精選版 日本国語大辞典 「王建」の意味・読み・例文・類語
おう‐けん ワウ‥【王建】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
877~943(在位918~943)
高麗(こうらい)の太祖。京畿道松岳(開城)出身。新羅末に泰封(たいほう)国(901~918年,都は鉄原)を建てた弓裔(きゅうえい)の部将として活躍し,弓裔を追って高麗国を建国(918年),開城を都とした。新羅を併せ(935年),後百済(こうひゃくさい)を平定して朝鮮半島を統一(936年)。中国の五代諸国と通交し,諸制度を整え,仏教を保護し,西京(平壌(ピョンヤン))を設けて半島北西部を開拓するなど,高麗王朝の基礎を固めた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…891‐925年。軍卒より身を起こした王建が四川に建てた国。王建は891年(大順2)に西川節度使となり,東川,山南西道,さらに荆南の一部をも併せて自立化を強め,907年(天祐4)に唐が滅ぶと,みずから帝位につき国号を蜀と号した。…
…中国,四川省成都市の西郊にある五代の前蜀王,王建の墓。永陵という。…
…風俗資料としても興味深い。8~9世紀,中唐の王建が宮詞100首を作って評判となり,以後ひとつの伝統となった。五代のとき蜀の王妃花蕊(かずい)夫人が,ついで北宋の王珪がやはり宮詞100首を作り,明末に王建と合わせ《三家宮詞》として刊行された(毛晋,汲古閣)。…
…しかし,国境の軍事的要塞地帯にあるため,大規模な工業は開発されず,休戦線以北の旧京畿道地域の1市3郡からなる開城地区の行政・教育の中心地として,各種の地方委員会と学校などが集中した地方都市となっている。
[歴史]
新羅時代末に台頭してきた地方豪族,王建の根拠地であり,彼が高麗王朝を創建した翌年の919年から約470年間その王都として栄えた。北方に標高488mの松岳山があるところから松岳,松都等の名で呼ばれていたが,995年開城と命名され今日に至っている。…
…後期は元の支配下で苦しむ中で反元運動が進展し,また次代をになうべき新進の官僚層が生まれた時期である。
[前期]
高麗王朝をおこした王建は松岳(開城)地方の豪族で,初めは泰封の弓裔(きゆうえい)の部将として活躍したが,やがて弓裔を倒して王となり,高句麗の後継者であることを自任して国を高麗と号し(918),翌年,松岳を都にした。当時,新羅は慶州周辺で余命を保っただけであり,南西部は後百済が支配し,また諸方に豪族が割拠していた。…
…ところが新羅の支配力が衰えはじめる9世紀になると,各地で豪族が台頭してくる。そして彼らは,後三国(新羅,後百済,後高句麗)の内乱期を経る中でいっそうの成長をみせるが,後三国を再統一して高麗王朝を立てた王建も,このような地方豪族の一人であった。王建は各地の有力な豪族と積極的に姻戚関係を結び,彼らの力を借りながら,全国を再統一したのである。…
※「王建」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新