精選版 日本国語大辞典 「灌漑」の意味・読み・例文・類語
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農地に人為的に水を注ぐこと。作物に限らず一般に植物は増加乾物重(成長に伴う生体重量増加分から含水重量を除いたもの)の数百倍の水を根から吸収して葉から蒸発させ(蒸通発という)ながら成長する。この作物の必要水量に都合よく雨が降れば、あえて灌漑する必要はない(そのような作物栽培を天水農業という)。しかし一般に年降水量が500ミリメートル以下の乾燥地域(たとえば中東、北アフリカ地域など)では灌漑なしには作物栽培は困難であり、湿潤多雨地域でも年間の降雨分布が作物栽培上不適当な地域(たとえば日本を含めた東南アジア地域など)では灌漑が必要となる。
灌漑の目的は、まず作物の生育に必要な水を、降雨を補って人為的に供給することであるが、それに限られるものではない。栽培技術の進歩に伴って多様な目的に使われるようになっている。たとえば施肥、農薬散布、除草などに際して、肥料や薬剤を溶かした水を散布する方法で省力化することが多くなってきており、地域によっては除塩、潮風塩害防止、高温障害防止、凍霜害防止、冷温障害防止などのために灌漑を行うし、さらに播種(はしゅ)、耕うん、移植、収穫などの作業能率をあげるために灌漑を行う場合もある。これらは多目的灌漑と称される。
古くから灌漑用水は洗濯など生活用水としても用いられてきたが、近年では施設園芸や畜産の増加に伴い、それらの用水としても用いられる。その結果、灌漑はいまや農村地域の総合用水という性格のものになっている。
[志村博康・冨田正彦]
灌漑は大別して水田灌漑と畑地灌漑とに分けられる。両者の違いはおもに水管理と用水量の差に現れる。水田灌漑は水田での常時湛水(たんすい)を目的として行われるので、日本ではほぼ毎日の連続的灌漑となる。地域によっては、かけ流しといって、水田に水を入れっぱなしにする場合もある。水田の水管理は一般に畑に比べて粗放的となり、用水量も大きな値となる。水田灌漑の必要水量は主として減水深(給水しない場合に水田湛水位が低下する1日当りの値。蒸発散量と浸透量の和)で規定される。日本では、地域によって異なるが20ミリメートル前後の値になることが多い。その場合の単位用水量(給水のための原単位)はヘクタール当り約2リットル/秒となる。日本以外の東南アジアや欧米の水田では単位用水量を概算値としてヘクタール当り約1リットル/秒とするのが一般的である。日本以外では水田灌漑においても数日おきに給水する間断灌漑が一般的である。
畑地灌漑は土壌への水分補給を図りつつ、あわせて先述の多目的水利用を行うのが一般的で、日本では、だいたい4~6日おきに給水する間断灌漑である。日本ではスプリンクラーなど散水装置を用いるのが一般的であるが、日本以外では、畝間(うねま)灌漑、あるいは農地表面に広く水を流し込むボーダー灌漑が一般的である。畑の水管理は水田に比べて集約的となるが、用水量は水田に比べてかなり小さい。日本での畑地灌漑用水量は、作物や地域によって異なるが無降雨時1日当り約2~5ミリメートル、1回の灌水が10~30ミリメートルで、単位用水量はヘクタール当り約0.2~0.5リットル/秒である。
世界の畑地の用水量は国によってまったく異なるが、日本より少ない所が多い。日本の水田灌漑においても、渇水時には2~3日おきの間断灌漑に移行する。給水区を分け、順繰りに水を回す。これを番水(ばんすい)という。このとき、水管理は厳しくなるが、給水量は地域全体として減少する。台湾では、水田と畑を輪作にして、水田灌漑と畑地灌漑を周期的に交代させる。このような場合は水田も間断灌漑となり、これも厳しい水管理となるが、節水と畑の連作障害防止に効果的である。
[志村博康・冨田正彦]
灌漑を実施するためには、水源施設、送水施設、分配水施設などを備えた一連の大システムが必要となる。世界的に古代から灌漑地域に設けられてきた壮大な灌漑施設と水管理機構がこれである。日本の灌漑水源は現在、灌漑面積の割合で表示して、河川88%、溜池(ためいけ)10%、地下水2%で、圧倒的に河川依存型である。東南アジア諸国はほぼこれに近いが、スリランカのように溜池を主水源とする地域もある。乾燥地域では地下水が主水源の国もある。日本の河川利用では、すでに江戸時代にほぼ渇水流量を利用し尽くしたので、現代では新たに灌漑開発するにはダムをつくる必要がある。
灌漑システムは、基幹的施設(ダム、河川から取水する頭首工あるいは揚水機場、幹線水路およびシステム管理センター)、支線的施設(幹線水路から分水して集落まで送水する諸施設)、集落内圃場(ほじょう)施設(集落の各圃場への配水を行う諸施設)に大別される。これらの施設の管理は、現代の日本では、灌漑地域の農業者全員で組織された土地改良区によって行われるが、集落内圃場施設については伝統的な水利共同体である集落に任せられる。しかし、これら施設の建設・改造は公共性が強く、かつ高度の技術力を必要とするので、土地改良区の発議に基づいて、基幹施設は国営事業、支線的施設は都道府県営事業、集落内圃場的施設は土地改良区営事業として行われるのが常である。世界各国の灌漑システムも、程度の差こそあれ、日本のそれとほぼ似ているが、管理については国の事情により著しく異なる。しかし公共機関または農業者組織による管理が多く、なかには企業的経営の場合もある。
農業水利学者の緒形博之(おがたひろゆき)(1919― )の指摘によれば、灌漑システムの配水原則には二つの対極的型がある。一つは水使用者(農業者)の要求に即応する配水(需要サイド主導型)、いま一つは水源状況にあわせた配水(供給サイド主導型)である。水源が豊富・安定な地域では前者になりやすく、不足・不安定な地域では後者になりやすい。日本の灌漑は、常時には前者、渇水時には後者となる。台湾などの灌漑は常時後者だといえる。
[志村博康・冨田正彦]
灌漑を通じて農地の生産性が向上し、安定化するため、国民1人当りの必要農地面積が減少し、土地の多面的利用と高い人口密度を許容する国土がつくられる。とくに水田灌漑の発達した東南アジア諸国では、日本を含めて、その効果が顕著に現れている。
灌漑の実施とともに圃場の整備が進み、圃場の管理も強化されるのが常であるが、それらに伴って農地の保全機能が全体として強化される。とくに水田灌漑では畦畔(けいはん)の整備が進むため、水田のもつ豪雨時の貯水機能が強化される。アジアモンスーン地域では治水上豪雨対策が重大であるが、水田灌漑を通じて広範な農地が事実上治水施設の役割を果たしている。
灌漑が広い地域で実施された場合、自然の水循環に影響を及ぼすことになるが、不適切に計画された場合には生態系のバランスを壊し、病気などをも含めて悪い結果をもたらすこともある。第二次世界大戦後の世界の灌漑開発ではいくつかそのようなことが生じているが、とくに深刻なものとして世界に知れ渡ったものに中央アジアのアラル海の干上がりがあげられる。アラル海に流入するアムダリヤとシルダリヤの豊かな流れは、旧ソ連の大規模な綿花畑開発に伴って綿花畑の灌漑のために大規模に取水されて、アラル海へ流入する水量が大幅に減少していった。それに伴ってアラル海の水位はじりじりと低下していき、1990年ころにはアラル海の面積は元の3分の1にまで縮小した。旧ソ連の崩壊によって情報が得られるようになり、アラル海漁業が壊滅状態に陥っている深刻な状況が世界の目にさらされた。灌漑開発には環境アセスメント(環境影響評価)がたいせつなことを示す重い例であるが、灌漑は本来長い期間をかけて自然と一体化するように行われるべきものであり、むしろ絶えざる改良の積み重ねが灌漑計画の本質である。現在、世界の灌漑面積は約2億ヘクタールで全農地面積の約13%、陸地総面積の約1%にとどまるが、今後世界人口の急増がとくに開発途上国において予測されているので、灌漑はますます重視されてくるであろう。
[志村博康・冨田正彦]
土地に対して人為的に給水する技術自体は、人類の歴史においてきわめて古く、またかならずしも農耕の発生以後のことでもない。たとえば、北アメリカのロッキー山中の乾燥した高原に住む先住民パイユートは、農耕を知らず野生の食物採集を生業としていたが、ある種の草の実や球根をとる植物の群生地に、雪解け水を人為的に引いて、それらの収量をあげることは知っていた。大規模な灌漑には、大量の水の確保に加え、導水路を整備し維持するなど、進んだ技術と大規模な共同作業を実施することのできる社会組織が必要となるが、小規模な貯水池や井戸から、人力や畜力を用いて揚水し土地に引くだけのことなら、個々の農民や小共同体によって世界各地の乾燥地帯で行われている。西アジアで紀元前6000年ごろから始まった灌漑も、当初はこのような小規模なもので、比較的湿潤な山岳地帯から乾燥高温の平野部に拡大してきた初期の農耕民たちの手で、試行錯誤的に試みられたものであるらしく、恒久的な用水路の発達はみられなかったという。この平野部への拡大が進行するにしたがい、灌漑もより大規模にまた組織的なものになったが、この過程がこの地方での都市文明の成立に密接に結び付いていたのは周知の事実である。
今日、シュメールの都市文明発祥地の土地は、ほとんどが耕作に適さぬ荒れ地となっているが、これは過度の灌漑と不適切な排水による土地のアルカリ化の結果であるという。初期文明を支えた大規模灌漑には、長い目でみると、こうしたマイナス面もあったのである。土地と水の総合管理を中心とする、合理的で大規模な灌漑法が確立したのは、むしろ比較的最近のことである。1970年代、北アメリカの先住民ナバホの間でみられたように、水管理技術のまずさなどのため、近代的な灌漑システムを有効に使いこなせず、土地のアルカリ化などの深刻な問題に直面した例など、灌漑のむずかしさを物語っている。
[濱本 満]
日本の灌漑の歴史は水田開発の歴史と軌を一にしている。ヤマイモ、クリなどの木の実を主食として台地上に人々の暮らしが展開していた縄文時代までのわが国にイネがもたらされると、1世紀を経ずして普及し、稲作に基礎を置く弥生(やよい)文化を開花させた。登呂(とろ)(静岡県)、大中の湖(だいなかのこ)(滋賀県)などの水田遺構はその跡としてつとに名が知られていたが、1980年代以降次々と全国各地で水田遺構を含む大規模な遺跡の発見が続いて、弥生時代の早い時期に稲作はすでに津軽半島にまで及んでいたことが明らかになってきた。このころの水田は自然湿地の利用が主であったが、弥生時代末期になって鉄の使用が農具の刃先にまで及ぶと土工能力が高まり、開田が灌漑水路や溜池を増大して稲作国家を形成していった。『古事記』にある垂仁(すいにん)天皇時代の血沼(ちぬ)池、狭山(さやま)池(大阪府)の構築などはその記録である。その後、灌漑水路(全国的)、溜池(香川県にとくに多い)を伴う開田は連綿と続き、その多くは修復、改良を重ねながら現在も用いられている。とくに戦国時代に築城のための石工技術が発達し、これが大河川の治水工事に応用されるとともに利根(とね)川、淀(よど)川などの氾濫(はんらん)原(沖積平野)も水田化され、国土をほぼ現在の姿に変えた。見沼代(みぬまだい)用水(埼玉県)、宮田用水(愛知県)などはつとに有名。明治以降は西洋土木技術を活用して明治用水(愛知県)、安積(あさか)疎水(福島県)、那須(なす)疎水(栃木県)をはじめ、灌漑による台地の水田化が進んだ。この台地への灌漑は第二次世界大戦後に至って畑作にも及び、愛知用水(愛知県)、豊川用水(愛知県)、笠野原用水(鹿児島県)をはじめ大規模用水が国営事業のかたちで次々と着工され、1980年ころからは県営事業クラスの中小規模の開発も多くなって、わが国畑作の灌漑化が急速に進展した。
[冨田正彦]
『農業土木歴史研究会編著『大地への刻印』(1988・公共事業通信社)』▽『志村博康編『水利の風土性と近代化』(1992・東京大学出版会)』
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…用水争論ともいう。
[古代,中世]
稲作に基礎をおく社会であるかぎり,灌漑用水の確保が死活問題であることは言うまでもないが,古代の律令体制のもとでは,まだ用水をめぐる対立・紛争は問題にならない。それに対して,私的土地所有が発展し,荘園制的土地領有の成立した中世になると,用水争論も加速度的に増加していった。…
…一年のうち,そこに作る作物の生育期間中は湛水灌漑のできる耕地を田という。今日にあっても,特別にその地に水を導く施設のない田もあり,それを天水田といっている。…
… 長いナイル川の流域のうち,水源からスーダン南端にかけては熱帯雨林地帯,スーダンのうち南半分は半乾燥地帯をなし,それ以北地中海に至るまで砂漠に囲まれた乾燥地帯をなしている。
【灌漑と利用の歴史】
ナイル川の特性は,水源地帯での雪どけ水などのため,毎年きわめて正確な周期で増減水を繰り返す性格を備えていることにある。ナイル川の増水期は毎年7月半ばから11月ないし12月にかけ,減水期は1月から6月すぎにかけての期間である。…
…用水とは灌漑,飲料,工業,発電,消火などに利用する水の意味だが,このうち灌漑用水,つまり田畑に導いて作物の育成にあてるための水の意味で使用されることが多く,ここでもこの意味に用いる。また世界各地の記述は〈灌漑〉の項にゆずり,本項では日本における灌漑用水の歴史について記すこととする。…
※「灌漑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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