精選版 日本国語大辞典 「理神論」の意味・読み・例文・類語
りしん‐ろん【理神論】
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ラテン語のデウスdeus(神)に由来し、ギリシア語のテオスtheos(神)に由来する有神論theismとは語源的に同じであるが、理神論には異端、異教というニュアンスを伴う。ルネサンスのユマニストの普遍的有神論やソチニ派(16世紀末~17世紀初めのイタリアでおこった反三位(さんみ)一体論の教説)と思想的類縁性をもつ。哲学説としては、神を認める点で無神論ではないが、神を世界とその永遠・普遍の法秩序の創造者としつつも、世界の外にたつ超越的存在者とする点で汎神(はんしん)論や内在論とは区別される。また、人格的な意志発動者としての神を認めず、世界は創造後には自動的に運動し続けると考え、したがって、人間生活に直接関係する摂理や恩寵(おんちょう)、奇跡、啓示も認めない点で、正統的有神論からも区別される。
歴史的には、17世紀後半から18世紀にかけておもにイギリスで展開し、フランス、ドイツに波及した合理主義的、自然主義的な神観をさす。イギリスでは、理神論の父、チャーベリのハーバートが、すべての宗教の基本教義を、万人に共通な自然理性によって承認せざるをえない生得的な五つの箇条に集約した。したがって、啓示や個々の宗教の制度などは二次的なものとされた。その弟子、ブラウントはこの説を普及させた。ロック以後の理神論者は、経験論的傾向を強め、生得観念を否定し、奇跡、預言、秘儀などを科学的実証性に堪ええぬものとして排除し、これらを僧侶(そうりょ)たちの権力欲に発する行為として進んで攻撃し、思想の自由、宗教的寛容を主張した。かくて宗教の実質的内容は、基本教義で合致する限り、現実的な、よき市民たる道徳に還元されていく。代表者としては、ジョン・トーランド、アンソニー・コリンズ、マシュウ・ティンダル、トマス・ウールストン、トマス・チャブ、トマス・モーガン、ジョン・ボリングブルクなどがいる。フランスでは、イギリス理神論やロック、ニュートンの影響を受けたボルテールに代表されるが、その後ルソーを経て反カトリック、反絶対王制のイデオロギーとして無神論へ急速に移行した。ドイツでは、ライマルスやレッシングに代表され、フランスの場合と同じく啓蒙(けいもう)主義の一つの思想的形態である。18世紀末、理論的難点、実証科学の発展、市民社会の完成とともに、その歴史的役割を終えて衰退した。
[小池英光]
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万物の摂理をつかさどり人間に賞罰を課す人格神に対する信仰を批判して,神を創造主としてのみ認めて,人間の理性による神の解釈を可能とする立場。名誉革命後のイギリスにおいて,宗教的な熱狂と無関心に対する両面批判として,宗教と理性の調和を図る目的で主張され,フランスとドイツの啓蒙思想に継承された。
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…ピューリタンの多くは非国教徒となり,名誉革命後は長老派教会,会衆派教会,バプティスト教会,クエーカー派を形成して今日にいたっている。18世紀に入って啓蒙主義の時代を迎えると,啓示や奇跡を否定し,宗教を理性によって理解しようという理神論者が伝統主義者との間に論争を引き起こした。他方,一般的な宗教的情熱の冷却によって教会生活は各派とも低調をきわめたが,都市に集中し教会の手の届かなくなった労働者や貧民に,救いの手を伸ばし回心と聖化を説いたのがウェスリーであった。…
… 一口に啓蒙思想といっても,そのあらわれ方は,近世における西欧各国の歴史的展開の違いに応じて,時期的にも,またとりわけ内容的にも,大きな違いがある。17世紀にいちはやく市民革命をなしとげたイギリスは,当然啓蒙思想の口火を切るという栄誉をになうが,ここでは,その内容はおおむね穏健であり,認識論においては経験論,宗教に関しては理神論といった考えが大勢を占める。一方,市民階層の形成におくれをとったフランスにあっては,フランス革命を頂点とする18世紀が啓蒙思想の開花期となるが,ここでは,先進のイギリス思想に多くを学びながら,啓蒙思想はすくなくとも一翼において,唯物論,無神論などといったより徹底した過激な形態を示す。…
…そしてそれはまさに時代の主潮となるが,啓蒙思想のにない手たちはもはやリベルタンではなく〈哲学者(フィロゾーフphilosophe)〉と呼ばれることになるだろう。 つぎにフリー・シンカーとは17世紀末,18世紀初めのイギリスに輩出した理神論者で,超自然的な啓示によらず,人間本来の理性に基づく〈自然宗教natural religion〉を説き,あるいは聖書に記されている預言や奇跡などの非合理的要素を人間理性による検証にゆだねようとした。〈イギリス理神論の父〉チャーベリーのハーバートHerbert of CherburyやブラウントC.Blountにつづくトーランド,コリンズJ.A.Collins,M.ティンダル,シャフツベリー,ボーリングブルック,ウールストンT.Woolstonらがそれで,フランスの啓蒙思想家(たとえばボルテール)など,以後の理神論者に大きな影響を与えた。…
…イギリスの理神論哲学者,政治パンフレット作者,ミルトンの著作の編集者。スコットランドとオランダで学んだ後にイングランドに戻り,1696年に《キリスト教は神秘的でない》を公刊した。…
※「理神論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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