様式との一致を生み出す。演出家は,自己革新の能力をそなえていて,自分の演出する作品に適応することが必要である。演出が俳優の仕事と同じく一時的なもので,決して永遠性を望みえない芸術であるからといって,その役割が軽いとはいえない。演出家の夢は,アイスキュロスやシェークスピアやラシーヌなどがもつ永遠性の中から,舞台に小宇宙をつくりだし,観客と共有することでもあるからである。
演出家の実際の仕事は,まず上演台本に対する正確な理解と演出家自身の解釈から導き出された演出プランにしたがって,配役をしスタッフを編成することから始まる。その演出方針にしたがって,具体的な形象に進んでいくのであるが,稽古にあたっては,俳優が役をつかみ,与えられた状況のなかに生き,他の登場人物と正しく交流して戯曲全体の一貫した流れをつくりだすようにつとめる。この過程で,演出家は俳優の個性をよく見ぬき,俳優が作者や演出家の意図をどこまで理解しているかを洞察して,俳優の良い鏡になることが必要である。また俳優の創意を尊重し,想像力を刺激しながら,俳優がなんらの強制も感じないような仕方で演出の線にそうよう導かねばならない。それと同時に,装置,照明,音楽などの各パートのプランを稽古の進行に合わせて検討し,舞台稽古で俳優の演技とすべての補助手段をかみ合わせて初日を迎える。このように演出家には多方面の能力が必要で,演劇に関する知識や経験,俳優体験とともに,豊かな人間性,広い教養,強い意志力と想像力,それに柔軟な包容力が要求される。
20世紀の後半にいたって世界の演劇は混沌として変動をくりかえし,既成の演劇概念は破壊されているが,現代の新しい演劇を求める風潮の中で,演出家はより主導的な役割を果たすようになっている。新しい演劇を求める演出家たちは,さまざまな模索を重ねながら,俳優と観客との人間的な,生きた関係を導き出す舞台空間をつくりだそうとしているのである。演劇は,どんな短いものでも出発点があり,それが時間とともに発展してやがて終局にいたる,人間をテーマにしたひとつながりの劇的な行為を描かなくてはならない。したがって演劇は人生の真実の投影であり,〈全世界は劇場なり〉(シェークスピア)とは,人生のすべては劇的であるとともに,劇場というものが人生の真実の発現の場であることも意味している。映画,テレビの発達は,一見演劇を圧迫しているように見えるが,観客とともにつくっていく生きた演劇だけがもつ特色は,逆にその魅力を増している。また小劇場運動の隆盛が世界的傾向になっているのも,いよいよ技術万能の時代に,人間の生きる意味を,肌と肌とを触れ合わせながら真剣に問い直そうという一つの現れであるといえよう。このような演劇状況のなかで,演出の確立,演出優位が演劇界の潮流となりつつあるのは,演劇が芸術としての自律性,独立性を守ろうとしているからである。19世紀後半以後における世界の演劇運動の先頭に立って,新しい息吹を注入した演出家たちの歴史が,そのことを明瞭に物語っている。
→映画 →演技 →演劇 →戯曲
執筆者:増見 利清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
観客の前で公演される劇作品の創造各部門を統括する役割を演出といい、その統括者が演出家である。演出家の役割は、上演台本の検討に始まり、演技、装置、照明、衣装、音楽、振付け、効果など各部門の能力を一定の芸術的意図のもとに総合し、舞台に定着させるまでの創造作業を具体的に指揮、総括する。なお、公演初日以降の舞台上の統括は舞台監督の責任となるのが通例である。演出が重要視されだしたのは、各部門が専門分化する近代以降である。
英語ではプロデュースproduce(劇作品の制作、上演)、またはステージ・ディレクトstage direct(舞台の指揮、監督)といい、演出家をディレクターdirectorとよぶことが多い。フランス語ではミザンセーヌmise en scène(舞台化)の語をあて、中国では「導演(タオイエン)」の語をあてる。日本では大正末ごろまで「舞台監督」の訳語をあてていたが、やがて舞台監督と職能的に区別するために築地(つきじ)小劇場時代に「演出」の訳語がしだいに定着し、その後、映画、ラジオ、テレビなどの分野にも波及した。また「プロデュース」は経済的責任をもつ「制作」の概念が欧米や日本で一般化してきた。
近代以前、演出機能を担う者は、上演集団の作者や指導的俳優であり、また両者の協同作業によったとされる。古代ギリシア悲劇の父アイスキロスは、作者にとどまらず合唱隊長、俳優も兼ね、衣装、仮面、装置など舞台化の実際面や稽古(けいこ)進行の責任つまりは演出を担当し、ソフォクレスはそれらを合唱隊長に委任したと伝えられる。中世の宗教劇では上演監督者の僧侶(そうりょ)がそれらの役割を担当したらしいことを中世絵画は伝えている。ルネサンス以降は、シェークスピアやモリエールのように作者兼俳優兼劇団主宰者が演出の役割を担当した。能や歌舞伎(かぶき)では一座の座頭(ざがしら)役者が演出家を兼ねていた。
1860年、ドイツのゲオルク2世大公(1826―1914)がマイニンゲン市に自ら宮廷劇場を建て、劇場長をも務め、従来のスター・システム的な主役中心主義を否定した集団的アンサンブル・システムをつくりだし、装置も改革して舞台造形の立体化を図った。そしてマイニンゲン公劇団の全ヨーロッパ公演(1874~1890)を実現させ、大きな衝撃をヨーロッパの演劇界に与えた。当時はイプセン作『人形の家』(1878)など近代の自然主義的戯曲が生まれた時期でもあり、ついでフランスのアンドレ・アントアーヌの自由劇場創立(1887)に代表される自然主義的演劇運動が各国で展開される時代でもあった。つまり、19世紀末の近代自然主義演劇成立とともに、舞台機構も複雑化し、それらを統括する演出機能が確立されていったのである。以後モスクワ芸術座のスタニスラフスキーら、各国に優れた演出家が輩出し、それぞれの演出理念を舞台上に展開した。なかにはイギリスのゴードン・クレイグのように、演出の絶対的支配権を主張する者まで現れた。
日本では明治末期の文芸協会や自由劇場による演劇近代化運動の深まりにつれ、坪内逍遙(しょうよう)、島村抱月(ほうげつ)、小山内薫(おさないかおる)らにより近代的演出機能が確立され、大正末期の築地小劇場創立(1924)とともに、現在に至る演出の基盤がつくられた。こうして20世紀以降、演出者中心の舞台創造が行われるようになった。一方、演出権の強化に対抗して演技者の主体確立を叫ぶ主張も高まった。
新劇系に対し、小劇場系といわれる1960年代以降の若手劇団には、唐十郎(からじゅうろう)のように作者兼俳優兼演出者兼劇団主宰者が現れ、平田オリザ(1962― )のように作者および劇団主宰者が演出を担当することが多くなり、作・演出の一体化傾向が強まっている。21世紀初頭の代表的演出家としては、静岡県立劇場総監督の鈴木忠志(ただし)(1939― )、劇団四季の浅利慶太(あさりけいた)(1933―2018)、フリーの蜷川幸雄(にながわゆきお)などがいる。
[石澤秀二]
『ポール・ブランシャール著、安堂信也訳『演出の歴史』(1961・白水社)』▽『木村光一著『劇場で対話は可能か――演出家のノート』(1985・いかだ社)』▽『鈴木忠志著『演劇とは何か』(1988・岩波書店)』▽『野田雄司著『演出のすすめ方――確かな劇創りに』(1992・青雲社)』▽『サン・キョン・リー著、田中徳一訳『東西演劇の出会い 能、歌舞伎の西洋演劇への影響』(1993・新読書社)』▽『鈴木忠志著『演出家の発想』(1994・太田出版)』▽『山内登美雄編『ヨーロッパ演劇の変貌――ゲオルク二世からストレーレルまで』(1994・白凰社)』▽『佐々木健一著『演出の時代』(1994・春秋社)』▽『井上ひさし編『演劇ってなんだろう』(1997・筑摩書房)』▽『浅利慶太著『浅利慶太の四季 著述集2 劇場は我が恋人――演出ノート選』(1999・慶応義塾大学出版会)』▽『風間研著『舞台の上の社会』(2000・みすず書房)』
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…したがって本項目では,演劇という営為と体験の基底をなすと考えられる特性について,上記4要素とその相関性についての問いを考慮に入れつつ,主として日本演劇と西洋演劇に具体例を借りて,概略を記述してみる。
【観客――視覚の二重性】
現代イギリスの演出家で1960年代末から主としてフランスで活躍しているP.ブルックは,その《なにもない空間》の中で次のような趣旨のことを述べている。〈どこでもいい,なにもない空間。…
…現実の行動が“する”ことのなかに“見る”ことを含んでいるように,演技は演じることのなかに読むことを含み,戯曲の構造に対応して,それ自体のなかにまた重層構造を秘めている。近代の演劇においては,しばしば俳優の仕事から演出という役割が独立し,これが演技の“読む”側面を分担しているが,この事実は演技そのものの両義的な性格を明示している,と考えられる。演劇脚本レーゼドラマ【山崎 正和】。…
※「演出」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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