班超(読み)ハンチョウ

デジタル大辞泉 「班超」の意味・読み・例文・類語

はん‐ちょう〔‐テウ〕【班超】

[32~102]中国、後漢武将。扶風平陵(陝西せんせい省)の人。班固の弟。あざなは仲升。西域に派遣されて諸国を服属させ、西域都護となり、定遠侯に封ぜられた。のち、洛陽に帰って病死。

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精選版 日本国語大辞典 「班超」の意味・読み・例文・類語

はん‐ちょう‥テウ【班超】

  1. 中国、後漢の政治家。字は仲升。班固の弟、班昭の兄。明帝和帝に仕えて西域を征し、その勢力圏パミール高原東西にまでひろげ、五十余国を従えたので、その功により定遠侯に封ぜられた。(三二頃‐一〇二頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「班超」の意味・わかりやすい解説

班超
はんちょう
(32―102)

中国、後漢(ごかん)初期の西域(せいいき)支配に功績のあった武将。右扶風(うふふう)平陵(陝西(せんせい)省咸陽(かんよう)市)の人。字(あざな)は仲升。班彪(ひょう)の子で、『漢書(かんじょ)』の著者班固は兄、班昭は妹である。洛陽(らくよう)に出て学問を志し、苦労して母を養うが、武人として功をあげようと大望を抱いた。73年、竇固(とうこ)の北匈奴(きょうど)遠征に従軍し軍功をあげ、さらに鄯善(ぜんぜん)(チャルクリク)に使いし、不利な状況で「虎穴(こけつ)に入らずんば虎子を得ず」と少数の兵を励まし、ついにこれを服属させた。以後30余年、西域で活躍し、カスピ海以東の鄯善、于闐(うてん)(ホータン)、亀茲(きじ)(クチャ)など50余国のオアシス諸国家を服属させ、西域都護となり、定遠侯に封ぜられた。さらに部下の甘英を西方に遣わし大秦(たいしん)国との国交を試みた。102年、老齢による彼の上願と、妹昭の感動的な上書により帰国が実現するが、1か月後に病没。彼の尽力した西域経営は子、班勇に受け継がれたが、その後は人材なく、西域諸国の離反が相次いだ。

[飯尾秀幸]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「班超」の意味・わかりやすい解説

班超
はんちょう
Ban Chao; Pan Ch`ao

[生]建武8 (32)
[没]永元14 (102).9.
中国,後漢朝前期に活躍した武将。右扶風,平陵(陝西省咸陽県)の人。字は仲升。父は班彪,兄は班固,妹は班昭。著名な文人の家族にあって超とその息子たちは武人として知られた。超は国外に功を立て諸侯に封ぜられる大望をもち,ときにそれを口にしていた。永平16(73)年竇固匈奴遠征に従って功を立て,鄯善に使いしてこれを服属させ,次いでホータン(于闐),カシュガル(疏勒)をくだした。その後も西域にとどまって経営にあたり,永元3(91)年には一時廃止されていた西域都護を復活してこれに任じられ,西域五十余国を統轄,その功により永元7(95)年定遠侯に封じられ,ついに大望を果たした。

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改訂新版 世界大百科事典 「班超」の意味・わかりやすい解説

班超 (はんちょう)
Bān Chāo
生没年:31か32-101か102

中国,後漢の西域都護。班彪(はんぴよう)を父,班固を兄とする学者の家庭の生れ。73年(永平16),西域への使者となったとき,鄯善(ぜんぜん)をおとずれていた匈奴の使者のテントを,〈虎穴に入らずんば虎子を得ず〉と,わずかの部下を鼓舞して急襲,匈奴の勢力の駆逐に成功した。死の直前に洛陽に召還されるまで西域にとどまってその地の経営に従事し,97年(永元9)には部下の甘英を大秦国(ローマ)に派遣している。班勇はその子。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「班超」の解説

班超(はんちょう)
Ban Chao

32~102

後漢の将軍。陝西(せんせい)省咸陽(かんよう)市の人。班固(はんこ)の弟。73年西域招撫(しょうぶ)の任を受け,鄯善(ぜんぜん),于闐(うてん)(ホータン),疏勒(そろく)(カシュガル),莎車(さしゃ)(ヤルカンド),亀茲(きじ)(クチャ),姑墨(こぼく)(アクス),温宿を帰服させた。91年西域都護となり,パミールの東西50余国を統轄し,後漢の西域経営を推進した。

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百科事典マイペディア 「班超」の意味・わかりやすい解説

班超【はんちょう】

中国,後漢の武将。班固の弟。西域の諸国を討って大功を立て,91年西域都護となり,97年甘英を派遣して大秦国(ローマ)と直接交渉を図った。西域の経営に後半生30年をささげて死の直前に帰京。
→関連項目大秦

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旺文社世界史事典 三訂版 「班超」の解説

班 超
はんちょう

32〜102
後漢 (ごかん) の初めに西域経営を行った将軍
班固の弟。73年竇固 (とうこ) の北匈奴征伐に従軍して活躍,91年には西域都護に任じられた。西域に31年駐在し,パミールの東西にわたり50余国を従えた。また,部下の甘英 (かんえい) を大秦 (たいしん) 国に派遣して国交を開こうとした。匈奴との争いの中で語られたとされる「虎穴に入らずんば虎児を得ず」は有名。

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世界大百科事典(旧版)内の班超の言及

【漢】より

…それと同時に西域諸国を威服せしめ,74年(永平17)には前漢の例にならって再び西域都護をおき,西域の経営にあたらせた。このとき都護としてもっとも功績のあったのは班超である。彼は30余年を西域で過ごし,その間に50余国を漢に朝貢させただけではなく,不成功に終わったが部下の甘英を大秦国(ローマ帝国)へ派遣したりした。…

※「班超」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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