病気(読み)ビョウキ

デジタル大辞泉 「病気」の意味・読み・例文・類語

びょう‐き〔ビヤウ‐〕【病気】

生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態。医療の対象。疾病しっぺい。やまい。
悪い癖や行状。「いつもの病気が出る」
[類語]疾病疾患患い障り病魔持病

やまい‐け〔やまひ‐〕【病気】

病気らしい気配。病気の気味。
「―の無い匂ひなり菊の花/千梅」〈俳諧新選〉

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精選版 日本国語大辞典 「病気」の意味・読み・例文・類語

びょう‐きビャウ‥【病気】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 生体が正常と異なった形態または機能を示す状態。多くの場合に自ら健康感の喪失ないし苦痛を覚える。体内の異常によるものとしては動脈硬化、血栓、心筋梗塞、腫瘍などがあり、外部からの侵襲によるものとしては外傷や感染症などがある。やまい。わずらい。いたつき。疾病。
    1. [初出の実例]「而件牛両三日有病気」(出典:古事談(1212‐15頃)五)
    2. [その他の文献]〔史記‐倉公伝〕
  3. 人の、悪いくせや行状。
    1. [初出の実例]「復た貴夫の病気(ビャウキ)が初まりましたネ」(出典:落紅(1899)〈内田魯庵〉三)

やまい‐けやまひ‥【病気】

  1. 〘 名詞 〙 病気の気味。病気らしい気配。
    1. [初出の実例]「この牛は力も強く病気(ヤマヒケ)もなきか」(出典:仮名草子・浮世物語(1665頃)四)

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改訂新版 世界大百科事典 「病気」の意味・わかりやすい解説

病気 (びょうき)

身体の痛み,不快感,機能の低下や不調和などで日常生活が妨げられる,個人の肉体的異変や行動の異変をいい,そのような状態の不在を健康という。

個人の肉体の機能や行動は自然的および社会的環境と密接に結びついているため,肉体や行動の異変についての解釈や,それへの対応は文化によって異なる。しかし,一般論としていえば,その解釈には自然的解釈と超自然的解釈の二つの様式があり,一方,異変への対応には,庇護と忌避の二つの理念と形態とがあって,それぞれ複雑な組合せをもっている。

 近代社会では,病気であるかどうかの判断は,それを行うことを制度的に承認されている医師に求めることが原則とされ,医師は医学という客観的基準を媒介として判断あるいは決定することを建前としている。しかし,それによって満足すべき成果が得られないときには,〈なぜ,いま,わたしが〉という主体的な問いかけの答えを求めることになる。医学はそれに答えられないため,近代社会においても,超自然的な解釈やそれにもとづく行動が失われないのである。さらに,医師は客観的な基準によることを建前にしているが,意識的あるいは無意識的に,社会的価値判断が影響して,医学的な管理下におくことを正当化するような診断を下すこともある。とくに客観的なデータが得がたい行動面での異変について,そのような事態が起こりやすい(これを〈ラベル付け〉ということがある)。一方,これとは逆に,医師が客観的基準を盾に病気であるとの診断を下さない場合,そしてそれにもかかわらず,本人が異変の存在を主張することもでてくる。これを半病気(そのような状態の人を半病人という)とか半健康という。

 健康をより積極的にとらえるなら,病気の不在という医学的定義にとどまらず,世界保健機関憲章(1946)に宣言されているように,〈健康とは,完全な肉体的,精神的及び社会福祉の状態であり,単に疾病又は病弱の存在しないことではない〉ということになる。この場合,個人的状態としては,それぞれの環境において,最も良好に活動できる状態でなければならないから,その基準は個別的に違ってくることになる。病気と健康の判定についての上記のような矛盾は,病気の判定については,できるだけ普遍的な基準が要求されるのに対して,健康の基準が個別的であることにあるといえる。

身体の不快感,痛み,機能の不調,能力低下などの原因と考えられている身体内の変化が病気であるが,多くの場合,それは放置したままでは,そしてみずからの知識・技能では容易には回復しないと思われている状態であり,さらにそれが長期間続いたり,しだいに悪化する場合には,これに不安が加わって,周囲の者,とくに病気の診療を職としている医師を中心とした医療従事者の判断と援助を要請する状態ともなる。近代社会においては,そのような状態にある者は,医師によって病気をもつと判断されることで,決定的に病人としての社会的扱いを受けるようになる。医療社会学でいう病気の役割sickroleである。つまり,病気をもつことによって,病人は日常的な社会生活における義務や責任の一部または全部の免除が与えられる。たとえば,仕事を休んでもよい,健康なら犯罪とされる行為が,病気のためだと判断されると罪の軽減あるいは無罪となる。また,その状態にあることについて道徳的な追及も受けない(大酒飲みは反道徳的だが,アルコール依存症は病気であるから道徳とは無関係である)。さらに病人は援助,とくにそれも医療専門家の援助を受けるべきものと社会的に承認されている,などの内容をいう。近代社会では,かつては犯罪的,背徳的とされていた行為は,しだいに病気とみなされることによって,罪として罰せられるよりも,治療を要するものとして扱われるようになる。これは,社会における逸脱行為に対する社会的な調整装置が,法律的,処罰的な形から医学的,治療的な形に移行したものとみることができる。

前述のような社会的,文化的な背景の前で,医師が医学的に病気であることを証明するためには,モデルとして最も可視化しやすい変化を中心にする。これを器質的疾患という。眼によって臓器や組織の異常を確認できることは,病気を客体化することであり,上述の病気の役割を裏づけるためにも都合がよい。つまり,それが理由であることをだれもが承認できる実体があることであり,したがって異常な行動も,それをもつ人間が異常であるためでなく,そのために不可抗力的にとらされているのであること,さらには救助しなければならないことをも正当視させることができるからである。

 器質的疾患に対して機能的疾患がある。これは可視化できる変化が認められない疾患をいう。基本的には,不快感,痛み,機能の不調,能力低下などが訴えられているという事実だけがある場合をいう。しかし,それが医師に訴えられ,医師が対処することによって,病気として扱われることになる。

病気についての医学的な判断(診断)には四つのレベルがあり,その四つがそろって初めてまとまったものとなり,治療への指針を確実に得ることができると考えられている。その四つとは,症候論的診断(あるいは臨床的診断),病理解剖学的診断,原因診断,そして機能診断(あるいは病態生理学的診断)である。症候論的診断とは,患者の訴える病歴と症状,医師が自分の感覚(視診,触診,聴診,打診など)と簡単な道具(体温計や血圧計,聴診器など)を用いて得た情報から,これまでに知られて記載されている病気のどれに一致するかを判断する(もし一致するものがなければ,それは新しい病気として報告され記載される)。判断すべき情報が症状や所見のレベルにのみとどまり,その組合せとしてのみ構成されているとき,症候群syndromeと呼ばれる。症候論的診断が臨床的診断と呼ばれるのは,患者を診察した場所で,とりあえずつけられる判断であるからである。病理解剖学的診断とは,症候論的診断を可視化することで行われる。最終的,結論的には,身体内部を開けて直接病変部位を確認することによって得られるが,その代用として,疑わしい組織の一部を採取して顕微鏡で検査したり(これを生検biopsyという),胃カメラ,気管支鏡,膀胱鏡などの内視鏡で病変を確認したり,あるいはX線や超音波などで間接的に病変部の輪郭を確認することで判断することも含まれる。器質的疾患の診断としては,最も中核的な局面である。原因診断とは,原因から治療的な干渉手段を導くために求められるもので,ふつう病気を内因性のものと外因性のものとに区別する。内因性とは,遺伝や体質など直接干渉しにくい身体内の原因に対して呼ばれる。本態性(たとえば本態性高血圧)という形容詞は,内因性で,とくに原因を把握しにくい場合につけられることが多い。しかし自己免疫疾患など内因性と考えられていた病気のなかには,その本質がしだいに明らかにされつつあるものも少なくない。外因性とは,外傷(機械的な力,冷,熱,放射線,化学的物質などによる)や,栄養,中毒,感染,寄生など,外部からの作用によって起こる疾患をいう。さらに機能診断とは,病気による機能障害の程度を示すために求められる。最近とくに発展してきた計量的な検査法は,この目的で用いられる。これらの数値を中心に,その組合せによって病名を決定しようという計量診断もしだいに盛んになりつつある。ただし,これによって与えられる判断は,単に身体内部の情報であるにすぎず,実際の生活面で,どの程度の支障があるかを告げるものではない。そこで,機能診断の発展した形として日常生活活動度activity of daily living(ADL)がつくられる。これは日常生活に最も重要な行動能力,たとえば,排便,入浴,衣服の着脱,食事,移動などが独立して行えるかどうかなど,病気の種類に応じて判定することで,介助やリハビリテーション,治療の尺度にする。

前述のように病気は,医学一般の立場でも四つのレベルに分類されるだけでなく,一人の病人の状態に対して,診察する医師の専門や視点によって,重点のおき方が違い,それぞれに違った病名がつけられることもあって,動植物のような自然分類は不可能であるが,統計をとるうえでの便宜から国際的に採用されている分類では,表のように17種に大別されている。これらには,さらにそれぞれ下位分類があり,4桁の数字で表示されるように構成されている。このような病気の理解は,西欧近代医学によってつくられたもので,出発点となるのは病人の訴えであるが,それを身体内の器質的変化に結びつけて,それを操作することで治療しようとする原理に立っている。それなりに大きな効果を示してきたが,機能的な病気には対症的な効果以上に出ることができず,かえって逆効果をきたすことも少なくない。

 そこで,とくに機能的な病気,および器質的な病気でも,その機能的な障害の局面に対しては,個人と家族,文化・社会などとの関連において理解すべきであるという考え方が最近強くなっている。この場合,病気を疾患diseaseと〈やまい〉あるいは狭義の病気illnessとに区別し,前者を西欧近代医学的な概念とし,後者をもって,この局面を代表させようとする考え方である。医療社会学,医療人類学,あるいは比較精神医学などでは,このように病気をとらえて対処しようとしており,さらに近代以前の西欧医学,民族医学,古典医学なども同じような理解に立っていることが指摘されている。
医学 →医療
執筆者:

病気は単なる生理学的現象ではない。人間の心身にかかわるすべての現象と同様,病気にも文化的現象としての側面がある。それぞれの文化が独自に病気を名づけ,分類し,説明し,意味づけ,独自のイメージを与える。われわれが実際に経験するのは,このようにして,いわば文化的に形成された病気なのであり,逆の言い方をすれば,われわれはそのようなものとしてしか病気を経験できない。

 このような立場に立つと,病気は自明の事がらではなくなる。社会と時代とによって関心をひく病気や病因論が異なるだけでなく,そもそも病気の定義が多様である。したがって文化科学の立場からすると,病気をうんぬんする前に,病気とは何かという問いを避けて通ることができない。この問いは帰するところ病気と文化の関係をめぐるものであり,その解明は,病気をめぐる文化的な多様性に着目するところから始まる。

まず,病気という概念自体についていえば,日本語の〈病気〉に相当する語をもっている民族も数多いが,日本語でいえば死と病気とを同時に意味する語をもっている民族もあり,また病気に相当する語をもたない民族もある。個人や集団をおそう災厄をどのように区分し,そのどの部分を病気と名づけるかは文化によって異なり,また病気と名づけられたものをどのように分類し,個別化するかについても同様である。たとえば天災,事故,妻の不妊,心身の不調などが,神の怒りや妖術といった同一の原因によってひき起こされるとする文化がある。この場合,現代の科学の立場からすれば,互いに内在的な関係をもたないとみなされる諸現象が同一のグループにまとめられているわけである。また,同一もしくは類似の身体的な症状が,まったく異なる原因,たとえばあるときは敵の妖術により,またあるときは自分自身のタブーの侵犯によってひき起こされると考える体系もある。

病気をめぐる文化的な多様性は,まず病因論や病原論を手がかりとして知ることができる。生理学的医学とは異なる病気観は世界中にみられるが,典型的なものとしては次のようなものがあげられよう。

 神々,祖先,精霊など神霊の働きによるとするもの。この場合,直接の原因としては,罪に対する罰として,あるいは加害に対する報復として病気を送られるケース(報復の場合には,祖先の悪業の報いを受けるように,必ずしも自分の行為に対するものとは限らない),神霊の召命の合図であるケース,単に供物を要求するといったような一回的,一時的な要求の合図であるケース,神霊の間の争い,たとえば善神と悪神の争いの舞台として,ある個人の心身が選ばれるケースなどがある。また,それぞれの病気がいわば擬人化されていて,病気と精霊が同一視されている場合もある。たとえば,結核という病状が,結核という神の発現形態であるというぐあいに。この場合,結核という病状は結核という神の召命の徴(しるし)でもあり,回復すると,結核という神をまつることになる。

 生者の神秘力によるもの。これには,敵による妖術や社会的な権威をもった上位者つまり長老や父による呪詛(じゆそ)などがある。

 タブーの侵犯によるもの。タブーを侵犯すると自動的に病気などの災厄に見舞われるという考えは,ほとんどあらゆる社会にみられる。これには,自分が侵犯した結果である場合と,他人が侵犯した結果のいわばとばっちりである場合とがある。

 このほかにも,病気は現実ではなく,精神が抱く幻想でしかないとか,感情の乱れによるものだといった病因論もある。

 上記のような病因論は病原論と組み合わさっていることが多い。直接の病原としては,異物(悪霊を含む)の体内侵入,魂の喪失,冷熱,陰陽等のバランスの乱れ,器質的な障害などがあり,たとえば,妖術者が体内に異物を射し込むとされている例,また妖術者が魂を奪ったり冷熱のバランスを崩したりすると考えられている例などがある。病因と病状を対応させている文化もある。たとえば,ある種の狂気や癩病(ハンセン病)は神による罰であるとか,急性の病気はタブー侵犯の結果であるというぐあいに。このような病因論によって,病気は,生理学的医学の場合とはまったく異なる意味を帯びることになる。

病気は個人の内部に局限されるべき生理学的な現象ではない。それは,病者をとりまく社会的・宇宙的状況の一部であり,表れ(徴候)であり,結果である。病者自身が責任を問われることもあれば問われないこともあるが,いずれにしても,病気は,社会的,道徳的,倫理的な意義を濃密に帯びた現象である。

 このような病気観に立脚するかぎり,治療行為は,病者だけに働きかけるものではありえない。それは病者をとりまく社会的・宇宙的状況,つまり,神々や祖霊と生者の関係,生者の間の敵対や社会的軋轢(あつれき),タブー侵犯による世界の汚れ等々を表現し,それに働きかける社会的な行為とならざるをえない。

 このような考え方からすれば,病状(症状)としての病気は何事かの徴候であり,単に消去すればよいものではない。病気とは解釈されるべきものであり,そのことによって徴候としての病気を生起させている事象をつきとめ,それに働きかけることこそ重要なのである。このようにとらえられる病気は,かりに生理学的医学の観点からみていずれかの病名を与えうるとしても,それは必ずしも現代医学が取り扱うあれこれの病気と同じものだとはみなしえないであろう。病人自身に経験されるものとしてはもちろんのこと,生理学的にみてさえも。

個人の心身をおそう異常,不調,苦痛,不安などは,名づけられ,説明され,意味づけられ,対処されることを要求する。病的な現象は,いまだ意味づけられていないものとして,秩序の中に組み入れられていないものとして立ち現れる。それは文化自体に対する一個の挑戦である。

 意味と秩序なしには存立できない人間生活と文化を存続させるためには,それを意味や秩序の体系と結びつけなければならない。病気をめぐる営みは,文化と社会を根底において支えている意味産出と秩序構築の活動の典型的な例である。病気が多くの社会において,全体的な秩序の構築と保持にたずさわる宗教や政治的権力と深いつながりをもっていたことは偶然ではない。宗教が病気の説明や治療と深くかかわっていることはよく知られている。だが病気は政治的権力とも無縁ではなく,王が治癒力をもつと信じられた社会がある。逆に,疫病の流行は時の権力者の威信を揺るがした。反体制の運動家は精神病者として監禁される。政治的敵対者には黴菌(ばいきん),癌などのイメージがかぶせられる。

 このように,病気をめぐるイメージや観念,経験や行為について考えることは,その社会や文化の中核的な部分について考えることになる。
執筆者:

古代バビロニア人たちは,重大な病気はそれにかかった人の不道徳な行為に対する神の懲罰あるいはたたりよるものと考え,それぞれを支配する神の名前や悪霊の名前を冠して,〈イシュタルの手〉〈シュマシュの手〉〈エンキ(エア)の手〉などと呼んだ。一方,古代エジプト人たちにとっては,病気は懲罰ではなく,人間の外にあって世界を支配している神たちの抗争によってもたらされる状態と考えられた。加えて,古代エジプト人の病気観について特記すべきは,彼らは病理的な奇形に対して,他の多くの民族のように劣等視せず,むしろ尊敬さえしていたことである。小人症の人が宮廷に芸人として雇われることは後にルネサンス期のヨーロッパでも行われたように,それほど例外的なことではないとしても,金銀細工師の守護神プタハが,軟骨形成不全症とみられる姿で,分娩の神ベスがくる病の姿で表され,さらにヘルモポリスの神殿では無脳児が崇拝されたことなどは,他の文化圏にあまり例をみない。

 このような流れを受け継ぎながら,旧約聖書の世界で,古代イスラエル人たちは,多神教から一神教に転換したため,病気を生じさせる超自然的なものも単一化するとともに,それは懲罰ではなく,神の試練あるいは証(あかし)と考えるようになった。この考え方はキリスト教社会ではより明らかになる。また旧約聖書の世界では,宗教と結びついた清浄が強く要求され,多くのタブーがつくられたが,《レビ記》における詳細な規定にうかがえるように,病気のうちとくに著しい不浄とみなされた癩病(ただし種々の皮膚病も含まれていたと思われる)に対する忌避感情が強く,社会的隔離が始められた。これはキリスト教社会にも踏襲され,中世には多数の癩患者の収容所が設けられた。ただし,キリスト教の慈善思想が裏にあるために,忌避隔離する一方で,それらの病人たちの生活を社会的に保障したり,篤実な信徒のなかからは,癩患者への奉仕を積極的に行う集団も生まれた。

 中世にヨーロッパを何回も襲ったペストをはじめとする種々の伝染病の流行に際しても,癩病に対してと同様に,隔離と救助が同時に行われた。また中世から盛んになった聖人崇拝とからんで,病名に聖人の名を冠するものが多くなる。たとえばユベール病(狂犬病),ラザロ病(癩病),マトラン病(精神病),〈アントニウスの火〉(麦角中毒)などで,これらは病気の原因ではなく,救いのためのとりなしを願ったことによる命名であった。ここには,病気に対する原因と治療の基礎になる考え方が必ずしも同じでない例をみることができる。

 一方,伝染病の発生は不潔な場所から生じる悪い気体,すなわちミアスマmiasmaによるという観念が広く支持され,天然痘や性病,ある種の皮膚病などは,病変部位に触れることで伝染することが明らかになっていった。これらの概念を一般化したものとして,〈生きたコンタギウムcontagium animatum〉という実体が考えられた。伝染病の原因がミアスマによるものであるのか,あるいはコンタギウムによるものかについては,長い間,議論の対象となったが,いずれにしても,ミアスマを発生するような不潔な場所を整備することによって,あるいはコンタギウムを駆除すれば,伝染病の流行を阻止できることになる。これらミアスマ説やコンタギウム説が理論的根拠を与え,産業革命以後,個々の病気を同定するようになったところで,さらにその原因を実証的にとらえようという方向に発展した。こうして,原因と病気の因果関係を明らかにし,それからその診断や治療そして予防法を見つけだしていくという,西洋近代医学の方法論が確立してくる。

 このようにして,病気についての自然的理解が進むにつれて,ヨーロッパの病気観にも違った見方が出てくるようになる。その一つは,貧困や不衛生な生活,社会的,政治的な抑圧など,人間の外部的条件の劣悪化の表現形態として病気をとらえようとする見方である。また,いま一つは,感情や意志,性格など内部的条件の過剰,欠乏,偏倚の表現形態として病気をみる立場である。前者の医学における受けとめ方としては,社会医学や衛生学的な方法につながり,一般的な受けとめ方としては,病気の存在やまん延は政治的な課題となる。一方,後者の受けとめ方においては,医学では精神分析や心身医学を生んだが,一般的には,特定の病気に特定の気質や人間類型を結びつけるなど,病気に対する俗信を広げることともなった。
執筆者:

病気は殷の時代には祖先の霊のたたりによると考えられ,だれの霊がたたっているかが亀甲や獣骨を用いて占われた。治療処置については記録がないが,霊をしずめるための祭祀が行われたことは間違いないであろう。周の時代になると病気についての知識も蓄積され,種々の原因が考えられたが,気の異常という説が提出された。病気という語は《史記》の扁鵲(へんじやく)伝に由来するといわれているが,《春秋左氏伝》には前541年のこととして〈天に陰・陽・風・雨・晦・明の六気があり,四時五節をつかさどっているが,陰が過ぎると寒疾を,陽が過ぎると熱疾を起こすというように,過ぎると病気を起こす〉という医和の言葉を伝えている。気は中国哲学の重要な概念で複雑な内容を持ち,人により,時代により解釈が異なっている。初期に考えられていた病変を起こす気は外界にある邪気で,風とか湿のような形をとって体内に侵入するとした。とくに重視されたのは風邪(ふうじや)であって,たとえば中風はもとは風邪によって起こされた発熱性疾患であり,破傷風は傷口に風邪が侵入して起こった病気という考えであった。したがって,その治療にも薬物などのほかにまじないが重視された。

 現代まで中国医学理論の基本になっている《素問》(《黄帝内経》)は漢代の思想にもとづいていると考えられる。この書は多くの医学思想家の説をまとめたものであるため,統一がなく,人体生理については〈五蔵説〉と〈経脈説〉が提唱され,それが種々に組み合わされている。その説によると〈蔵府〉は気を貯蔵したり違った形のものに変化させたりし,経脈は気と血を運行させて生理現象を営んでいるとする。また陰陽説と五行説が導入され,陰陽の消長により,また五行の関係による制約と助長によって生理現象が影響を受けるとされている。したがって人体内外,とくに外界の陰陽,五行あるいは陰陽五行的な環境の変化によって体内の気の調和が破れると病気になるとし,治療に際しては薬物療法では〈蔵府〉の,鍼灸(しんきゆう)療法では経脈の障害を重視していた。中国医学ではすべての場合にこのような病因が考えられていたわけではなく,実際的な診療の場では観察された病変に応じて薬物を投与するという方法がとられていたことが多い。宋代になると陳言は《素問》の考えを多少変更して《三因方》(1174ころ撰)を著し,病気には内因によって臓腑を損なわれたものと,外因によって経絡を経て臓腑に障害を起こしたものと,飢餓とか金瘡(きんそう)など不内外因によるものがあるとした。

 金・元の医家は《素問》の説をさらに進めて,五行の関係を強調した運気説(運気論)を重視し,薬物治療の場合にも経絡の障害を重視している。また伝染病は古くから注目され,最初は邪気によって起こるとされたが,明の呉有性は《温疫論》(1642撰)を著し,現在の病原体に近い考えを提出した。しかし,それが戻気と呼ばれたように,病気は気の障害によって起こるという《素問》の説は一貫して中国医学の病因論の基本になっている。
執筆者:

病気という言葉は,中国では〈病(やまい)を起こす気〉という意味であったが,日本に伝えられると,病そのものという意味になった。しかし病の受けとり方に気の部分を残しており,それも中国的な気より日本的な気としての語感が強い。日本的な気は〈ケ〉あるいは〈気配〉としての気であり,対人関係またはそれに近い関係をもとにしている。たとえば,神道的な考え方では,病気の起こる原因は(けがれ)としているが,穢は〈気乾れ〉で,生命力の減退を意味するが,さらにそれは生霊,死霊などのたたり,あるいはタヌキ,キツネ,物の怪などのつきものによって起こるとされている。生霊,死霊などの多くは,怨をもつもの,あるいは怨をいだいて死んだものがたたるのであり,つきものも,対人関係における負い目が背後にひかえているときに起こるものとして説明できる場合が少なくない。つまり日本人は,自分で対処できない,しかも日常的な経験で理解のつかない,身体的な不快不調,不能,すなわち病気に対しては,対人関係の困難・障害を無意識的に措定する傾向が強い。したがって,それを寛解させるための祭りや祓いも,象徴的に対人関係を修復するのを目的としたものであることが多いのである。日本人に独特の,あるいはとくに日本人に多い症状とされている肩凝りや対人恐怖症赤面恐怖症)も,日本人の社会が,言語によるより言葉を使わない意思伝達が多く,さらには身分関係への配慮などで,緊張を要求される状態が多いことから,このような症状を意識するのであろう。とくに肩凝りは,外国語には直接対応する言葉がなく,来日した外国人は,最初はこの症状を知らないが,日本的生活に慣れるにしたがって肩凝りを訴えるようになるが,これは気候風土によるよりは,日本的社会における特殊な対人関係に,より深く巻き込まれるためであろう。また,日本の小児について,疳(かん)というのがある。中国の医書によると,脾疳(ひかん),すなわち慢性の消化器障害や腹部の膨満,そして異常な食欲などを示す状態をいうが,日本の場合,疳の虫といわれるのは,夜泣き,過敏性,ひきつけなど,家庭内の静けさを過度に乱すと感じられる逸脱で,これを異常または病気として,虫封じ,疳押えなど治療の対象とする。

 人間は病気になった場合,社会に期待し,また社会から期待される行動をとる。病気の役割といわれるのがそれである。たとえば,病気になれば,社会的義務の全部または部分的な義務を免除されることや,病気であることに道義的責任を求められないこと,さらに救助を必要とする存在であると認められていることなどがそれである。それぞれの社会では,それぞれ内容や程度において病気の役割が異なっており,それが病気観を規定する。この病気の役割という概念を最初に提出したパーソンズは,アメリカ人の場合,上の三つに加えて,それらの役割の正当性を示すために病人は,医療専門家の指示にしたがい,できるだけ早く回復するよう努力する義務が求められているといい,さらにその背景として,資本主義社会における達成本位の社会構造をあげている。これに対して,ソビエト社会では,早く回復する義務が求められていないばかりか,完全回復まで援助されることを,むしろ権利として感じる傾向の強いこと,そして,これは社会主義社会における集団的目標を優先しようとする社会観に由来するといっている。日本の場合,直接病気の役割について行った研究は少ないが,病人に対する過度と思われる庇護と,それに対する病人の甘え依存と,さらに,その依存による負い目の増大に対する内心の反発という矛盾がうかがえる。庇護についていえば,日本人社会では,知人・縁者が病気になったときに,贈物をもって見舞うことが慣習化している。また,日本では,平均入院日数が欧米などの数倍あること,医療においても検査,与薬が過剰に傾いていることは,医療報酬制度によるところもあるが,病気をもつものは庇護されるべき状態であるという感じ方によって増幅される。そのような依存性に対する寛容は,ときに負い目の増大として病人に受けとられる。とくに長期間,身辺自律が困難なまま援助を受けなければならない状態にならないように,ぽっくり寺信仰がかなり広くみられるのは,それを裏書きするものである。
執筆者:

人類にとって病気は,古今東西,離別することのできない不変の伴侶である。しかし,その病気は時代や地域によって,歴史的な特徴をもっており,また人間の歴史に特定の大きな役割をはたすことがときにおこる。そのような認識にもとづいて病気を歴史学の一主題として採り上げることが,とりわけ20世紀後半になって,注目を集めてきた。さしあたり三つの角度から,この問題の展開をとらえることができる。

 第1に病気は,一般史においてしばしば軽視されているとはいえ,重要な歴史の動因と考えられる。たとえば,歴史上の重要人物・事件にとって,病気という偶然的要素が,予想外の規定要素となっている例が挙げられる。アレクサンドロス大王の熱病,初期ローマ諸皇帝のてんかん,ナポレオンの皮膚病と胃病,ロシア・ロマノフ朝末期の血友病など,病気の発現・推移が歴史の歩みを大きく左右したと思われるケースである。さらには,王や皇帝といった重要人物にかぎらず,ある時代・地域を広範に覆った病気が,歴史に深甚な影響を及ぼしたことがある。ヨーロッパ中世末以来のペスト(黒死病),新大陸アメリカのインディオ人口を減耗させた疫病,産業革命期のイギリスを襲った呼吸器伝染病(肺結核,インフルエンザ),植民地の風土病でありながら先進宗主国をとらえた梅毒,コレラ,そして産業社会の職業病というべき鉱毒症,喘息,精神障害など,これらの病気は,たんなる人間という生物の個人的生理現象であることを超えて,歴史的波及力をもつ事件となったというべきである。歴史家はそれらの病気の流行,拡散のメカニズムをとおして,時代の全体構造を解明することができる。とりわけ,ペストやコレラなどの大規模な流行病は,微生物の固有の活動によるばかりでなく,人間社会の人口の配置と密度,運輸・交通手段,対症能力などによっても規定されるだけに,社会のあり方を照らし出す好適のテスト・ケースとなりうる。

 このような第1の視角,手法は,シゲリストH.E.SigeristやジンサーR.Zinsserなどの古典的な著作(《文明と病気》1962,《ねずみ・しらみ・文明》1934)で採用されている。

 病気を対象とする歴史学において,第2にとりあげられるのは,人々が病気に対してもつ観念や態度の検討である。このテーマはかつては,科学史上の一分野である医学史(医学理論史)に即して討究されていた。しかし,そのような専門的学知の直線的な発展史のみによってはカバーされえなくなっていることに,歴史研究の現今の特徴があるといえよう。それは概略つぎのような経緯によってである。西欧近代医学はほぼ二つの基本的な生理・疾病観にもとづいていた。まず身体については機械論をもってし,機械をモデルとして身体機能を解釈した。医療技術はここでは,機械の補修・保全技術になぞらえられ,劣化した部品の摘出,交換や工学的な組みかえが目標とされた。他方,病気については,病毒説をもってし,健康な身体は外来の毒素,たとえば病原菌や有毒な大気,食物によって病気におちいるものと考えた。したがって,医療はこの外来毒素を消毒し,防除することに技術的な課題を見いだしたのである。これら機械補修と病毒排除の技術は大成功をおさめた。西欧近代医学はこれにより専門性を高め,みずからを理念上も社会的にも医学をほかの領域から切りはなし,純化させることになった。そこでは,非専門家は医学の恩恵の受益者の立場にとどまることになった。

 ところが,機械論的身体観と病毒論的疾病観はやがて,部分的に疑問を呈されるようになった。人体はたんなる機械ではなく,痛みや感情をもった生体であり,身体に対する感覚が,医学における重要な課題であると主張されるようになった。有機体としての身体を再考慮する必要にせまられたのである。他方,病毒論については,身体をも環境・生態系の一部分としてとらえたとき,かならずしも,外界を善悪(害益)二元論では律しえないことに気づかれた。このような状況のもとで,有機体としての身体や生態系内での生体を,西欧近代医学に顕著な工学技術的観点以外の観点からもとらえようとする試みが,人間科学,社会科学のなかからも提唱された。このような動向のなかで,人間・精神と社会・環境をとりあつかう本来の歴史学が,発言の余地を得るようになってきた。人々が自分の身体に対して,どのような観念をいだくかは,歴史的な変異をともなう。また,環境・社会も歴史の関数であって,それゆえ,病気の発生・拡散・終息は,異なったいくつもの類型にしたがう。伝染病や風土病,あるいは身体欠損や機能障害は,それぞれの歴史社会のなかでのみ,その構造や意味をはかりとられることになる。このような病気の観念の変換にあわせて,J.M.メイらの医学者やM.D.グルメクなどフランスの歴史家たちが,20世紀後半になって,あらたな〈病気の歴史学〉を提唱しはじめている。医学的認識の変化を広い歴史的文脈の中でとらえかえしたM.フーコーの《臨床医学の誕生》(1963),結核や癌といった病気をその〈神話〉から解き放つことをめざしたS.ソンタグの《隠喩としての病い》(1978)のような仕事も,以上のような動向と軌を一にするものといえる。

 第3に,病気の発生はいちおう前提におくとしても,病気に対する社会的対応には,同様に歴史的な諸類型があることに気づかれる。〈病気の社会史〉とでもいうべき視点である。この視点からすれば,すべての歴史社会は,西欧に典型的であるような近代病院,近代公衆衛生をめざしていたわけでも,またそれを達成したわけでもない。近代病院,近代公衆衛生制度は,西欧近代医学の論理的必然だったのではあるが,病院に先だち,もしくは代替するさまざまの医療施設があった。共同体による扶養,修道院,寺社による施療など非病院的な治療機会を歴史社会のなかに見いだし,それらがたんに病気ばかりか,人生のうえでのさまざまな不幸をもあわせて看護・介護する総合的な扶助機能をもっていたことが注意されるべきである。さらには,近代医療技術から排除された治療術も,再検討の対象となった。民間薬,祈禱,伝統的な養生法はそれぞれの歴史社会の文化に深く根ざしており,民俗文化,もしくは民衆文化の核心をも構成している。それらを手がかりにして慣習,民俗における身体感覚や病気観にまで論じ及ぶことができる。これら伝統化された知見・技術は,それとして高度な体系をもそなえ,近代にあっては,専門医療技術とのあいだに相克をおこしてもいる。アジア,アフリカなどの世界ではこの相克がいちじるしい。医療の社会史的研究は,西欧ばかりか,これら伝統社会における相克に注意をむけつつある。

 病気の歴史学が多様な課題を負うにいたったのは,以上のような問題意識が表面化したからである。しかも,健康や病気がいちじるしい関心をひくようになっている現在においては,このような新しい視点にもとづく病気の諸相の解明にはさらに期待が高まっているといえよう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「病気」の意味・わかりやすい解説

病気
びょうき

医学では病気を「体の機能、構造、器官などの断絶、停止、障害」すなわち正常状態からの逸脱と定義することが多いが、「正常」という概念そのものが不確かである。突きつめていくと「異常でないこと」という語義反復の矛盾に陥ってしまう。自然科学的に病気を定義することはむずかしい。

 17世紀のイギリスの医師トマス・シデナムは、病気を動物や植物と同じく一つの実体であると考え、動物学や植物学のように病気を分類しようと試みた。しかしこの試みは失敗している。それ以後も同種の試みが幾度も繰り返されたが成功していない。それは病気が実体だという最初の仮定が間違いだったにすぎない。病気の本性について、アメリカの医学者エンゲルハートらは「病気という概念は病人が属す文化や社会のもっている価値や信条によって構成される」という考え方を提唱した。つまり、病気とは実体というより文化や社会による決め事という側面が大きくからんだ概念である。

[中川 晶]

病気の概念

前段で述べたように、病気一般に妥当する定義をすることはむずかしい。なぜなら、病気とは、まず社会学的、行動学的な概念であるためである。ただ、このような概念の背後には、日常的な活動を妨げるものとして、それを取り除くことが望まれているものの存在が措定されている。

 その一つは自然的な実体である。それが存在することによって、日常的な責任が全面的あるいは部分的に免除されたり、道徳的な責任も追及されず、さらには治療をも含めた援助を受けることの正当性が社会的に承認される。つまり、自然的であるということは、病む本人の意志とは無関係であると考えられるため、責任のとりようがなく、また、そのために能力が低下したということであるから、周囲からの援助に加えて、専門的援助が必要とされるのである。こうした専門的援助の基本になるのは、多くの社会では医師である。医師は、こうした自然的な実体を、それぞれの時代において広く承認されている自然的事物の説明原理に沿って明らかにすることによって、実効のあるものにすることができる。具体的にいえば、医師は医学を根拠にして病気の存在を明らかにするわけであるが、普通、医師の思考過程や、その結果として明らかにされる病気は、いずれも直接みることができない場合が多いため、その判定も医師によってなされる。つまり、社会学的な手続として病気が措定されることとなる。

 もう一つは個人的な事情である。それが個人を苦しめ、運命にも大きな脅威となる災厄である以上、なぜそのような状態がもたらされたのかという個人的な事情を納得できなければ、それからの解放の手だてはつかめない。とくに近代以前の社会においては、個人的な事情の多くは、非行や不道徳に対する罪や呪(のろ)いや試練であったりする。これらの違いは、文化的背景や個人差によるが、共通していることは、それが回顧的に追求されるということである。そして、現在の症状や苦痛について自らが理解できたときに、それから解放される契機が得られるということである。

 一般に古いタイプの医学は、後者すなわち個人的な事情の理解と結び付き、新しいタイプの医学は、前者すなわち自然的な実体の把握と結び付いているが、精神的な病気では、自然的な実体の理解が困難であるため、個人的なものとして回顧的に扱われることが多い。

[中川米造・中川 晶]

病気の概念の変遷

歴史的にみると、病気の理解のされ方はさまざまであるが、近代医学が成立するまでは、自然的な実体と個人的な事情とはほとんど同じ説明体系のなかにあり、病気の診療にあたる医療者も、ほぼその説明体系に従いながら技術を展開させた。

 古代エジプトでは、病気とは、悪霊の侵入や神々の争い、つまり、よい力と悪い力の戦いにおいてよい力が圧倒されることによっておこると考えられた。僧でもある医療者は、こうした病気に対する解釈を求めつつ、一方においてはそれぞれの症状の組合せから、予後を判定し、経験と祈祷(きとう)を兼ねた治療法を施した。また、メソポタミアでは、病気は、主として犯した非行に対する懲罰と考えられ、やはり経験と祈祷を兼ねた診断と治療法が講じられた。やがて、古代のインド、ギリシアおよび中国に宗教と分離した自然哲学が成立すると、病気はその原理に従って理解され、さらにその理解に基づいて診療が行われるようになった。インドでは、身体は粘素、風素、胆汁(たんじゅう)の三つの原素によって構成されるとし、ギリシアでは、たとえば血液、粘液、胆汁、黒(こく)胆汁の4種の体液によって身体の機能をとらえ、中国では、気と血、あるいはそれに水を加えて、それぞれの流通状態で身体機能を考えたり、自然の諸性質を陰陽に分類して、その変化を説明した。そして病気の症状は、それぞれの国において、これらの基本的要素とのかかわりで理解された。日本における病気の理解は、おおむね中国の影響を受けたということができる。このような理解は、ヨーロッパに近代医学が確立されるまで続いていく。

 近代医学においては、病気は身体内の実体として考える。したがって、症状はその実体の表現であるとされる。これに対して、近代以前の医学では、症状そのものが病気であり、有害環境、あるいは有害な原因に対する反応として病気をとらえるのが一般的である。

[中川米造・中川 晶]

近代医学と病気

近代医学では、自覚的に感知される症状と、他覚的にとらえることのできる徴候または所見の組合せに基づいてまず病気を考え、それが動植物の種の記載のような体系的な分類に基づく特徴と再現性があるかどうかに注意が払われる。それが同定され、再現性が認められるときには、症候群という名称が与えられる。ついで、そのような症候群を呈する患者の病理解剖によって、それらの症候群の発生理由を身体内部に求め、同定できたとき、それが病気の実体ということになる。ところが、病気によっては、病理解剖を行っても、症候群に対応する変化を発見できないことがある。この場合は、機能の面での異常にとどまっていると解釈され、機能的疾患とよばれる(これに対して、前者は器質的疾患とよぶ)。器質的疾患においては、まず、肉眼的レベルでの異常が記載され、ついで顕微鏡による組織的レベル、細胞的レベルでの記載としだいに微視的な記載が進んでいく。最近では、分子レベルにまでその記載が及んでいる。このようにして病気の同定ができれば、原因が追求されることになるが、原因不明のままにとどまる場合もある。

 原因が判明すれば、症候群的認識、病理解剖的認識を加えて、病気の記載はいちおう完結したものとされる。しかし、病気における記載は、動植物における記載と比べた場合、著しくその性格を異にする。なぜなら、動植物の記載は、それぞれが自然に存在するものであるため、その種の位置についてはときに問題となることはあっても、いちおう体系的な分類は可能となる。しかし、近代医学における病気は、症状があってもその実体としての病理解剖的な裏づけが不可能となる機能的な疾患もあるし、また、たとえ器質的な疾患であるとしても、それと症候の関係は統計的なものであって、必然性を保証されていないからである。近代医学が始まって以来、多くの医学者が体系的な病気の分類を試みたが、成功していないのはこのためである。

[中川米造・中川 晶]

病気の分類

前述のように、病気の体系的な分類は困難であるが、保健行政の運用を目的として、WHO(世界保健機関)では次のような19の分類を設け、さらにその下位に小分類を付している。

 (1)感染症および寄生虫症、(2)新生物、(3)血液および造血器の疾患ならびに免疫機構の障害、(4)内分泌・栄養および代謝疾患、(5)精神および行動の障害、(6)神経系の疾患、(7)眼(め)および付属器の疾患、(8)耳および乳様突起の疾患、(9)循環器系の疾患、(10)呼吸器系の疾患、(11)消化器系の疾患、(12)皮膚および皮下組織の疾患、(13)筋骨格系および結合組織の疾患、(14)尿路性器系の疾患、(15)妊娠・分娩(ぶんべん)および産褥(さんじょく)、(16)周産期に発生した病態、(17)先天奇形、変形および染色体異常、(18)症状・徴候および異常臨床所見・異常検査所見で他に分類されないもの、(19)損傷、中毒およびその他の外因の影響。

 この分類においても、いくつかの反問は可能である。たとえば、感染症とする場合には消化系の臓器と関連をもつわけであるし、新生物とする場合でも、その発生部位を考えれば、解剖学的な区分とかかわりをもつこととなる。また、妊娠や分娩を病気と考えることができるかという問題もある。しかし、現代における病気は、医療の対象となる状態であるとされていることを考えれば、この分類も、いちおうそれなりの意味をもっているといえる。

[中川米造・中川 晶]

病気観の多様性

病気とは、身体や精神になんらかの異状があり、日常的な活動が困難であったり苦痛を伴うような状態をいう。しかし、病気であるかないかの区別は、ヒトという生物としての条件は同じであるにもかかわらず、社会や時代によって異なる。マラリアはかなり重大な病気であるが、よく知られている事例として、リベリアのマノ人やミシシッピ川上流渓谷地域では、マラリアを病気とはみなさなかった。その理由は「だれもがかかっているから」ということであった。日本でも最近まで百日咳(ひゃくにちぜき)や「おたふくかぜ」などは、幼児の発育上避けられない通過儀礼的試練の一つと考えられており、感染率の高い病気とはみなされなかった。このように、病気は、個人的な苦痛や不快とはかかわりなく、病理的意味での病気とは別に、社会的に規定されるものでもある。

 「未開社会」や伝統的社会では、病気が単に個人の心身上の不調や不快という範囲を超えて、その人を取り巻くさまざまな環境との関係がうまくいっていない状態の表現であると解釈されることが多い。つまり、病人と家族、親族や隣人との人間関係、病人と神や祖霊との関係、さらには病人と、風、水、空気、大地、星などの「宇宙」との関係が正常に保たれていないため、その不調和が病気になって現れているという疾病観が広く存在する。また、宗教的には、病気は穢(けが)れた状態であると考えられることが多く、その穢(けがれ)を祓(はら)うための儀礼が治療行為となることもある。したがって、このような疾病観をもつ社会で行われる治療行為は呪術(じゅじゅつ)的であり、それは科学的医学の知識に欠けているというより、むしろ、その病因論の基盤にある世界観の特異性によるものである。

 「未開社会」の人々は、一般に信じられているよりはるかに客観的で豊富な治療手段をもっていることが明らかになりつつある。呪術的治療行為に惑わされて、これまでは彼らの行う投薬やマッサージなどの医療的行為が見逃されてきた。呪医(じゅい)は、宗教的指導者であると同時に自然環境の優れた観察者でもある。科学的医学の進んだ産業化社会でも、病気か病気でないのかの区別は保健医療制度などの社会的・経済的条件によって左右されることもある。たとえば、癌(がん)などの特定の病気が、他の重大な病気に比べて社会的により大きな意味を与えられることもある。それは、かつての結核がいわば社会的病気とみなされたことと同じ現象である。このように、いつの時代にもどの社会でも、人間の生と死、幸と不幸と直接かかわる病気は、純粋に客観的にとらえられることはない。

[波平恵美子]

『中川米造著『医学をみる眼』(1970・日本放送出版協会)』『豊倉康夫・塚田裕三・渡辺格編『病気とは何か』(1976・講談社)』『S・F・スピッカー、H・T・エンゲルハート編、石渡隆司他編訳『医療哲学叢書 新しい医療観を求めて』(1992・時空出版)』『波平恵美子著『医療人類学』(1994・朝日新聞社)』『H・S・フリードマン編著、手嶋秀毅・宮田正和監訳『性格と病気』(1997・創元社)』『日野原重明監修、医療秘書教育全国協議会編『医療概論』改訂版(2002・建帛社)』『後藤由夫著『医学概論』(2004・文光堂)』『上田敏編『一般医学』3訂版(2007・ミネルヴァ書房)』『池田光穂・奥野克巳編『医療人類学のレッスン――病いをめぐる文化を探る』(2007・学陽書房)』『フランク・ゴンザレス・クルッシ著、堤理華訳『医学が歩んだ道』(2008・ランダムハウス講談社)』『H・E・シゲリスト著、松藤元訳『文明と病気』上下(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「病気」の意味・わかりやすい解説

病気
びょうき
disease

生物の正常な状態がそこなわれ,生命維持機能が阻害あるいは変化すること。病気のとらえ方は歴史や文化,社会によって異なるが,ここでは西洋医学に基づいて述べる。病気の原因はさまざまである。その1つに,外部から生物の体内へ微生物や物質が侵入することによって起る外因性の病気が考えられる。たとえば細菌類,ウイルス,真菌類,寄生虫などの病原体や,毒素電離放射線などの有害物質の侵入である。過去に人類の人口増減や民族の興亡の要因となったペスト痘瘡などの疫病が代表的である。第2に,生物体内の先天性あるいは後天性の構造的欠損や,生理的な機能異常によって起る内因性の病気がある。たとえば,血中の糖分を代謝するインスリンというホルモンの分泌が不足するために起る糖尿病がこれにあたる。このほかに,内因性の要素と外因性の要素が混ざり合って起る病気もある。環境の変化に対応できなかったときにも,生物の体内に有害な変化が生じるし,食事内容の変化や微生物などの侵入によって,生理的な機能異常や成長障害が引起されることがわかっている。
病気に対抗する手段として,ほとんどの生物に防衛機構が認められている。ヒトを含む脊椎動物には特異的免疫システムが備わっており,外部から微生物が侵入すると,それを解毒し,殺し,あるいは駆逐するだけでなく,その防衛機構を維持し続ける。そのため,同じ微生物が再び侵入したとき,前回よりも迅速に排除され,病気を引起すにいたらないこともしばしばである。ヒトが麻疹 (はしか) ,流行性耳下腺炎 (おたふくかぜ) ,水痘 (水ぼうそう) など多くのウイルス性疾患に2回以上かかることがほとんどないのはこのためである。この免疫システムを利用して病気を予防する方法がワクチンの接種である。ヒトや動物に,殺した微生物 (腸チフスワクチンなど) や毒性を弱めた微生物 (麻疹ワクチンなど) を接種して人工的に免疫を刺激し,病気にかかることなく防衛的な免疫反応を生じさせる。しかし,このような防衛反応が,逆に病気をもたらすこともある。結核による肺の損傷は,一部は結核菌の侵入によるものであるが,一部は防衛反応のため感染箇所の周囲に線維組織ができることによる。また免疫反応自体に障害が起ると,慢性関節リウマチなどの自己免疫疾患を引起すことがある。外部からの微生物ではなく個体自身の組織が標的となり,免疫反応が誘発され,排除されてしまうのである。エイズもエイズウイルスの侵入に対して免疫システムが作動しなくなるために起る病気である。一方,生物の体内に侵入しても,病気を引起さない有機物も存在する。ヒトとビフィズス菌のように,宿主の生命維持機能をそこなわずに,片利共生的あるいは相利共生的な関係をつくるものもいるし,ある種には病気の原因となっても,別の種にはなんら害を及ぼさないものもいる。
病気の予防について,一般に次のようなことが行われる。外因性の病気,たとえば個体から個体へと伝播する伝染性の病気は,原因となる微生物や寄生虫などを環境から排除したり,伝播経路を遮断することで予防できる。マラリアの予防に,これを媒介するハマダラカを駆除するのが該当する。内因性の病気でも,病気を誘発させる原因を排除することが大切であるが,ある種の膠原病のようにそれが困難な場合は病気が発症しにくい環境へ移すことも行われる。特定の病気に対しては,ワクチンを接種して人工的に防衛機構を刺激することで,予防できる。おもな病気の治療法としては,薬剤で原因となる微生物を殺す化学療法,病変部を取除く手術,トランキライザステロイドなどの薬剤や心理的アプローチによって生体の負担を軽くして自力の回復をうながす方法,などがある。

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普及版 字通 「病気」の読み・字形・画数・意味

【病気】びようき

やまい。

字通「病」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の病気の言及

【呪医】より

…呪術的方法を主とする病気治療者のこと。一般的に言えば,呪術的方法とは,因果関係についての一定の原理を前提として,神霊などの人格的な力や非人格的な神秘的力を直接に統御し操作しようとする行為である。…

※「病気」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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