田中大秀(読み)タナカオオヒデ

精選版 日本国語大辞典 「田中大秀」の意味・読み・例文・類語

たなか‐おおひで【田中大秀】

  1. 江戸末期の国学者。飛騨高山の人。粟田知周和歌・国学を学び、のち本居宣長入門中古物語・日記の研究中心とした。橘曙覧(たちばなあけみ)弟子。著「竹取物語解」「土佐日記解」「落窪物語解」など。安永六~弘化四年(一七七七‐一八四七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中大秀」の意味・わかりやすい解説

田中大秀
たなかおおひで
(1777―1847)

江戸後期の国学者。飛騨(ひだ)(岐阜県)高山の人。本居宣長(もとおりのりなが)の門下。ただし直接学んだのは宣長の没した年(1801)だけで、のちに松坂(三重県)に赴いて遺著を写し取り著しく傾倒した。『竹取翁(たけとりのおきな)物語解』(1816)に、宣長の「もののあはれ」論を『竹取物語』に当てはめたりもしているが、主として中古の物語日記文学の本文措定と注釈に、宣長の合理主義的な解釈学を祖述し進展させて、前記のほか、『土佐日記解』(1829)、『蜻蛉(かげろう)日記紀行解』(1830)などや、『落窪(おちくぼ)物語』刊本、『かげろふの日記解環(かいかん)』(坂徴著)への書き入れに、その業績を残す。

[木村正中]

『松室会編・刊『田中大秀』(1954)』『高山市教育委員会編・刊、大野政雄校訂『田中大秀翁伝記』(1996)』『中田武司編『田中大秀1~6』(2001~2004・勉誠出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「田中大秀」の意味・わかりやすい解説

田中大秀 (たなかおおひで)
生没年:1776-1847(安永5-弘化4)

江戸後期の国学者。通称弥次郎。前名は紀文。香木園(かつらのその),荏野翁(えなおう)などと号する。飛驒高山の薬商。国学を粟田知周,伴蒿蹊に学んだのち,本居宣長に入門。堅実な学風をもって知られ,中古の物語の注釈に顕著な業績を残すとともに,歌もよくし,その門下に橘曙覧(たちばなあけみ)を出した。また飛驒大野郡の式内社荏名(えな)神社を再興するなどして,神道の振興にも尽力した。主著は《竹取翁物語解》《土佐日記解》《落窪物語解》《荏野冊子》など。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中大秀」の解説

田中大秀 たなか-おおひで

1777-1847 江戸時代後期の国学者。
安永6年8月28日生まれ。伴蒿蹊(ばん-こうけい),本居宣長(もとおり-のりなが)にまなぶ。中古の物語,日記文学を研究,「竹取翁物語解」「土佐日記解」などの注釈書をのこした。門人に歌人橘曙覧(たちばな-あけみ)らがいる。弘化(こうか)4年9月16日死去。71歳。飛騨(ひだ)(岐阜県)出身。初名は紀文。通称は弥次郎。号は千種園,荏野(えな)翁。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中大秀」の意味・わかりやすい解説

田中大秀
たなかおおひで

[生]安永6(1777).8.28. 高山
[没]弘化4(1847).9.16. 高山
江戸時代後期の国学者,歌人。号は香木園,千種園,荏野翁。本居宣長の門に入り,宣長死後は大平 (おおひら) に教えを受けた。古典注釈に力を注いだ。著書『竹取翁物語解』 (1828) ,『土佐日記解』 (29) ,『落窪物語解』,歌文集『桂葉集』,歌集『荏野集』。

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367日誕生日大事典 「田中大秀」の解説

田中大秀 (たなかおおひで)

生年月日:1777年8月28日
江戸時代後期の国学者
1847年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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