精選版 日本国語大辞典 「皇帝教皇主義」の意味・読み・例文・類語
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皇帝の権威を教皇のそれよりも優位にあるとし、皇帝が教皇をもその管轄下に置くことをいう。すなわち皇帝が教皇の地位をも兼ね、信仰、教会および聖職者に関する事柄をも管理する。この逆の関係を「教皇皇帝主義」とよぶ。いずれも西ヨーロッパ中世において12世紀のころから使用され、ローマ教皇と封建諸侯との対立関係に適用される概念である。11世紀に神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が皇帝権の優位を主張し、対する教皇グレゴリウス7世が教皇権の優位を主張し、双方が争った(聖職叙任権闘争)のはその対立関係の典型的なものといえる。
皇帝教皇主義の典型としてビザンティン皇帝がよく引用されるが、政教分離を前提とし、皇帝と教皇とがライバル関係にあるラテン世界において適用される概念を、政教一致を国是とするビザンティン皇帝に当てはめるには無理がある。事実、「キリストの友」としてのビザンティン皇帝には、総主教を上回る特殊な霊性が認められ、総主教の任免権も皇帝にあった。しかし他方、教会、修道院および聖職者の庇護(ひご)は皇帝の義務でもあり、ギリシア正教の興隆は諸皇帝の尽力によるところが多いのも事実である。したがって、この概念の使用にはきわめて慎重でなければならない。
[和田 廣]
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ビザンツ帝国では帝権が教権に優越し,皇帝即教皇であると,国家の教会に対する管理度を強調する説。しかしこの説は不正確で,例えばコンスタンティヌス1世,ユスティニアヌス1世,イコン破壊派の諸帝などのように,教会を管理しようとした皇帝もいたが,他方では国家と教会は併存する統一体で,両者は人類の善のために緊密に連携し,友好的調和を保つべきものとも考えられ,また教会が民衆に持つ影響力を行使して,政府の意図を阻止することもあった。
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…かかる理念は遠くペルシアにも見られるが,直接的には2世紀からローマ帝国に徐々に現れてきた皇帝観に連なり,教父のオリゲネスにも萌芽が見られる。実質的に神寵帝の神的権威は現身の神としての皇帝の場合と異ならず,それを推し進めたキリスト教は皇帝教皇主義に必然的に結びついてゆくことになる。皇帝【松本 宣郎】。…
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