白〓教の乱(読み)びゃくれんきょうのらん

改訂新版 世界大百科事典 「白〓教の乱」の意味・わかりやすい解説

白教の乱 (びゃくれんきょうのらん)

中国の宗教的秘密結社,白蓮教徒反乱。南宋以来,異端邪教の代表とされる白蓮教は,本来,阿弥陀浄土信仰の宗教結社であった。一方,隋・唐より〈弥勒仏下生〉を唱え,反旗をひるがえす弥勒教徒の存在がみられるが,下層階級に教民の多い白蓮教の中にいつしかこの弥勒教が混入し,元末には紅巾の乱を起こした。この大乱の中から興起した明太祖朱元璋は,天下統一の過程で白蓮教を邪教として切りすて禁圧したが,その組織は根強く残存し,永楽年間(1403-24),山東で仏母を称し妖女といわれた唐賽児の乱には万余の人が従っている。弘治(1488-1505)から嘉靖(1522-66)にかけ,山西省の白蓮教徒はモンゴル族の小王子と結ぶ動きをみせ,租税をとらぬという宣伝に誘われ,北辺の板升(城,村落)に入植した漢人の5分の1は白蓮教徒であったという。明末,広範な人民の生活破綻と,満州軍の遼東進攻は人心の動揺をよび,1622年(天啓2)には徐鴻儒らが数万の衆を率い山東に反した。また,四川湖北,陝西の3省交界の山岳地帯(三不干(管))は,歴代大量の流民が流入し,木材業,鉱業等の開拓に努めた新開地であったが,王朝の支配力が希薄なところから,明の成化年間(1465-87)には白蓮教徒を含む大規模な流民の反乱がみられた。

 清代に入っても,18世紀末の乾隆40~50年代よりこの辺区の山地には流民が集中し,それにともない白蓮教も流行し,陝西では一村の4分の1が教徒であった。当時,四川,湖北の森林には武芸を習い掠奪を事とする〈匪(かくひ)〉が跳梁していたが,彼らの参入により白蓮教徒も軍事化し,有産の教徒は武器を整備し巨大な山寨を構築した。乾隆末,甘粛,湖北において弥勒仏の転世者と明裔を称する牛八(朱姓)なる人物を擁立し,献金を集め布教活動を展開していた劉之協官憲の追捕の的となった。胥吏(しより)の誅求(ちゆうきゆう)をともなう教徒への急な弾圧に,1796年(嘉慶1),湖北各地で教軍が相ついで蜂起し,翌年には四川の教軍も挙兵し大乱となった(嘉慶白蓮教の乱)。教軍は貴州,湖南のミヤオ(苗)族の反乱軍と連動し,官軍手薄をついたため,その勢いははなはだ盛んであった。99年以後,反攻に転じた清軍が団勇を編成し,堅壁清野の策をとってからは,全体的統率者のいない教軍は分散され,1805年にほぼ鎮圧されたが,10年にわたる反乱に莫大な軍事費を投じた清朝は,以後財政難に苦しむこととなった。白蓮教の乱については,その革命性がつねに問題とされるところであるが,総じて郷村での自己利益保全組織としての要素も強く,政治的展望は漠然としている。
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