出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊本県の民謡。田原坂は熊本市北区にある坂で、明治時代は昼なお暗いほど立ち木に覆われていた。1877年(明治10)の西南戦争の激戦地になってから有名になった。西郷隆盛(たかもり)の率いる薩摩(さつま)軍は、近代的装備をもつ官軍に決戦を挑んだが、3月20日には敗戦が確定的になった。このようすを、薩摩軍の本陣がある人吉(ひとよし)まで伝える役目を命じられたのが、この唄(うた)にも歌われている20歳の美少年三宅(みやけ)伝八郎であった。実際にこの唄ができたのは1904~1905年(明治37~38)の日露戦争のころで、かつての田原坂の激戦を歌い上げて、士気を鼓舞しようとしたもの。歌詞は九州日日新聞記者の入江某がつくり、熊本の芸妓(げいぎ)留吉が作曲したと伝えられている。
[斎藤 明]
熊本県北部、熊本市北区植木町豊岡(うえきまちとよおか)の田原地区にある三池往還の坂道。玉名平野に連なる木葉(このは)川流域の低地から、いわゆる肥後台地の西端に上る途中にある一の坂、二の坂、三の坂の総称。侵食谷であるため、標高のわりには曲折した急崖(きゅうがい)が随所にみられ、西南戦争(1877)では、この地形的特徴から官軍・薩(さつ)軍入り乱れての白兵戦の舞台となった。激戦地跡は一部、田原坂公園として整備され、田原坂資料館、弾痕(だんこん)の家のほか、社会福祉会館、サイクリング・ハイキングロードなども設けられ、地域社会のカルチャーセンター的性格も担っている。付近にはミカン、イチゴ、スイカ、メロン、ブドウなど四季折々の果実を生かした観光農園の造成も目だつ。
[山口守人]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…鹿児島本線が通じ,九州縦貫自動車道の植木インターチェンジがあるため近年熊本市への通勤者が増え,人口も増加傾向にある。西部にある田原坂は西南戦争の古戦場で,現在は頂上一帯が公園になっている。町の北部に平島温泉(単純泉,45~52℃),宮原(みやばる)温泉(単純炭酸鉄泉,15℃)がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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