独立派
どくりつは
Independents
宗教上の党派としては、17世紀イギリスにおいて独立教会制度を提唱した会衆派をさすが、政治的には、ピューリタン革命において会衆派およびキリスト教諸教派を支援母体とした議会派の一党派をさす。インディペンデンツともいう。
議会派においては、内戦に至るまでは、議会に強固な勢力をもち厳格な長老教会制度の確立を主張する長老派の勢力が、圧倒的な優位にたっていた。しかし内戦の結果、その力を明らかにした軍の利害を代表する党派が現れた。これが独立派である。独立派は、軍隊内部に強かったピューリタニズムの影響力を背景に、信仰における完全な自由を主張しつつ、他方、土地所有者の利害を代表して、レベラーズ(平等派または水平派ともいう)の主張する政治改革を退けた。指導者はO・クロムウェル、アイアトンら軍幹部で、護国卿(ごこくきょう)政権時代を、ほぼ独立派の政治指導が貫徹していた時期とみなすことができる。しかし独立派は在地の有力者層の支持を得ることができず、クロムウェルの死とともに支持基盤が崩壊し、その支配も終わりを告げた。(書籍版 1987年)
[小泉 徹]
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独立派
どくりつは
Independents
ピューリタン革命の際,議会派の中心となった一派
イギリス国教会からの完全な分離独立を主張し,信者の自発的な集まりとしての個々の教会を中心に結束した。新興市民層やヨーマン(独立自営農民)の支持を得て,ピューリタン革命では議会軍の中核となり,クロムウェルの指導下に革命の推進力となった。革命勝利後の1648年12月,長老派を議会から追放(プライドの追放)して議会の実権を握り,国王チャールズ1世を処刑して下院を基礎とする共和政を行った。また1649年には財産の平等と社会変革をはかる水平派に大弾圧を加えた。
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どくりつは【独立派 Independents】
イギリス,ピューリタン革命において議会派の中核となった宗教・政治党派。宗教的には,エリザベス1世治世に出現した英国国教会からの分離派(ブラウン派)に由来し,地域の教会会衆組織(コングリゲーション)の個々の自律性を主張して,全国的な教会統治機構をとる国教会と長老派のいずれにも反対した。内乱中の1643年,スコットランドとの軍事同盟締結の際に開かれたウェストミンスター宗教会議において,その立場を明らかにし,議会ことに議会軍内部に勢力を伸ばした。
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世界大百科事典内の独立派の言及
【キリスト教】より
… イギリスにおいてルター,カルバンの改革思想をうけつぎ,国教会の不徹底な改革を徹底させて近代化の道を開いたのはピューリタン(清教徒)である。R.ブラウン,グリーンウッドJohn Greenwood(?‐1593),バローHenry Barrow(1550ころ‐93)らは国教会から出て独立派independentsとなり,会議制的な長老派をも退けて個々の教会の自主性をたっとび,教職・平信徒の区別のない〈万人祭司〉を実現しようとした。これが会衆派教会(コングリゲーショナル・チャーチ)の基となった。…
【クロムウェル】より
…44年マンチェスター伯のもとで東部連合軍副司令官となり,マーストン・ムアの戦勝によって,その部隊は〈鉄騎隊Ironsides〉とよばれた。以後国王に対して徹底抗戦を主張する独立派のリーダーとして,マンチェスター伯ら長老派の妥協的な戦闘指導を批判し,議会軍の改革を主張した。45年議会軍が鉄騎隊にならって〈ニューモデル軍〉に改組されると,その副司令官に就任し,6月ネーズビーで国王軍にとどめを刺した。…
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