サンスクリットanityaの漢訳で,常住不変に対して無常転変の意味。仏教の根本的教説は因縁または縁起ということで,すべての存在は因縁和合の一時的存在なので,常恒不変ではない。したがって人なり物なりに執着しても,それは変化消滅するものなので,失望するだけである。これを諸行無常といい,この理を悟り,人と物への執着から解脱すれば心の安楽が得られるという。この教説を表現したのが諸行無常偈または雪山偈(せつせんげ)である。すなわち〈諸行無常,是生滅法(ぜしようめつぽう),生滅滅已(しようめつめつい),寂滅為楽(じやくめついらく)〉の4句で,前の2句は諸行は無常で生じたり滅したりしてとどまるところがないので,これに執着するのは苦であるの意。後の2句はこの生滅無常への執着を滅し已れば,そこに平静なる寂滅の悟りが開かれて永遠の楽となるの意。《大般涅槃(だいはつねはん)経》によれば,雪山童子(前世における釈迦が雪山で修行していたときの名)は後の2句を得るために捨身して羅刹(らせつ)(鬼)に身を与えたというほど,貴い教えであるとする。この無常なる生滅の法を有為法(ういほう)とし,生滅を滅した法を無為法とする。いろは歌はこの諸行無常偈を詠んだものともいわれる。すなわち〈色は匂へど散りぬるを〉は諸行無常,〈我が世たれぞ常ならむ〉は是生滅法,〈有為の奥山今日越えて〉は生滅滅已,〈浅き夢見じ酔ひもせず〉は寂滅為楽である。日本ではこの教えから,人生は無常であるという無常観ができ,《平家物語》冒頭の〈祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり〉は人口に膾炙(かいしや)している。これはインドの祇園精舎に重病人を収容する無常院があって,人の死にあたって鐘が打たれたことをあらわし,日本ではすべて人の死を無常事といい,葬送の相互扶助を目的に結ばれた講社を無常講,略して講組という。その発祥は平安時代中期の二十五三昧講にあり,祇園精舎無常院にならって往生院を建て,ここで病者を往生させ,死後の葬式と供養を行った。これが後に阿弥陀堂となったともいわれる。仏教の無常観は日本人の精神生活を豊かにし,また淡白であきらめのよい人生観と国民性を育んだ。ことに中世の文学は無常観の文学ともいえるもので,《方丈記》《平家物語》《一言芳談》などのほか,多くの唱導文学や隠者文学が,無常観をテーマとしている。日常用語でも〈無常の嵐〉や〈無常の風〉は人の死をあらわし,無常所は墓地のことである。これらは仏教本来の万物は変化してとどまることがない,という万有流転の世界観を死だけに局限した人生観にすぎないけれども,これは日本人の情緒性による無常の理解であった。
執筆者:五来 重
インド仏教においては,無常(アニティヤanitya)とは基本的にはこころと肉体とをもつ生命的存在(有情(うじよう),サットバsattva)が,つねに変化し,ついには死を迎えることを意味する。現象を支配する基本的真理であるが,この真理を悟らず,無常なるものを常とみるところに苦が生ずる。したがって無常を無常と如実に観ることによって苦から解脱することを仏教はめざす。また仏教は無我を主張するが〈無常のゆえに苦であり,苦のゆえに無我である〉という論理から,無我と観るその出発点がこの無常観である。このようにインド仏教においては無常観は悟りに達するための一つの観法(修行方法)であったが,花鳥風月を好む日本人はそれを情緒的な自然観としてとらえた。日本人の無常観は無常感であるともいわれるゆえんである。
執筆者:横山 紘一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
仏教の術語。サンスクリット語でアニトヤanitya、パーリ語でアニッチャaniccaという。常ならざること、移り変わってすこしもとどまらないこと、生滅変化することを意味する。
仏教の創始者釈尊が説いたといわれる三法印(さんぼういん)中の第一は「諸行無常」であった。また原始仏教経典にはしばしば、一切(いっさい)のものは無常であるから苦である、と述べられ、無常は人間存在の苦の根拠とされている。すなわち、如何(いか)なる楽しみも無常であるからしだいに変化して苦しみになる、という意味である。しかし逆に苦しみが変化して楽しみになる、という楽天的な意味は仏教の無常にはない。それは、原始仏教が人間存在の変遷の帰結をつねに病・老死に置くからである。
部派仏教になると、無常の構造をさらに精緻(せいち)に理解・説明せんとするに至る。とくに説一切有部(せついっさいうぶ)(サルバースティバーディンSarvāstivādin)は、人間および世界の全存在の構成要素として75の法(ダルマdharma)を想定し、これらの法は自性(じしょう)(自己の本性)・自相(じそう)(自己の特徴)を有し、独立して認識の場に参加しうる最小限の実体であるとした(これを「法が実有(じつう)である」という)。そしてこれらを時間によって変化しないもの、つまり常住なもの(無為(むい)法)と、時間によって変化するもの、つまり無常なもの(有為(うい)法)に分類した。75法のうち無為法は涅槃(ねはん)などの3法であり、残りの72法が有為法である。それではなぜ実有なる有為法が無常なのか。有部によれば法は未来世→現在世→過去世の順序で流れている。未来世の法が因縁を得て一瞬だけ現在世に現れ、われわれに認識され、次の瞬間過去世に落ちてしまう。それゆえ物質(これもいくつかの構成要素、つまり法からなっている)も、われわれには同一のものが長時間存在しつつ変化していくようにみえるが、実は一瞬一瞬よく似た物質が未来世から引き出され現在の現象を形づくっているのである。あたかも映画のフィルムの各コマが一瞬だけスクリーンに映し出されているのに、われわれには同一のものが連続して存在するように見えるようなものである。しかも三世のおのおのにおける法は実有であるという。これが有名な有部の三世実有説である。有部が三世実有説を唱えた理由は、もちろん、無常を刹那滅(せつなめつ)(一瞬ごとに生じては滅する意)ととらえることによって無常の構造を精密に理解するためであったが、さらに他の理由は、過去になされた人間の善悪業(ごう)が未来にかならずその結果を引き起こすには三世に法が存在し続けなければならないと要請されたためである。有部はこのように無常の意味を厳密に規定した。
のちにおこった大乗仏教の『般若経(はんにゃきょう)』は有部の実有思想を批判し、縁起説に基づいて一切の法は空であり、無常であると主張した。すなわち、部派仏教の有部が三世実有説によって無常を説明したのに対し、大乗仏教の『般若経』では縁起説によって無常を説明したのである。しかし厳密に考えると、法が空であれば、法が生ずるとか滅するとかいうこともできないはずである。なにか実体を考えるからこそ生・滅というのである。それゆえ『般若経』に基づく中観(ちゅうがん)派は「不生不滅」を唱え、無常と常住の区別は無意味(戯論(けろん))であるとした。つまり、無常を観ずることは正しいが、無常に執着することも誤りであるとして、縁起に基づく真の空観(くうがん)を主張した。後の大乗仏教一般も無常について、この立場を保っているといえる。
[加藤純章]
『桜部建著「存在の分析〈アビダルマ〉」(『仏教の思想 2』所収・1969・角川書店)』▽『梶山雄一著『さとりと廻向』(講談社現代新書)』▽『三枝充悳著『初期仏教の思想』(1978・東洋哲学研究所)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…正確に繰り返される周期変化を標準にして,他の変化や無変化をその標準との比較によって測るのが計時であるが,多くの場合天体の運行がその始まりを構成する。 仏教的な時間のもう一つの特徴は〈無常〉である。この世界のいっさいは〈諸行無常〉,変化し定まらぬ。…
…たとえば,idha〈ここに〉はサンスクリットのihaより明らかに古い。終りに《娘道成寺》の文句などで有名であり,換骨奪胎して日本のいろは歌になった無常偈のパーリ語原文と漢訳をあげる。aniccā vata sankhārā,uppāda‐vayadhammino,uppajjitvā nirujjhanti,tesam vūpasamo sukho.〈諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽〉。…
※「無常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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