翻訳|typhus
〈ほっしんチフス〉ともいう。シラミが媒介するリケッチアRickettsia prowazekiiによる感染症。古くから世界各地で流行を繰り返し,日本でも法定伝染病の一つに指定されている。長い間,腸チフスとの異同は不明であったが,1909年,ニコルCharles J.H.Nicolle(1866-1936)は,病原体がシラミによって媒介されることを証明し,さらに16年にダ・ロシャ・リーマHenrique da Rocha-Lima(1879-1956)が病原体のリケッチアを分離,同定して,本態が明らかになった。
感染は皮膚の傷口を通して起こる経皮感染で,患者から吸血したシラミの腸管内で増殖したリケッチアが糞とともに排出され,それがヒトの皮膚につき,吸血刺口を搔いた傷口から糞とともに体内に侵入することによって感染する。したがってシラミが寄生するような衛生状態の不良なところに流行が発生し,〈戦争熱〉〈飢饉熱〉〈刑務所熱〉〈船舶熱〉などの別名でも呼ばれた。感染後5~15日の潜伏期を経て発症し,全身倦怠,咳,頭痛などの前駆症状の後,悪寒や頭痛を伴った発熱で発症する。発熱は39~40℃で,約1週間続き,発症3日目ころから顔や手掌などを除き,全身に桃色の発疹が出る。顔面は紅潮し,結膜は充血して,肺には間質性肺炎を併発する。重症例では脳の障害を伴い,昏迷,昏睡に陥る。二次感染が起こると病状はさらに重篤なものとなり,死に至る。診断は発疹,発熱などの症状による。近年では抗生物質の開発,普及によって,死亡率は著しく低下した。
なお,発疹チフスによく似,しかし症状が軽い発疹熱は,かつては発疹チフスと同じものと考えられていたが,媒介はネズミノミによるものであり,病原体も別のリケッチアR.mooseriによるものであることが明らかになり,別の病気として区別されるようになった。これも抗生物質が有効である。
→チフス
執筆者:菊池 祥之
発疹チフスは,ペストおよびマラリアとともに,人類史に大きな影響を及ぼした三大昆虫媒介病の一つであり,戦争と飢饉のたびに発生してきた。古代エジプトやギリシアでもシラミの存在が知られているので,発疹チフスの流行があったと思われ,トゥキュディデスが《戦史》第2巻でその症状と経過を詳細に記述した前430年の〈アテナイの疫病〉は,一説には発疹チフスといわれる。しかし発疹チフスの診断が明確になるのは,1489年のヨーロッパにおける流行の記録からである。その後近世ヨーロッパの戦乱や戦役のたびに発疹チフスは流行を繰り返し,戦場のかくれた主役として派手に立ち回り,たとえば,三十年戦争,七年戦争では発疹チフスが勝敗を左右した。
19世紀に入ってからもヨーロッパでは発疹チフスが猛威をふるい,とりわけナポレオンのモスクワ遠征では,赤痢などの脇役とともに,発疹チフスはフランス軍のおよそ3分の2を奪い,史上最もすぐれた将軍の一人であるナポレオンも,この強敵には手のほどこしようもなく,衰運の大きな原因となった。また,ナイチンゲールが活躍したことで知られるクリミア戦争,さらに第1次世界大戦でも発疹チフスは主役を演じた。ロシア革命でも発疹チフスは大流行し,この間に3000万の患者と300万の死者を算し,レーニンをして〈社会主義が勝つか,シラミが勝つか〉と叫ばせた。第2次世界大戦でも発疹チフスは将兵をおそい,多くの日本軍兵士の命を奪った。さらにアウシュビッツなどのナチスの捕虜収容所でも大流行し,また戦中・戦後の日本人を苦しめたことも忘れられない。
執筆者:立川 昭二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
発疹チフスリケッチアによる急性熱性感染症です。患者さんの血液を吸ったコロモジラミの腸管内でリケッチアが増殖し、糞中に排泄されます。シラミに刺されたかゆみで皮膚をかくと、皮膚の傷や
日本では1957年以降の発生はありません。海外ではアフリカ、メキシコ、南米アンデス地域などの高地で局地的に流行しています。感染症法の2003年11月の改正で、動物対策が必要な新4類感染症に分類されました。国際的監視が必要な疾患に指定され、発生時にはWHOに報告されます。
潜伏期は1~2週間です。寒気、頭痛、背部痛、四肢の筋肉痛を伴って突然発熱し、高熱が続きます。激しい頭痛や意識障害を伴い、重症例では
発熱から4日前後に発疹が体幹にみられ、顔面を除く全身に拡大します。大きさは
およそ2週間で急速に解熱しますが、初感染後、体内にリケッチアが潜伏し、数年後に再発することがあります。
発熱が3日以上続いたり、頭痛や筋肉痛が強い場合は受診してください。
発熱期の患者さんの血液からリケッチアを証明すれば確実ですが、リケッチアの分離には安全度レベル3以上の実験室が必要とされるため、実際には抗体による診断が中心となります。発疹熱、腸チフス、パラチフス、ツツガムシ病などとの区別が必要です。
抗菌薬としてはテトラサイクリン系薬が有効で、通常、投与開始から3日以内に解熱します。少なくとも1週間は服薬します。適切な抗菌薬が用いられれば死亡することはありませんが、抗菌薬が使用されない場合、致命率は10~60%です。
一般的には、シラミの媒介なしに直接ヒトからヒトへ感染することはないので、シラミの駆除が予防の第一です。衣類や寝具は加熱消毒を行います。一般に70℃の熱気に30分通せば死滅します。
ワクチンは国内では市販されていませんが、不活化ワクチンと生ワクチンがあります。
相楽 裕子
出典 法研「六訂版 家庭医学大全科」六訂版 家庭医学大全科について 情報
「ほっしんチフス」ともいい、高熱、頭痛、発疹を主要症状とする急性感染症で、日本では感染症予防・医療法(感染症法)により4類感染症に分類されている。かつては検疫伝染病(検疫感染症)で、1969年7月以来、WHO(世界保健機関)の保健規則では国際監視伝染病の一つであった。病原体の発疹チフスリケッチアRickettsia prowazekiiがコロモジラミやアタマジラミによって媒介されるため、衣類の不潔や入浴の不自由などシラミの繁殖に好条件が与えられると爆発的に流行し、とくに戦争で戦場にいるときはこの条件が満たされて大流行となるところから、戦争チフスなどの別名でもよばれてきた。第二次世界大戦でも世界各地で流行し、日本でも1943年(昭和18)から患者が急増し、戦後の46年には患者数3万2000人、死者3000人に及ぶ大流行をみた。当時、東京では駅の改札口を通る人の襟や袖口(そでぐち)にシラミ退治のDDTの白い粉を噴霧するなどの予防対策も実施されたが、生活環境が改善されて流行は下火となり、1957年以降は患者の発生がない。
病原体は患者の血を吸ったコロモジラミの糞(ふん)に排出され、これが健康者の皮膚の刺傷やかき傷から侵入して感染する。潜伏期間は10~14日。急に悪寒とともに発熱し、3日ほどで40℃前後の高熱となり、頭痛、関節痛、結膜充血などのほか、直径2ミリメートル前後の赤くて細かい発疹が全身に多数現れる。症状は腸チフスに似ているが、ワイル‐フェリックス反応とよばれる血清反応で鑑別される。クロラムフェニコールやテトラサイクリンなどの抗生物質が特効的に効くので致命率は低い。しかし、60歳以上の患者は予後不良のことが多い。また、抗生物質は解熱後2~3日まで投与する。シラミの駆除が予防上重要で、予防接種も有効である。
[柳下徳雄]
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報
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…近年では抗生物質の開発,普及によって,死亡率は著しく低下した。 なお,発疹チフスによく似,しかし症状が軽い発疹熱は,かつては発疹チフスと同じものと考えられていたが,媒介はネズミノミによるものであり,病原体も別のリケッチアR.mooseriによるものであることが明らかになり,別の病気として区別されるようになった。これも抗生物質が有効である。…
…チフスは広義には腸チフスtyphoid fever,パラチフスparatyphoid fever,発疹(はつしん)チフスexanthematic typhus (epidemic typhus)の三つを含むが,日本で単にチフスという場合には腸チフスをさすことが多い(ただし英語圏で単にチフスtyphusというときは発疹チフスを意味することが多い)。また前2者は細菌性の感染症であるが,発疹チフスはリケッチア性の感染症であり,両者では症状なども異なる。…
…中世以来のペストはしだいに終息したが,これに代わる強力な伝染病がつぎつぎと襲った。15~16世紀にイギリスだけを襲った奇病,イギリス発汗熱,また16世紀以降とくに戦争の折,および平時では監獄でしばしば流行した発疹チフス,それに1493年アメリカ発見の航海から帰ったコロンブスの一行によってもちこまれた梅毒も,たちまちヨーロッパをまきこんだ。インドのベンガル地域の地方病コレラが,19世紀には6回にわたって世界的な大流行をおこした。…
…ただしそれも北宋時代に校勘作業を受けているから,現行本にも唐代のものとのあいだに多少の違いのある可能性があり,巻によって内容量が大きく違っているから,完本でないことも明らかである。傷寒は急性の熱病で,発疹チフスとかワイル病などを含めた複数の病気の総称であろう。《傷寒論》は傷寒の発病から死亡までの全経過を6段階に分け,各段階のさまざまの病状を記述し,それぞれに応じた治療法を指示したものである。…
…
[病気の媒介]
ヒトジラミは吸血してかゆみを起こさせるばかりでなく,重大な伝染病を媒介する。発疹チフスの病原体はリケッチアで,シラミの消化管内で増え,糞といっしょにまき散らされる。スピロヘータによる回帰熱,第1次世界大戦中流行した塹壕(ざんごう)熱もシラミが媒介する。…
…チフスは広義には腸チフスtyphoid fever,パラチフスparatyphoid fever,発疹(はつしん)チフスexanthematic typhus (epidemic typhus)の三つを含むが,日本で単にチフスという場合には腸チフスをさすことが多い(ただし英語圏で単にチフスtyphusというときは発疹チフスを意味することが多い)。また前2者は細菌性の感染症であるが,発疹チフスはリケッチア性の感染症であり,両者では症状なども異なる。…
…ヒトがこれらのリケッチアに感染すると,急性の発疹性熱性疾患であるリケッチア症がひき起こされる。最も有名なリケッチア症は発疹チフスで,古来,戦争や飢饉など生活環境が悪化したときに大流行をみた。病原体はリケッチア・プロウァツェキR.prowazekiで,ヒトに寄生するコロモジラミによって媒介される。…
※「発疹チフス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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