ゆりわか‐だいじん【百合若大臣】
[1]
[二] 幸若舞の
曲名。
室町時代末期
成立。百合若大臣を主人公とする英雄物語。
嵯峨の帝の時代、
左大臣きんみつの子の百合若大臣(大和国
長谷観音の申し子)が
蒙古襲来に
大将として出陣する。
海戦で大勝した百合若大臣が帰途玄海の
孤島で一休みするうちに眠りこみ、
家来の
別府兄弟の悪計で置き去りにされる。のち、その島に漂着した釣り人の舟で
帰国した百合若大臣は、九州を支配していた別府兄弟を
成敗し、さらに上洛して日本国の
将軍になる。のち、説経節としても語られ、また、
近松門左衛門作「百合若大臣野守鏡
(ゆりわかだいじんのもりのかがみ)」などの
浄瑠璃にも影響を与えた。「大臣」ともいう。
[2] ((一)の話から) 前後も知らず眠りこむこと。また、その人。
※俳諧・西鶴大矢数(1681)第七「月は
夜昼は何また遊山好
(すき) 露に乱れてゆりわか大臣」
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デジタル大辞泉
「百合若大臣」の意味・読み・例文・類語
ゆりわかだいじん【百合若大臣】
幸若舞曲。2巻。作者未詳。室町時代に成立。観音の申し子百合若大臣の英雄譚。蒙古を攻め降した百合若は、帰途無人島に置き去りにされるが、漂着した釣り人の舟で帰国し、悪臣を滅ぼす。説経節にも取り入れられ、のちに歌舞伎・浄瑠璃などに脚色された。
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百合若大臣【ゆりわかだいじん】
幸若舞曲,説経節,浄瑠璃など,百合若物といわれる作品の主人公となる架空の英雄。弓の名手,百合若は夷狄(いてき)または鬼を退治するが無人島に置去りにされる。苦難ののち帰国し昔の愛馬を乗りこなしてみせ,奪われた領地と妻を取り返す。百合若説経として語りつがれ,浄瑠璃《百合若大臣野守鏡》,歌舞伎《一張弓勢三韓退治》などに脚色。民間伝承ではモモから生まれた桃太郎とも,〈だいだらぼっち〉と並ぶ巨人ともされる。坪内逍遥は百合若をユリシーズに由来すると説いた。
→関連項目申し子
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ゆりわかだいじん【百合若大臣】
幸若(こうわか)舞曲や,その影響を受けた説経,浄瑠璃,歌舞伎など,百合若物と総称される作品の主人公として知られる架空の英雄。蒙古征討からの凱旋の途上,逆臣のため孤島に置き去りにされ,苦難の末に帰朝して復讐を遂げるというのが基本的な筋である。一連の百合若物では,技巧的で複雑な趣向が付加されながら改作が重ねられ,読み物として草子化されてもいる。幸若舞曲《百合若大臣》では,嵯峨帝のとき,左大臣公満が長谷寺,岡寺に祈誓して授かった観音の申し子であり,その英雄的ふるまいも神仏の加護に負うところが大きい。
ゆりわかだいじん【百合若大臣】
幸若(こうわか)舞曲の曲名。作者,成立年時未詳。天文6年(1537)の奥書を有する往来物《東勝寺鼠物語》の幸若舞曲の名寄せに曲名が掲げられている。上演記録の初見は,《言継卿記》天文20年(1551)の記事である。長谷観音の申し子百合若は,神仏の加護により蒙古(むくり)との合戦に勝った。凱旋の途中,玄界島に立ち寄り疲れをいやしたが,家臣別府兄弟が逆心を起こし,島に置き去りにされた。苦難の末,異形の身となって九州に帰着した百合若は,宇佐八幡に奉納されていた鉄の強弓を引くことで正体をあらわし,別府兄弟への復讐を遂げ,御台所ともども幸福に暮らし,日本の将軍と称された。
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百合若大臣
ゆりわかだいじん
幸若舞の曲名。単に『大臣』ともいう。百合若説話に基づくものであるが,作者未詳。室町時代成立。百合若大臣は蒙古 (むくり) 討伐ののち家来別府のため玄界島に置去りにされる。鷹 (たか) の緑丸が奥方の手紙を届けて連絡がついたが,鷹も死んだため,大臣は苦労を重ね漁船に救われて帰国,別府を討つ。近松門左衛門作の浄瑠璃に『百合若大臣野守鏡』がある。ホメロスの『オデュッセイア』が原拠という坪内逍遙の説もある。
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百合若大臣 ゆりわかだいじん
幸若舞(こうわかまい)曲,説経節,浄瑠璃(じょうるり)などの「百合若物」の主人公。
筑紫の国司となり命によって蒙古(もうこ)を攻め,凱旋(がいせん)の途中逆臣のため孤島におきざりにされる。のち神仏の加護で筑紫にかえることができ,鉄の大弓で復讐(ふくしゅう)をとげる。近松門左衛門の作品に浄瑠璃「百合若大臣野守鏡(のもりのかがみ)」がある。
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世界大百科事典内の百合若大臣の言及
【百合若大臣】より
…一連の百合若物では,技巧的で複雑な趣向が付加されながら改作が重ねられ,読み物として草子化されてもいる。幸若舞曲《百合若大臣》では,嵯峨帝のとき,左大臣公満が長谷寺,岡寺に祈誓して授かった観音の申し子であり,その英雄的ふるまいも神仏の加護に負うところが大きい。神仏の加護による異国退治の話柄からは八幡信仰が想起されるが,幸若舞曲でも百合若の御台所が宇佐八幡へ願を立て,所願成就したと語られている。…
※「百合若大臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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