日本大百科全書(ニッポニカ) 「白井義男」の意味・わかりやすい解説
白井義男
しらいよしお
(1923―2003)
プロボクシング元世界フライ級チャンピオン。1923年(大正12)11月23日、東京・荒川区に生まれる。1943年(昭和18)下谷(したや)の拳道(けんどう)会に入門、同年11月にデビュー戦を1回ノックアウトで飾ったが、戦争(第二次世界大戦)のため応召で中断。46年(昭和21)に復員し、日拳(にっけん)ジムから再起、のちに王子拳に移った。48年アルビン・カーン博士(アメリカ)の科学的コーチを受けてから急に強くなり、49年日本フライ、バンタム両級チャンピオン。52年5月19日、東京・後楽園球場でダド・マリノ(アメリカ)に判定勝ちして日本人初の世界チャンピオン(第16代フライ級)となり、日本ボクシング界30年の夢を実現した。54年11月、五度目の防衛戦でパスカル・ペレス(アルゼンチン)に敗れ、翌年5月ペレスに挑戦したが、ノックアウト負けを喫し引退した。引退後は評論家として活躍。95年(平成7)からは白井・具志堅(ぐしけん)スポーツジム(東京)の名誉会長を務める。2003年12月26日、肺炎のため死去。
[石川 輝]
『白井義男著『ザ・チャンピオン』(1987・東京新聞出版局)』