生田葵山(読み)イクタ キザン

20世紀日本人名事典 「生田葵山」の解説

生田 葵山
イクタ キザン

明治〜昭和期の小説家,劇作家



生年
明治9年4月14日(1876年)

没年
昭和20(1945)年12月31日

出生地
京都市御幸橋

本名
生田 盈五郎

別名
別号=葵(アオイ)

学歴〔年〕
東洋英学塾卒

経歴
17歳で上京して巌谷小波の門に入り、明治31年「花すみれ」「応募兵」を発表。また「少年世界」などに数多くの児童向け作品も発表。32年永井荷風らと「活文壇」を創刊し、高踏的な浪漫主義文学を提唱した。代表作に「三本杭」「友垣」「片手套」「和蘭皿」「富美子姫」などがある。大正5年洋行し、それ以降は劇作に転じた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生田葵山」の解説

生田葵山 いくた-きざん

1876-1945 明治-昭和時代前期の小説家。
明治9年4月14日生まれ。東洋英学塾にまなび,上京して巌谷小波(いわや-さざなみ)に師事する。明治32年「団扇(うちわ)太鼓」でみとめられ,「活文壇」誌を主宰。37年の「和蘭(オランダ)皿」が評判となる。のち劇作に転じた。昭和20年12月31日死去。70歳。京都出身。本名は盈五郎(えいごろう)。別号に葵(あおい)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の生田葵山の言及

【平出修】より

…つとに《明星》の同人として活躍し,その廃刊後は石川啄木や吉井勇らと《スバル》を刊行した浪漫主義系の文学者であるが,一方で神田神保町に法律事務所を開業するリベラルな弁護士でもあった。生田葵山(きざん)の小説《都会》(1908)の発禁事件や,与謝野鉄幹との縁で担当したと言われる大逆事件の弁護が有名である。ことに大逆事件に際しては,石川啄木に事件の真相を伝えて影響を与え,自らも幸徳秋水らをモデルにした《逆徒》(1913)その他の小説をものして時代に抗した。…

※「生田葵山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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