精選版 日本国語大辞典 「牧野富太郎」の意味・読み・例文・類語
まきの‐とみたろう【牧野富太郎】
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植物学者。土佐国(高知県)佐川(さかわ)村(現、高岡郡佐川町)の酒造家の生まれ。幼くして父母、祖父を失い、祖母に育てられ、6歳で明治維新を迎えた。9歳のとき寺子屋に入り、植物に興味を覚え始めた。1872年(明治5)寺子屋廃止に伴い藩校の名教(めいこう)館に入りヨーロッパの科学に接した。2年後、学制発布に伴い名教館は廃止となり、新制の小学校に入学(12歳)。2年間で教程を終えて退学、植物の調査・採集に熱中した。1879年、17歳で師範学校教諭永沼小一郎(ながぬまこいちろう)に師事、近代科学の精神について自覚、本草(ほんぞう)学から植物分類学へと転進、1881年、東京で勧業博覧会を見学の際、田中芳男(たなかよしお)に面接、東京大学植物学教室を訪ね、標本と海外の文献に接した。郷里に帰り理学会を創立、科学思想の普及に努めた。
1884年、再度上京、東京大学教授の矢田部良吉に認められ植物学教室に出入りを許され、植物分類学の専門的研究に没頭した。1888年『日本植物志図篇(へん)』創刊。以後、精力的に新植物の発見、命名、記載の業績を積み、植物分類学の第一人者となった。1890年、一時、教室出入りの差し止めを受けるなど圧迫があったが耐え、1893年帝国大学助手、1912年(明治45)講師となる。教務のほか、民間の植物同好会による採集会を指導し植物知識の普及に尽力し影響を残した。1927年(昭和2)65歳で理学博士、1939年77歳で退職した。1950年(昭和25)日本学士院会員、翌年文化功労者、1953年東京都名誉都民となり、95歳で死去するとともに文化勲章を受章。
[佐藤七郎]
『『牧野富太郎選集』全5巻(1970・東京美術/複製・2008・学術出版会)』
(磯野直秀)
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1862.4.24~1957.1.18
明治~昭和期の植物学者。土佐国生れ。独学の学究として知られ,植物分類学の権威。19歳で上京し,東京帝国大学助手・講師を40余年間勤めた。1889年(明治22)日本人としてはじめてヤマトグサに学名を与え,1000種の新種,新変種1500種を命名し,50余万点の標本を採集した。著書「牧野植物図鑑」。文化勲章・朝日文化賞をうけた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…1895年に牧野富太郎が東京と横浜で発見した北アメリカ原産の帰化植物で,現在では日本全国の畑地や路傍にごく普通にみられるトウダイグサ科の小型の一年草(イラスト)。暗赤色の細い茎が分枝しながら地上をはう。…
…参考にした蘭書は,ホッタインMartin Houttuynの博物誌を中心に,ドドネウスRembert Dodonaeus,オスカンプDieterich Leonhard Oscamp,キニホフJohann Hieronymus Kniphof,ワインマンJohann Wilhelm Weinmannの植物学書5種である。明治に入り,田中芳男・小野職愨増訂の第2版(1875),牧野富太郎による増訂の第3版(1907)が出版され,明治期にもおおいに利用された。未刊の木部は,1977年に北村四郎編注で出版された。…
※「牧野富太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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