玩具(読み)オモチャ

デジタル大辞泉 「玩具」の意味・読み・例文・類語

お‐もちゃ【玩具】

《「もちゃ」は「もちあそび(持遊)」から》
子供が手に持って遊べるように作ってあるもの。がんぐ。
慰みのためにもてあそばれる人や物。
[類語]玩具

がん‐ぐ〔グワン‐〕【玩具/×翫具】

遊び道具。おもちゃ。「郷土―」
[補説]書名別項。→玩具
[類語]おもちゃ

がんぐ【玩具】[書名]

津村節子の短編小説。昭和40年(1965)発表。同年、第53回芥川賞受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「玩具」の意味・読み・例文・類語

お‐もちゃ【玩具・翫物】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「お」は接頭語 )
  2. 子供の遊び道具。がんぐ。
    1. [初出の実例]「鶴(つう)さんはお持遊(モチャ)を落すまいぞ」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前)
  3. なぐさみのためにもてあそばれる人や物事。→おもちゃにする
    1. [初出の実例]「男の玩弄(オモチャ)になって居りながら」(出典:火の柱(1904)〈木下尚江〉一〇)
  4. 本格的でないものや、安っぽいもの。おもちゃもの。

玩具の語誌

平安・鎌倉時代には「もてあそびもの」「もちあそびもの」といい、室町時代にはモノを略した「もてあそび」が見られる。江戸時代には「もちゃそび」「もちゃすび」などと変化した。これに丁寧のオを冠して下略してできた語。はじめ、幼児に対するやさしい物言いとして使われたようだが、次第に一般的な語となっていった。


がん‐ぐグヮン‥【玩具・翫具】

  1. 〘 名詞 〙 もてあそぶ道具。子どものおもちゃ。
    1. [初出の実例]「されば異国本朝の珍器翫具多く此に集り」(出典:日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉三)

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改訂新版 世界大百科事典 「玩具」の意味・わかりやすい解説

玩具 (がんぐ)

遊びのために用いる道具。〈おもちゃ〉ともいう。〈玩具〉という言葉は日露戦争のころに行われた,明治政府による国語統一運動の中で作られたものである。玩具が市販されるようになった江戸時代には〈てあそび〉〈もちゃそび〉と呼ばれ,漢字では〈手玩〉〈翫弄之具〉〈弄具〉〈玩物〉などの表現がされていた。玩具と同類の〈おもちゃ〉という言葉は,平安時代からすでにあった〈もちあそびもの〉が語源で,室町時代の初めに京都の女房詞として使われはじめた。これは,〈もつ〉という言葉に接頭語と接尾語が付いて〈おもつや〉となり,これが音便化されて〈おもちゃ〉となる。また,玩具という言葉は太平洋戦争中,もてあそぶという語意が不健全なニュアンスがあるとして〈遊具〉と変更させられるが,すでに国民の間でなじんだ言葉は消滅することはなく,戦後になってふたたび使われるようになった。一方,外国においても,玩具を表す言葉,たとえば英語のtoyには〈くだらないもの〉,フランス語jouetには〈わらいものになる〉という意味がある。18世紀ころから,子どもの人権を認める風潮がしだいに生まれ,玩具の教育的意義づけがされる中で,ドイツのF.フレーベルは自らの考案した玩具を〈ガーベGabe(恩物)〉と呼んだり,イタリアM.モンテッソリはやはり自ら開発した玩具を〈マテリアmateria(教具)〉と表現したりした。日本でも,明治中期に〈教育玩具〉という言葉が生まれている。これらは,教育的な意図が玩具にもたれるようになってから,それぞれもとの言葉の非教育的なイメージをぬぐうために生み出されたのであろう。この言葉の推移をみても,近代になって玩具が子どもの成長に欠かせぬ用具として認識されてきたことがわかる。

現世人類がこの地球上に現れたころに,はたして玩具として位置づけられるものがあったかどうかは予測しがたいが,玩具に発展しうるものがすでに存在していたことははっきりしている。現存する最古の玩具は,古代エジプト時代の墳墓から出土しているものが多いが,その中には,人形,動物のミニチュア,舟のミニチュア,ボール,こま,がらがらなどがある。また,現代になっても,近代文明のいきわたっていない民族の間で親しまれている玩具を探ってみると,アメリカ・インディアンの鹿皮のボール,紀元前1500年ぐらいから続いているといわれるメキシカン・ボール,ニューギニアの木の葉を利用して作った帆舟,北アメリカのホピ・インディアンが儀式が終わると子どもに与えるという人形,アフリカのコーサ族のトウモロコシの穂軸で作られた人形などがある。だが,これらのものが子どもが遊ぶことを目的として作られていたかというと,そうではなく,多くはおとなの宗教的な目的によって作られていた。がらがらは中世,ルネサンスの時代までも,その音を魔除けと信じて使われていたし,日本においても宮廷の儀式用に使われたこまは,神儀性の強い道具だったようで,専門のこま師が用いていた。人形については,どこの民族においてもその多くは慰霊を意味していたし,動物のミニチュアについては,新石器時代からのアニミズムトーテミズムに端を発していたと思える。ボールはヨーロッパでは神をかたどる形としての意味があり,日本では魂をかたどる意味をもっている。こうした事実を探ると,玩具は太古において子どもの遊び用具としては作られてはいなかったが,同じ形態と機能のものが存在していたことはまちがいないようである。柳田国男は《こども風土記》(1941)の中で〈悉く子どもの遊びは神様の祭りからでている〉,〈子どもの遊びには大昔の,まだ,人間が一般に子どもらしかった頃に,まじめにしていたことの痕跡がある〉と述べている。

 では,どうしてこうしたものが玩具となりえたのだろうか。人形や動物のミニチュアについては子どもの模倣本能(ごっこ遊び)や強い関心の対象(動物,乗りもの)を考えれば容易に推察することができるが,こまやがらがらやボールなどについては,その発明,発見がどういうかたちで行われ,それがなぜ宗教的な用具になり,やがて子どもたちの遊びの世界に入ったのか。これは,いまも子どもたちが,泥をまるめてボールを作ったり,木の実でこまを作ったり,ときには木の実をボールのように投げたりころがしたりすることを見ればほぼ推察することができる。がらがらはほとんどの民族が,乾燥した木の実を振ると中の実が音をたてることから発見しているが,こうしたことへの興味と関心は,たしかに柳田が述べるように〈まだ,人間が一般に子どもらしかった頃に〉おとなたちがその機能を不思議がり,これを宗教的な用具にみたてたことは容易に想像できる。そして,これらは不思議な機能によってそのほとんどが占いの用具に使われ,やがておとなたちの賭博に使われていくものが多かったようである。このように,起源においておとなの社会にとって神聖な用具であり,特別な意味をもっていたものが,子どもの遊び用具として使われるはずはなかった。これらのものが子どもたちの手にわたるには,長い年月を経てその宗教的な意味が薄められる中で,子どもの強い欲求を満たすために余儀なく作られ,与えられてきたはずである。しかし,おとなたちから特別に作り与えられなくとも,子どもたちは自らの手で,自然物や廃品を利用し,これらのものを作って遊んでいたことはあったろうし,そこまではおとなたちも干渉はできなかったはずである。このおとなから子どもへという玩具の移行のパターンは,その後もえんえんと続く。たとえば,ルネサンス期にヨーロッパでのぞき箱やミニチュア舞台などのキャビネットが大流行する中で同時に生まれた〈人形の家〉は,貴族の婦人たちのファッション玩具であり,それが多くの子どもたちの手にわたるにはほぼ200年の歳月を要している。

 玩具の起源についてさらに述べておかねばならぬことは,同じ機能をもった玩具が,まったく個別にさまざまな民族の間で発生していることである。人形や動物については前述したとおり原始宗教から生まれたものだが,動物のミニチュアの一つの特徴は,その民族の生活に深いつながりがあるものが玩具になっていることである。古代エジプトの猿やネズミやワニ,北米インディアンの馬,メキシコのラバ,中国やインドの虎がそれである。そして,乗りもののミニチュアは,古代のものはほとんどどこの国でも舟であり,舟が生活と深いかかわりをもっていたことがわかる。また,こうしたミニチュア玩具ではなく,機能の有効性によって玩具になったけんだま,あやとりなども多くの民族の間に昔からあった玩具である。中世にヨーロッパで流行した棒を股にはさんで遊ぶ棒馬は,すでに古代ギリシア時代ソクラテスが子どもとこれで遊んでいたことが記録に残っているが,日本ではこれを竹馬と呼び,平安時代の書物に見られる。日本ではその名からも竹を使っていたことがわかるが,ちょうど枝についた葉が馬の尾を連想させたのだろう。フープ(輪)は古代ギリシアに端を発するが,アメリカ・インディアンやエスキモーも用いていた。日本でも桶や樽の箍(たが)を利用して,元禄時代に箍回し(輪回し)が大流行している。こうした特殊な機能をもった玩具が,各民族の中で個別に創造されていることは,人類文化の普遍性を物語るものであろう。

明らかに子どもたちのために作られた玩具は,古代エジプトのものが多く残っている。すでにそのころ,ボール,こま,ひもで引く動物や人形などが子どもの玩具になっていたことが,現存する当時の品々から推察できる。しかし,それらがおとなたちの世界から全く有効性を失ったということではなく,宗教的な用いられ方も一方では存続し,また,おとなの遊戯具としても用いられていた。また人類の進歩の中で,人間はさまざまな欲求を満たすためにさまざまな用具を生み出していくが,それが玩具の世界をまた限りなく豊かにもしていった。

 ヨーヨーは東南アジアでは古代から知られており,フィリピンでは,木陰から敵の頭めがけて投げて殺す武器であった。1960年代に大流行したフープの起源はギリシア時代にさかのぼり,ヒッポクラテスは健康的な汗を流させるものとして,このフープの養生法を説いている。輪投げも同じ古代ギリシア時代に,やはり健康のために作られたといわれている。お手玉の起源と考えられるナックルボーンも古代ギリシアで生まれ,最初は羊の脚の骨で作られたもので,未来を予言する占師の道具であった。それが賭博に用いられるようになり,やがて古代ローマ帝国時代,戦争を通して多くの国々に広まったのである。凧(たこ)を発明したのは中国人だといわれ,漢の武将韓信は敵陣との距離を測るために凧を用いたと伝えられる。兵隊人形は地中海周辺の島々で,すでに古代から金属や土でできたものが出土しており,その後ヨーロッパではずっと男子のために作りつづけられてきているが,特徴的なことは,戦争の盛んな時期に流行することである。たとえばノルマン人のイギリス征服後,彼らは兵隊人形をイギリスに持ち込んだといわれている。そして18世紀のドイツにおいて,フリードリヒ大王の軍事的功績が大きかった時代もスズで作られたものが大流行した。〈馬槽〉や〈ノアの箱舟〉はキリスト教の影響力が増した中世に生まれている。

 自動仕掛けのからくり玩具は古代エジプトのもの言う神託像の伝説に始まり,《イーリアス》には自動からくり玩具が登場し,前4世紀,アリストテレスは動くアフロディテについて語っている。中世には,これらの玩具を悪魔のしわざとしてキリスト教会は弾圧するが滅びることなく,ルネサンスになるとレオナルド・ダ・ビンチが動くライオンを作って皇帝に献上したのをはじめ,数多くの技術の粋をつくしたものが発明された。しかし,こうしたからくり玩具が広く子どもの手にわたるのは19世紀で,初めてベビー人形が生まれ,子どもがおとなのミニチュアとしての存在ではなく一個の人格をもった人間であると認められるようになって,オルゴール人形,もの言う人形,歩く人形などが次々に生まれるのである。そうした意味で,子ども=玩具の図式が真の意味でできたのは,18世紀の萌芽を土台にして19世紀からといっていいかもしれない。日本でもそのころから玩具が大量に市販されるようになってきている。

 このように,玩具は,宗教,戦争,科学技術,健康など,さまざまな社会的・文化的背景の中から次々に生まれ,発展してきた。そして19世紀から20世紀にかけて,フレーベルの考案した恩物,モンテッソリの考案した教具を軸に,教育,保育という側面からも玩具が作られるようになってきたのである。

玩具の成因には,大きく二つの筋道が考えられる。一つは,人間の模倣願望から生まれたもので,人形や動物,乗りものなどのミニチュアのたぐい,そしてテレビや漫画のキャラクター玩具などで,玩具の歴史を彩る大半のものがこの部類に属すといってよいほど数限りなく生まれてきている。もう一つは,こま,あやとり,けんだま,凧,輪回し,ボールなど,直接日常生活を模倣する目的で生まれたものではなく,ある偶然からヒントを得て,これを創造的に生活や遊びに生かしたもので,これらの玩具は,その物自身に機能的な魅力をそなえているのが特徴になっている。前者が模倣から生まれた玩具とすれば,後者は明らかに創造的な玩具といえる。模倣から生まれた玩具の特徴は,よほどシンプルに人間や動物をかたどったもの以外は,時代や民族の文化や文明と密接な結びつきをもち,さまざまに変化していくことである。たとえば,乗りもの玩具は馬が主力な交通機関であるときは馬が,汽車が発明されれば汽車が,飛行機が生まれれば飛行機がそれぞれ玩具になり,現実の社会でそれらが有効性を失っていくと,やがて玩具の世界からも消えていくことが多い。一方,それ自身に独特な機能をそなえたボールなどの玩具は,自然物や廃品にヒントを得て,これを発展させたものが主になるが,その機能や形態は多く時代や民族をこえた普遍性を持っている。そして,模倣を目的とした玩具と機能的なおもしろさを内在した玩具とを形態のうえで区分けすると,前者は具象形態であり,後者の出発は抽象形態でできている。

 このことは,玩具の形態から触発される子どもの遊びの内容を区分けもする。具象形態の玩具は模倣願望を満足させながら,人間社会のできごと,約束ごと,人と人のふれ合いなどを遊びの中で反復し,より確かなものにしていく役割を果たしており,抽象形態の玩具は多角的に想像力を駆使し,工夫して遊びを生み出し発展させるという点で,創造力の開発に寄与しているといえる。1本の紐を輪にしたことから生まれるあやとりの無限の発展,一つの球体が生み出す数えきれぬほどのゲームや遊びがそれを証明している。模倣と創造,人間が成長していくうえで,人類が進歩していくうえで,欠くことのできぬ二つの要素が,きちんと玩具の機能の中にふまえられている。

 柳田国男は日本の玩具の成因を《こども風土記》の中で三つに区分しているが,これはどこの国にもあてはまると思えるので付記しておきたい。(1)自然の素材である,草花や木の実などを利用して子どもが作ったもの。しかし,これらを子どもたちは玩具の中に入れていない。(2)玩具を土地によっては,テムズリ,ワルサモノと呼んで,親たちは喜ばなかった。それは,へらとかものさし,ときにははさみや針など,親たちの実用品を持ち出して遊んだ玩具だが,やがてこれに代わる小型のもの,たとえば籠とか桶とか箒(ほうき)などを作り与えた。(3)買い与える玩具で,本来は物詣りの帰りに求めたもので,〈みやげ〉という言葉もこれから発している。以上の柳田の見解は玩具の発展史をもふまえているが,今日でも続いている子どもと玩具の関係でもある。だが,(3)の買い与える玩具については,本質的な玩具の成因というより流通経済による新たな展開ととらえるべきで,あくまでも成因は(1)と(2)にあると考えるべきであろう。(3)でとりあげられる玩具は,必ず(1)の中で発展したものか,(2)の内容のものしか考えられないからである。なお,柳田は玩具が物詣りのみやげものとして発達したことをあげているが,ヨーロッパでも祭りの日や縁日に玩具が売り買いされてきた歴史をもっている。
郷土玩具

玩具に教育的な役割をはっきり示し与えたのは前述のフレーベルで,彼は1837年,ブランケンブルク近くのカイルハウに史上初めての幼稚園を開き,そこで恩物を作って子どもたちに与えた。それまでは,ただ子どもの関心に従って作られた玩具が,このときから子どもの豊かな成長を願う親たちの要求を組み入れるようにもなってきたのである。フレーベルはこの恩物の中で,子どもがものごとを正しく認識するには,基本的なものを正しく与えなければならないと考え,そのために,幾何学的な基本形と一定の数や大きさや色彩をもった玩具を作った(この中には積木の元祖といえるものも含まれている)。そうすればおのずと子どもは創造的な活動を展開していくと考え,これを実践したのである。日本にこの恩物が入ってきたのは1876年,東京女子師範学校(現,お茶の水女子大学)付属幼稚園が創設された年である。その後,モンテッソリが医学と心理学を結びつけ,感覚から観念へ発展させる用具(教具)を200種も作り,〈子どもの家〉と呼ぶ幼児教育の施設をアメリカ,ヨーロッパを中心に設立,その教育法を普及させた。彼女は,当時多くの評論家が言うように,子どもにはしたいようにさせればよいとは考えず,子どもの目的意識をもった行為(作業)に対する自発的な関心を信じて,子どもたちは遊ぶことよりむしろ仕事をするほうが好きなのだという事実に注目した。

 いまだに有効性を持ち続けるこの2人の教育思想家の出現によって,玩具に対するおとなたちの考え方は変えられてきた。だが,その役割も玩具のある一つの側面に価値を加えただけで,あらゆる種類の玩具の意義を明らかにしたものではなかった。その後,多くの学者や教育者が,心理学,医学,教育学などさまざまな立場から玩具の与え方についての研究をし,提言を行っているが,数学の定理や公理のように普遍化されたものはない。これは,根本的には教育,思想,哲学の問題,つまり人間はどう生きるべきか,子どもをどう育てるべきかの大命題がつねに付帯してくることと,さまざまな人間が一様の成長を遂げていくことはありえず,多種多様な肉体や精神を有しているからであろう。そこで,本項では長い玩具の歴史の中から子どもにとくに有効性のあったものをとりあげ,それがどんな役割をしてきたかを考え,与え方の一助としたい。

 最も古い玩具の一つである人形は,子どもの模倣本能を満足させるための代表的な存在だが,ままごと用具なども同類で,とくに女の子に人気がある。人形には飾ってながめるものもあるが,幼児期は手に触れられるものを喜ぶ。しかし,この遊び相手になってくれる人形にも,まったく単純に子どもや赤ちゃんをかたどったものから,歩いたり,話したり,ミルクを飲んだりするものまである。このどちらが子どもにとって魅力のあるものなのだろうか。この問題は,広い意味での模倣玩具である犬や猫や猿や熊などの動物玩具,さらに乗りものへの強い関心から生まれた自動車や汽車の玩具などについても言及されることである。素朴で単純な玩具と精巧でより実物に近い玩具があるが,前者は子どものために作られ,後者はおとなの興味や関心によって作られたことをその歴史は裏付けている。

 どこの家庭でも,親たちがあまりに汚れてきたなくなった人形に代えて,新しい,きれいな人形を与えても,子どもは見むきもしないといった経験をするものだが,こうした人形はやはり,ほとんどが素朴で単純な人形である。このことは知恵(創造)や技を深め磨く玩具についてもいえることで,古代からあるボールやこまやけんだま,ヨーヨー,そしてフレーベルの作った積木(恩物)などは,どれも単純な幾何学的形態でできている。とくに,万物の形態の中で最も単純なボールが,最も多くのゲームや遊びに関与していることは,単純なものほど多様な展開が可能なことを暗示している。反対に機構が複雑になればなるほど,人間がものに働きかける可能性が少なくなり,おのずと子どもの遊びは受動的になる。遊びというものが本来主体的,能動的なものであるとすれば,飽くことなく遊べる玩具は,単純で素朴なもののほうが有効性をもつといえるだろう。

 子どもをとらえて離さなかった玩具で,さらに見落とすことができない普遍的なものにさまざまなゲームがある。双六(すごろく)やかるたやトランプが日本の子どもたちの最もポピュラーなゲーム遊びになっているが,これらのゲームの効用は,年齢・性別の区別なく,まったく対等に勝負が競え,勝者の快感と敗者の無念を知ることができ,さらに運・不運という人間の力ではどうすることもできない世界があることを感得できることである。それは,あたかも来るべき人生を予知しているようでもあるが,ただ,ゲームの世界はやり直しがきく救いが残されている。このように玩具は,遊びながら模倣と創造を繰り返す中で勝負のきびしさを知り,運・不運の不条理を知り,さらに,技を磨き,身体をきたえ,友との対話を深める媒体になっている。たかがおもちゃと言えぬ深さをもつ,子どもにとって不可欠の用具である。
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子どもの発達には遊びという活動が不可欠であり,その遊びを促し,子どもを発達させる契機として重要なのが,さまざまな玩具の役割である。

 乳児期に最初に触れる玩具は,おしゃぶり,がらがらである。前者は口に入れてしゃぶるためのもの,後者は手に握って振り鳴らすためのものであるが,乳児は手に持った物はなんでも口にもっていくことが多く,あるいは振りまわすことも試みるから,必ずしも玩具の機能と実際の遊び方とは一致しない。また,スプーンのような日用品も,持って振りまわす,口にくわえるというふうに,この時期の子どもの手に渡れば容易に玩具と化す。乳児期の後半に入ると,手指の動きの発達,興味の発達にともない,玩具の種類,量ともに急激に増加する。人形,ぬいぐるみ,自動車模型,ボール,積木などであり,コップ,びん,棒,ひも,布,紙,引出しなど,さまざまな日用品も遊びの対象となる。

 1歳以降は,積木,ブロック玩具など,それを用いてなにかを作り出し,構成することのできる素材玩具が好まれる。粘土,砂,水などの可塑性のある素材と,それで遊ぶためのバケツ,スコップ,コップ,じょうろなどの組合せも重要である。また,歩きはじめ,空間移動そのものが遊びとなるので,物を載せて押したり引いたりする乗りもの玩具,手押し車(いすなどで代用されることも多い),ボールなどが遊びを活発にする。3歳以降になると,遊びの中に想像力,虚構性が加わるようになり(ごっこ遊び,役割遊び),想像をかきたてる役割を果たす玩具(ままごと道具,人形,家具のミニチュア)が求められる。しかし,H.ワロンもいうように,似すぎているものよりも,想像の余地を残しているもの--木切れ,石,草,貝殻などにも玩具としての価値は見いだされる。ゲーム,お手玉,おはじき,こまなど技能を要し,それを競い合うもの,クレヨン,紙,はさみなどの文房具など,多様な方面に遊びも玩具も広がりをみせる。

 なお,現代の玩具の特徴として,非常に精巧で実用的なミニチュア(洗濯機,レンジ)やテレビや漫画のキャラクター商品の氾濫,ゲーム・ウォッチなど先端技術の利用されたものが子どもの生活にも入りこんでいることがあげられる。また,玩具の教育機能は,発達の障害や異常に対する治療の手段として活用される方向にも進んでおり,遊戯治療(プレー・セラピー)やおもちゃライブラリーにその実例がある。
遊び
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玩具」の意味・わかりやすい解説

玩具
がんぐ
toy

おもちゃ。子供の遊び道具。現在では普通商品化されたものをさすが、古くは手作りのものが多く用いられた。これには、子供自身がつくって遊ぶものと、大人がつくって子供に与えるものとがあった。

[斎藤良輔]

概観

玩具発生の順序は三つに分けられる。まず石や植物などの自然物をそのまま利用して遊び道具とした。この自然物玩具は、もっとも古くから伝えられた原始的な形のもので、まだ商品化されずにすべて手作りであった時代の姿を示している。自然物を玩具化したものなので、季節的な制約を受けることが多い。次は家庭内の生活用具を遊び道具とする段階である。家具、母親の裁縫用具、あるいは台所の食器類などで遊ぶことも、広い意味で玩具遊びの一つとなる。こうした仮用遊びは、大人たちを困らせることにもなるので、かつて関西では玩具を「悪さもの」ともよんだ。子供のためにとくに専用のおもちゃをつくって与えるようになったのは、生活文化が進み、児童観が芽生えてくることと関係がある。さらに、買って与える商品玩具の登場であるが、金銭で子供にそれを買って与えるようになったのは、一般には比較的近世になってからのことで、それもほとんど都会地に限られていた。明治時代に入ったころでも、玩具の販売は、都会においても、社寺の祭礼、縁日の露店や行商人の手によって行われ、東京などでも玩具専門の常店はきわめて少なかった。それが、社会の経済成長とともに、商品玩具が目覚ましく進出してきて、大きな分野を占めるようになった。

 商品玩具には、デパートの玩具売場に並んでいる高級玩具類と、駄菓子屋などで売っている比較的小形で安価な製品とがある。前者を大物玩具、後者を小物玩具という。このほか美術的な鑑賞用のもの、成人向きのものなどを含めて、玩具の種類、分野は広く多岐にわたり、その性格もまた多種多様な複雑さをもっている。

[斎藤良輔]

ことばの移り変わり

「おもちゃ」ということばは、「手に持って遊ぶもの」という意味から生まれた。平安時代には、「もて(もち)あそびもの」、または略して「あそびもの」(『源氏物語』)とよび、これが「おもちゃ」の語源となった。室町時代には、御所や仙洞(せんとう)御所の女房たちが使った女房詞(にょうぼうことば)で「もちあそび」の語が「おもちゃ」ということばになったという。現在も関西方面に「もちゃそび」ということばがあるのは、その名残(なごり)を示すものである。江戸時代には、「おもちあそび」あるいは「てあそび」が話しことばとして用いられ、漢字では「翫弄(がんろう)」(『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』1830刊)、「弄物(ろうぶつ)」(『近世風俗志』1853刊)などと書いた。また「翫物」の字も用いた。1762年(宝暦12)摂州(大阪府)住吉(すみよし)神社に、京・大坂・江戸三府の手遊雛人形(てあそびひなにんぎょう)問屋が寄進した常夜灯2基の台名に、「翫物商」と刻んであるのは、当時の玩具業者のことである。

 明治時代に入ると「翫物」が「玩物」となり、玩具雛人形商品を扱った江戸の卸業者も、「東京玩物雛人形問屋」と名称が変わり、さらに1903年(明治36)には同問屋組合の機関誌名が『東京雛玩具商報』となり、「玩物」から「玩具」となった。翌年には国定教科書が全国の小学校で一斉に使用を開始、それに伴う国字統一運動の影響もあって、学校用語の「おもちゃ」「玩具」が一般的に用いられるようになり、日常語化された。ときには「玩具」と書いて「おもちゃ」と振り仮名をつける併用も、明治末期からみられた。昭和期に入り、第二次世界大戦中には戦時体制強化策から、「玩具」の健全性を強調するという意味で、「遊具」という新名称がこれにかわって提唱されたときもあった。

[斎藤良輔]

歴史

広い意味での玩具は、人間の歴史が始まったときから存在したに違いないが、紀元前2000年ごろの古代エジプトの遺物や古代ギリシア・ローマ時代にも、ゲーム類、こま、まり、木馬、紐(ひも)で引くと動く人形や動物の玩具、ままごと遊び、着せ替え人形式のものなど、現在に共通する種類のものが見受けられ、玩具の歴史の古いことが知られる。人形は最初は宗教的な偶像から出発したが、時代とともにしだいに信仰上の制約を離れて、子供の愛玩物となった。ヨーロッパでは、中世に騎士の土人形やガラス製の玩具が登場しているが、14世紀から16世紀にかけてのルネサンス時代から、ドイツのニュルンベルクなどの諸市に、工匠ギルド(同業組合)がつくられ、商品としての玩具製作が本格化した。木製、ろう細工、パルプ(練り物)製、紙の張り子、金属製のものなど、材料や着想も新しいものが次々に生み出されて、ヨーロッパ各地に出回るようになり、しだいに発達した。なかでも16世紀に始まる「人形の家」は、各国の貴族家庭などに迎えられて流行した。

 18世紀の中ごろからは、クリスマス・ツリーに飾りとして玩具をつるす風習が生まれ、玩具遊びも盛んになった。子供たちの間では、切抜き絵紙を細工した戦争ごっこ遊びや着せ替え人形も出現した。また18世紀後半にはニュルンベルクで錫(すず)製の兵隊人形が売り出されて、ヨーロッパ各国に大流行した。18世紀末から19世紀にかけては、ブリキ板をプレスして型をつくった金属玩具の大量生産が開発され、ぜんまい仕掛けの動きのある人形や、乗り物玩具などが現れた。さらに蒸気力、磁気応用の科学玩具や、セルロイド玩具の登場などで、近代玩具への新しい段階を迎えた。1851年ロンドンの大博覧会にも、こうした傾向を反映して、科学知識を育てる理工玩具が数多く出品されて人気をよんだ。この種の機械化玩具のなかには、発明特許を目ざす模型試作品や、科学研究の参考品として役だつような実物そっくりの精巧な作品も現れてきた。

 また、これに並行して、このころから教育玩具も登場した。ドイツのフレーベルが、幼児教育のための玩具を考案したのをはじめ、児童の心身の成長に必要なものとしての玩具の重要性が認識されてきている。

 最近は資材や製作技術などの向上、発達によって近代産業化され、玩具の需要、生産もともに目覚ましい発展ぶりを示している。世界的な新しい傾向としては、人形玩具作品の小形実物化、機械化があげられる。「おもちゃに国境はない」といわれ、各国に共通する作品も多くみられる。その反面、底流として、それぞれの民族文化の伝統を生かした、一種の民族玩具の台頭も感じられる。

[斎藤良輔]

日本の玩具

有史以前の縄文文化時代の粘土製の人形(土偶)や土面、土製の動物類などが発掘され、なかには玩具の一種と考えられるものもあるが、現代にまで伝わっている玩具の祖型には、古く中国大陸から渡来したものが多い。たとえば「こま」は、奈良時代に唐(中国)から高麗(こま)(高句麗(こうくり))を経て移入されたので、この名がついた。平安時代の承平(じょうへい)年間(931~938)の『和名抄(わみょうしょう)』に「古末都玖利(こまつくり)」と記されているように、その名称がそのまま渡来系統を示している。平安時代から江戸時代にまで行われた「打毬(だきゅう)」(現代のポロに似た球戯)も、やはり古代中国からもたらされ、貴族階級の遊びから、平安時代以後は男の子の戸外遊戯の「毬打(ぎっちょう)」となって流行した。「双六(すごろく)」は朝鮮語の「サブロク」から連想されるように、6世紀ごろ朝鮮半島を経て伝来した。さらに「蹴鞠(けまり)」は唐朝から直接伝わり、後代の女の子の遊び道具「手鞠(てまり)」はこれから変化して生まれた。「凧(たこ)」も平安時代すでに登場していて、中国風に「紙老鴟(しろうし)」(紙製の鳶(とび))とよばれ、宮中の技芸の一種として扱われ、また農作物の吉凶を占う神事などに用いられた。それが江戸時代に子供の遊び道具となった。室町時代には、中国から伝えられた羽根突き遊びが、日本的に消化されてやがて羽子板の形となり、正月の子供遊びに用いられるようになった。張り子の製作技法も当時同じく渡来して、「起きあがり小法師(こぼし)」など日本風なくふうを加えた玩具が生まれた。江戸時代に入ると、これらの遊びはいずれも日本独特の発達、完成をみせ、数多くの種類が出そろった。江戸、大坂などの大都会には商品玩具がにぎやかに登場してきたが、全国各地にも、城下町などを中心に自給自足的な作品が出現して、現在郷土玩具とよばれる古い玩具のほとんどがこの時代にできあがった。

 これらの日本玩具の特徴は、信仰的な習俗や季節的な年中行事などに結び付いたものが多い。その中核となったのが「雛人形(ひなにんぎょう)」である。人形は、日本でも最初は信仰的な立場からつくられ、人体の穢(けがれ)、災厄を祓(はら)う「人形(ひとがた)」がその始まりで、紙や植物製の人形がこれに用いられた。平安時代には、また小さな紙人形を「ひひな」(ひいな)とよんで、一種の人形遊びが行われたことは『枕草子(まくらのそうし)』や『源氏物語』などの古典にもみえている。これが信仰的な習俗と重なり、室町時代から男女一対(つい)の雛人形を3月上巳(じょうし)(最初の巳(み)の日)に飾るようになった。江戸時代にはこれが3月3日の雛祭となって広く普及、発展し、内裏雛(だいりびな)、三人官女、五人囃子(ばやし)、随身以下、雛段に飾る浮世人形など、華麗な作品が続いて現れた。さらに端午の節供など、季節ごとの年中行事が盛んに行われるようになり、これに付随して縁起物などを主体とする玩具作りも発達した。これらの玩具は、当時の民間信仰に根ざした子供の虫除(よ)け、子育て、厄除け、開運、商売繁盛、豊作祈願など、あらゆる縁起に結び付けられたものも多く、神社や寺院の祭礼、縁日などの土産玩具として売られた。現在でも伝承的な郷土玩具となって全国各地に残っている。

 明治時代に入ると、1872年(明治5)ごろからブリキ製の金属玩具がまず海外から紹介され、1874年ごろにはブリキ製のがらがらなど国産品が現れた。続いてゴムまり、ぜんまい仕掛けの汽車玩具、セルロイド人形など、欧米風の近代玩具が輸入され、国内でも生産されるようになった。日露戦争以後は目覚ましい躍進を遂げ、これに伴って明治末期から大正時代にかけては、生活様式の変移、時代の風潮から、玩具の教育性、文化財的価値が認められてきて、子供博覧会の開催、童謡運動の興隆などとともに玩具教育の機運も盛んになった。

 昭和時代に入ると、玩具は日本の代表的な雑貨商品として海外市場に進出する。またアメリカと日本の子供たちの間で行った日米親善人形使節の人形交歓(1927)や、帝展第四部に人形を出品、入選(1936)して芸術的価値が認められたのをはじめ、各種の人形玩具展が開催されるなど、その社会的地位もしだいに向上してきた。しかし、明治中期までは「小物玩具」とよばれる小形で粗雑、安価なものが優位を占めていた。それらといっしょに売られる駄菓子類のなかには、「食品玩具」として一種のおもちゃ扱いにされているものもあった。たとえば、新粉(しんこ)細工、飴(あめ)細工のツルやカメなどの動物類とか、第二次世界大戦後にみかけられた風船ガムが子供たちに親しまれたが、玩具商品が近代化されてくるにつれて、この種のものは後退の傾向にある。

 第二次世界大戦後は、戦災による打撃で、玩具産業は明治初期の状態に逆戻りしてしまったが、その壊滅のなかからふたたび驚異的な復興ぶりを示した。フリクション玩具(1948)、無線操縦のラジオコントロール・バス(1955)、笛を吹くと方向を変える音波操縦自動車(1958)、プラスチックモデル玩具の国産化(1958)、黒人のビニル人形「だっこちゃん」(1960)など、その優れた着想と新しい製作技術の開発によって、国際的な流行玩具を生み出した。またこのころから、テレビ番組や漫画の人気者を主人公にしたマスコミ玩具(キャラクターもの)が花形商品となってきて、怪獣玩具などが子供たちに迎えられた。さらに昭和40年代後半からはオセロゲームなどのゲームものが流行、昭和50年代以降はテレビゲームなどエレクトロニクス玩具が人気を集めている。玩具作品が多様化、高級化するにしたがって、子供中心の時代から移って愛好層が拡大し、成人層を相手とする玩具も数多く登場してきている。その反面、子供たちの間では「おもちゃ離れ」現象もみられ、子供の玩具愛好層の重点が低年齢化されてきている。

[斎藤良輔]

玩具の教育性

玩具が、子供の心身の糧として、人間形成のうえに必要なものであることは、一般に認識されてきている。幼稚園を創設したドイツの教育家フリードリヒ・フレーベルは、1836年、幼児教育の実践遊具として「恩物」(天からの賜り物の意)という保育玩具を創案した。またイタリアの女流教育家マリア・モンテッソリは、児童の感覚教育の一方法として、はめ絵式のものなどの教育玩具を考案した。日本でも明治時代以後は、児童教育、心理学者などによって玩具が児童教育に役だつことが考究され、これまで「悪さ道具」などと軽視されがちであった玩具の教育的価値が理解されてきた。たとえば、明治から大正時代に、児童心理学者高島平三郎が、玩具の効用を分類して、知力的、訓練的、審美的、体育的、感覚的、記憶的、想像的、推理的、味覚・触覚(筋覚)・聴覚・視覚的なものを養うことに役だつとしている。同じく関寛之(せきひろゆき)は、人形玩具224種を例に、それらが児童の想像力、推理力、記憶力、思考力、観察力、意志力または美的感情、同情心を養うことを指摘した。玩具はすべて児童の心身の成長に役だつものといえるが、教育性を強調して、それを目的につくられ教材化したものがある。理工玩具、学習玩具もこれに含まれ、教育玩具ともよばれている。第二次世界大戦後は乳幼児教育の向上、PTAの出現などでこの教育玩具も発達したが、玩具自体の娯楽性と教育性との合理的な融合に、今後の課題がある。

[斎藤良輔]

種類

日本の玩具は、古く中国大陸から伝来したもの、郷土玩具のように全国各地で生まれたもの、自然物などを手作りとしたもの、さらに明治以後発達した近代玩具など多種多様である。材料、用途などから分類すると約4000種にも上るといわれ、世界有数の豊かさである。明治時代までは木、土、藁(わら)、紙などを材料にしていたが、1773年(安永2)刊の玩具絵本『江都二色(えどにしき)』には、当時の玩具88種が掲載されていて、江戸時代すでに数多くの遊び道具に恵まれていたことがわかる。

 現在多く用いられている主要資材別に分類すると、金属製(ブリキ乗り物玩具など)、プラスチック製(ままごと道具など)、木製(積み木など)、布製(縫いぐるみ動物など)、ゴム製(まりなど)、ガラス製(ビー玉など)、陶磁製(装飾人形など)、薬品応用(花火など)、竹製(竹とんぼなど)、貝製(おはじきなど)、石や骨や角(つの)製(さいころなど)などのほかに、以上の各種材料を併用した総合玩具(玩具ハーモニカなど)があげられる。

 また用途の面からの分類では、人形(着せ替え人形など)、育児玩具(起きあがりなど)、音響玩具(太鼓など)、模倣玩具(電車遊びなど)、乗り物玩具(自動車など)、ゲーム玩具(かるた、テレビゲームなど)、手芸玩具(千代紙など)、動物玩具(シールのクマなど)、運動玩具(羽子板など)、知能玩具(知恵の輪など)、学習玩具(文字遊びなど)、科学玩具(日光写真など)、趣味玩具(郷土玩具など)、節供玩具(雛人形など)となる。なお最近は、ファンシーもの(文具、小物品)、ホビーもの(手作り遊び)なども加わっている。

[斎藤良輔]

玩具産業

日本の玩具産業は、江戸中期から問屋制度のもとに発達し、明治時代以降は欧米式玩具を安い労賃で生産、日露戦争後は玩具工業先進国を追って海外に進出し、新興産業の一つにまで成長した。ことに第一次世界大戦後は、ドイツ、オーストリアなど先進国の後退にかわって躍進を遂げ、1937年(昭和12)の輸出額は4200万円、貿易額では陶磁器、鉄製品、綿織物に次いで第4位となった。

 第二次世界大戦中は、海外市場の喪失、生産資材の欠乏と統制、戦災による業者の離散などによって転落したが、戦後ふたたび旧に倍する復活ぶりを示し、1961年(昭和36)には玩具輸出総額286億円、世界第1位の成績をみせた。翌1962年から日本玩具国際見本市(1982年から「東京おもちゃショー」)を年々開催して世界のバイヤーを集め、玩具王国の地位を占めている。1971年には安全玩具(STマーク)の自主規制に乗り出し、玩具業界が良心的な玩具商品の製作販売を実施。翌1972年、玩具輸出額で香港(ホンコン)に首位を譲ったが、1998年の生産額は7523億円に達している。東京、大阪、名古屋が三大生産地で、最近、国内需要の面が増大している。

[斎藤良輔]

『斎藤良輔編『日本人形玩具辞典』(1968・東京堂出版)』『加古里子著『おもちゃの旅』(1977・ほるぷ新書)』『和久洋三著『おもちゃから童具へ』(1978・玉川大学出版部)』『多田信作・多田千尋著『世界の玩具事典』(1989・岩崎美術社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玩具」の意味・わかりやすい解説

玩具
がんぐ
toy

遊びに使用される道具の総称。遊具,おもちゃともいう。語源は手に持ち遊ぶものという言葉からきたものといわれ,平安時代には「もて (ち) あそびもの」と呼ばれた。江戸時代には「おもちあそび」または「もてあそび」が話し言葉として一般に使われている。広義にいえば「おもちゃ」は,太古の弓,棒のたぐいまでを含めることができ,もともとは自然物を用いた手作りのもので,商品化されたのは江戸時代以降のことである。大別して直接子供の遊びの対象としてつくられたものと,信仰や年中行事に結びついたものがあり,後者に属するものとして凧,こま,羽子板,雛人形,あるいはまた神社や寺院の祭礼,縁日などの際に売られる縁起物玩具がある。各地に残る郷土玩具もこのなかに含まれる。日本でおもちゃの生産が工業化されたのは,おおむね昭和期に入ってからのことで,ブリキ,布帛,ゴム,セルロイドなどを素材として,零細企業的な規模によって生産が行われた。現在では,アメリカ,ドイツと並ぶ世界の主産国となり,輸出額では世界第2位を占めるにいたっているが,この発展は第2次世界大戦後のことである。毎年6月に東京で,「日本玩具国際見本市」が催され,各国のバイヤーを集めている。おもちゃの素材としては,金属,ビニル,プラスチック,木などがおもなもので,戦後のものは動きの多様性に特徴がある。最近では ICやセンサを使用したものが多くなっている。

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百科事典マイペディア 「玩具」の意味・わかりやすい解説

玩具【がんぐ】

おもに子ども用の遊びの道具。〈おもちゃ〉。〈玩具〉の語は明治政府による国語統一運動で作られた。また〈おもちゃ〉の語は平安時代には存在した〈もちあそび〉が起源。皮ボールや木製の人形などは,有史以前からあったとされるが,古代エジプトの遺跡から,木製の独楽(こま),クラッパー(音を出すもの)などが出土しているから,このころすでに相当に工夫された玩具があったことを示している。日本では奈良時代にシカ皮のまり,独楽が作られ,平安時代に凧(たこ),雛(ひな)遊び道具などができた。江戸時代には種類も豊富になり,各地に郷土玩具が興った。

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世界大百科事典(旧版)内の玩具の言及

【郷土玩具】より

…日本全国それぞれの土地で古くから自給自足的につくられ,主として子どもたちの遊び道具として親しまれてきた伝承的な人形玩具類。そのほとんどが江戸時代から明治期にかけて生まれたもので,いずれもその土地の生活風俗などに結びついている。…

※「玩具」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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