ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白色革命」の意味・わかりやすい解説
白色革命
はくしょくかくめい
Inqilāb-i Sefīd
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イランのパフラヴィー2世による広範な近代化・西洋化プログラムの総称。1961年に議会を停止した王は,土地改革,森林国有化,国有工場の払い下げと労働者への利潤配分,労使関係の規定,女性参政権実施,識字部隊の創設などからなる改革を断行し,イランの社会・経済構造の改革に成果をあげた。しかし,宗教勢力などによる不満は,のちのイラン革命の素地となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…それはイランをめぐる英ソの勢力均衡を巧みに利用したものであった。 第2次大戦後,モハンマド・レザー・パフラビーは,イランをめぐる冷戦体制のもとで,アメリカとの結びつきを強め,イランの近代国家への脱皮が主権国家への道であることを旗印に,1963年以降白色革命とよばれる上からの強引な〈近代化〉政策を推進する。70年代以降は,増大する石油収入に自信を深め,国王主導型路線を邁進し,これを保証するサバクSAVAKをはじめとする膨大な抑圧機構をつくりあげる。…
…57年治安機構(SAVAK)を設立,58年パフラビー財団を創設して社会事業も始めた。60年ファラハ王妃との間に皇太子が誕生,63年白色革命が国民投票で承認された。しかし70年代後半には,石油ブームが特権層のみを潤す形となり,国民各層に広範な経済的不満が広がり,78年これらは反国王デモに結集され,ついにイラン革命で国王は79年1月国外に脱出。…
…こののち,秘密警察(SAVAK)を設けて反国王運動を弾圧した。62年,農地改革令を発し,63年以降〈白色革命〉を推進して,国王独裁体制を完成した。しかし,70年代後半から経済政策が破綻し,国王独裁体制に反対する広範な勢力を結集したイラン革命が起こると,79年1月イランを逃れ,80年エジプトで病死した。…
※「白色革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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