瀬戸英一(読み)セト エイイチ

20世紀日本人名事典 「瀬戸英一」の解説

瀬戸 英一(1代目)
セト エイイチ

大正・昭和期の劇作家,劇評家,小説家



生年
明治25(1892)年7月21日

没年
昭和9(1934)年4月11日

出生地
大阪府大阪市曽根崎新地

別名
筆名=閻太郎,碧虚郎

学歴〔年〕
大倉商中退

経歴
岡鬼太郎に師事し、閻太郎の筆名で国民新聞などに劇評を発表。大正元年伊井蓉峰一座座付作者となり「報恩美談」を発表。5年松竹文芸部に入り「人来鳥」「小猿七之助」「夜の鳥」など約100篇の作品を発表し、昭和6年発表の「二筋道」がヒットし、翌年にかけて8篇の連作を上演した。花柳界義理人情をあつかった作品が多く、昭和期における新派劇復興のきっかけを作る。そのかたわら第三次「劇と評論」の編集を担当し、また花柳小説も多く発表した。没後の11年「瀬戸英一情話選集」「瀬戸英一脚本選集」が刊行された。


瀬戸 英一(2代目)
セト エイイチ

昭和期の俳優



生年
明治34(1901)年6月16日

没年
昭和37(1962)年12月23日

出生地
東京市京橋区(現・東京都中央区)

本名
瀬戸 日出夫

経歴
幼時から舞台出演。明治41年有楽座で巌谷小波お伽芝居に出演、伊井蓉峰に認められて新派に入り、名子役として「高野義人」の貞助、「ルイズの最後」のトミなどで人気を得、歌舞伎にも出た。成人して女形の脇役。昭和10年長兄没後、2代目瀬戸英一を襲名。14年花柳章太郎らの新生新派結成に準同人となり、2代村田正雄とのコンビで活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「瀬戸英一」の解説

瀬戸 英一(2代目)
セト エイイチ


職業
俳優

本名
瀬戸 日出夫

生年月日
明治34年 6月16日

出生地
東京市京橋区(東京都 中央区)

経歴
幼時から舞台出演。明治41年有楽座で巌谷小波のお伽芝居に出演、伊井蓉峰に認められて新派に入り、名子役として「高野義人」の貞助、「ルイズの最後」のトミなどで人気を得、歌舞伎にも出た。成人して女形の脇役。昭和10年長兄没後、2代目瀬戸英一を襲名。14年花柳章太郎らの新生新派結成に準同人となり、2代村田正雄とのコンビで活躍した。

没年月日
昭和37年 12月23日 (1962年)

家族
父=瀬戸 半眠(小説家),兄=瀬戸 英一(初代)(劇作家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬戸英一」の解説

瀬戸英一(初代) せと-えいいち

1892-1934 大正-昭和時代前期の劇作家。
明治25年7月21日生まれ。岡鬼太郎に師事して劇評をかく。大正元年伊井蓉峰(ようほう)一座の座付作者となる。のち松竹でおおくの新派劇の脚本を執筆。昭和9年4月11日死去。43歳。大阪出身。筆名は閻太郎。作品に「人来鳥(ひとくどり)」「二筋道」など。

瀬戸英一(2代) せと-えいいち

1901-1962 昭和時代の舞台俳優。
明治34年6月16日生まれ。新派の子役で活躍。長兄の初代瀬戸英一の死後,昭和10年歌舞伎座で2代を襲名。14年花柳章太郎らの新生新派結成に参加。わき役の女方をつとめた。昭和37年12月23日死去。61歳。東京出身。本名は日出夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「瀬戸英一」の解説

瀬戸 英一(初代) (せと えいいち)

生年月日:1892年7月21日
大正時代;昭和時代の劇作家;劇評家;小説家
1934年没

瀬戸 英一(2代目) (せと えいいち)

生年月日:1901年6月16日
昭和時代の舞台俳優
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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