精選版 日本国語大辞典 「皇后」の意味・読み・例文・類語
こう‐ごう クヮウ‥【皇后】
こう‐ぐう クヮウ‥【皇后】
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天皇の嫡妻。以前から嫡妻的なキサキである大后(たいこう)はいたが,皇后の称号が定着したのは天武朝と考えられ,大后と共通する面をもつが,まったく同一かどうかは未詳。大宝律令では,文書は令旨・啓,敬称は殿下と称されて平出(へいしゅつ)の扱いをうけ,また中宮職(名称は皇后宮職)の設置,天皇に関する条項の準用が規定されている。出自規定はないが,光明皇后以前は皇族が大半を占め,逆に以後は,諸臣とくに藤原氏出身がほとんどである。一条天皇のときから2后がたち,皇后宮職・中宮職が設置された。なお贈皇后が3人おり,また媞子(ていし)内親王から天皇の姉や伯叔母が准母として立后される例が開かれた。明治期には「皇室典範」で出自を皇族や特定の華族に限ったが,現在そのような制限はない。
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…それ以前では,《三国志》魏志倭人伝に,2世紀末から3世紀後半まで女王卑弥呼(ひみこ)と台(壱)与(とよ)とが倭の邪馬台国を支配したとある。《日本書紀》では神功皇后が仲哀天皇の死後69年間摂政したとするが,史実かどうか疑わしい。6世紀の初め,市辺押磐王の女(妹ともいう)飯豊青(いいとよあお)皇女が,清寧天皇の没後皇位につく人がなかったので,約1年間政治をとったといい,《扶桑略記》はこれを飯豊天皇とする。…
…天皇の結婚。大宝・養老令制によると,後宮には嫡妻である皇后のほかに,妃・夫人・嬪(ひん)がおかれ,皇后は内親王に限り,その他は貴族出身の女子としたが,大婚の儀制は制度的にも実際的にも明らかではない。ついで奈良時代中期に夫人から皇后に昇る例が開かれ,さらに平安時代に入ると,妃・夫人・嬪の制がしだいにすたれ,代わって女御・更衣がおかれ,なかんずく皇族や摂関家などの上級貴族の女が女御となり,やがて女御から皇后に昇るのが常例になって女御の地位が高まると,女御入内が大婚に相当するようになり,盛大な儀式が行われた。…
…平安時代の令の注釈書《令義解》は皇后の居所である皇后宮の別称であるとし,したがって太皇太后宮,皇太后宮もまた中宮と称したのだとする。このことから中宮は皇后,皇太后,太皇太后の別称ともみられるが,公式令では皇后などが平出(へいしゆつ)すべき称であるのに対して,中宮は闕字(けつじ)すべき称であり,それだけ略称的な呼称であったかもしれない。…
…古代の皇后あるいは女帝を指す語。仲天皇とも書く。…
…女御には位階や定員についての規定もなく,比較的自由な任命が可能であった。淳和朝以降,妃,夫人,嬪などがほとんど置かれなくなり,ときとして皇后すら置かれなかったこともあったから,後宮における女御の地位は徐々に高まった。10世紀に入ると皇后も女御から昇進するようになり,位階も,やがて入内と同時に従三位に叙せられるようになった。…
…皇后の位につくこと。皇后冊立ともいう。…
※「皇后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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