天皇の親族。ただしその範囲は明治以前と以後で大きな差異がある。
〈皇族〉の語はすでに《続日本紀》に見えるが,明治以前はその用例は少なく,大宝令において定められた〈皇親〉の語が皇族を指す用語となった。令制以前の皇族の称呼を検すると,《古事記》では皇族は男女ともに〈王〉と称するのを通例とし,《日本書紀》では〈王〉のほかに,天皇の子女を〈皇子〉〈皇女〉と呼んで区別しているが,もちろん天皇号成立以後の新しい用語であろう。なお記紀では皇族の名字に尊,命,姫などを付けて呼称した例が多く見えるが,これは本居宣長が指摘するように,皇族に限らず用いられた尊称にすぎない。
皇族の範囲は,大宝令で初めて法定された。すなわち中国の制に倣って,皇兄弟姉妹および皇子・皇女を親王とし,皇孫・皇曾孫・皇玄孫を王とし,皇玄孫の子たる五世王は,王名を称することはできるが,皇親の範囲に入らないと定め,女子については内親王・女王の称も用いた。また二,三,四世王を親王に対して諸王と総称した。なお親王・王の配偶者は,内親王・女王でない限り,皇親とは認められなかったらしく,明治の皇室典範において初めて皇族と定められた。令制の皇親の範囲は,706年(慶雲3)の格によって,五世王を皇親とするなど一時拡張の傾向を示したが,798年(延暦17)に至り令制に復した。しかしその後も正史や法令にも六世王,七世王などの語が見えるので,皇胤が王名を称することは黙認されたらしい。
一方,二世王から皇位についた淳仁天皇および光仁天皇が,とくに詔して兄弟姉妹および子女を親王・内親王として以来,しだいに皇子女に親王宣下することが流例となり,親王宣下がなければ皇子女でも王にとどまることになった。その反面,二世王以下が親王宣下をうける例も生じ,ついには代々天皇の猶子あるいは養子になって親王宣下を受ける世襲親王家も成立し,令の制度は空洞化するに至った。明治維新後,新政府は伏見宮以下の世襲親王家は例外として存続を認め,他は大宝令の制度に復帰する原則を立てたが,皇室典範の制定に当たり,皇族制度もまったく一新された。
上古以来,皇胤から出て皇別を称した氏族は少なくなかったが,令制以後も諸王の賜姓降下がしだいに増え,平安時代に入ると,皇子の賜姓降下の例も開かれた。ことに嵯峨天皇が皇子女に源姓を賜って臣籍に下してからは,醍醐天皇まで歴代天皇の皇子女の賜姓源氏は100人近くにのぼり,その後も正親町天皇の皇子(家号広幡)に至るまで,皇子・皇孫の賜姓源氏が断続的に生まれた。源氏のほかにも桓武平氏その他の賜姓氏族があったが,いったん臣籍に降下すれば,再び皇籍に復帰できないのを原則とし,臣籍から皇親に復帰して即位した宇多天皇の例などは異例とすべきであろう。
令制における皇親,とくに親王の待遇は厚く,その座次は諸王・諸臣の上にあり,位階も一品(いつぽん)より四品として,諸王・諸臣と区別し,品位に従って品田・食封を給された。また親王の官は大臣あるいは八省の卿,ことに中務・式部・兵部3省の卿に任ぜられることが多く,平安時代以降は大宰帥および上総・常陸・上野3国の太守に任ぜられた。諸王は五位以上に叙せられ,位封・位田を給されたが,位封を給されない四位以下の諸王には位禄を給し,また13歳以上の皇親には時服料(冬夏二季の衣服料)を給した。
執筆者:橋本 義彦
皇族の制度が定められたのは1889年の皇室典範による。皇族の範囲は,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子,皇太子妃,皇太孫,皇太孫妃,内親王,王,王妃,女王で,皇子より皇玄孫に至るまでは男を親王,女を内親王とし,五世以下は男を王,女を女王とすることになっていた。皇族の制度を定めたのは,皇位継承の血統を重視するとともに天皇制の基礎を確立するためで,皇族は臣民とは区別され,固有の財産と特権があたえられた。成年の皇族男子は原則として陸海軍の武官に任ぜられ,また貴族院議員の資格をもち,さらに親王は枢密院の会議に列した。この典範では永世皇族主義をとっていたので皇族が増えすぎるため,1907年皇室典範増補により,王は新たに家をおこして華族となったり,華族の養子となることができるよう改め,臣籍降下の道をひらいた。その後敗戦まで天皇の神格化が意識的にすすめられるにしたがい,皇族に対する処遇も権威主義的・事大主義的傾向を強めた。47年2月皇室典範が改正され,皇族は嫡出子に限り,親王,内親王は皇孫まで,三世以下は王,女王とするなどの変更が行われた。そして新憲法施行にあたり,皇子,皇弟以外のすべての宮家は臣籍に降下し,皇族の範囲と特権は縮小した。新憲法では皇族も国民の一部であるが,なお皇室典範その他により,皇位継承,摂政就任のほかの政治的特権は認められず,選挙権,被選挙権がなく,養子をすることができない,などの一般国民と異なった待遇を受けている。
→皇室
執筆者:藤原 彰
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天皇の一族で、古くは皇親と称した。古代には、天皇から出た氏族は皇別と称したが、律令(りつりょう)で皇親の制が確立した。律令制の皇親は、天皇の血族の親王(しんのう)、内親王(ないしんのう)、王、女王で、太皇太后(たいこうたいごう)、皇太后、皇后、親王妃(しんのうひ)、王妃は含まれない。皇玄孫の子の五世王は、皇親ではないが、王号を許された。758年(天平宝字2)二世王であった淳仁(じゅんにん)天皇が皇位につき、詔(しょう)して兄弟姉妹を親王として以後、親王宣下(せんげ)が例となった。そのため、本来、親王・内親王である皇親も、宣下がなければ親王・内親王とならず、二世王以下でも宣下により親王となることになった。鎌倉末期には、代々、親王宣下を受ける世襲親王家が成立した。皇親は特権的身分で、とくに親王は、諸王、諸臣の上とされ、位階は一品(いっぽん)から四品(しほん)に至る品(ほん)に叙せられ、官は大臣、大宰帥(だざいのそつ)、八省の卿(きょう)などの長官に任ぜられた。平安初期には、親王任国の制がつくられて、上総(かずさ)、常陸(ひたち)、上野守(こうずけのかみ)に任ぜられ、太守(たいしゅ)と称した。のち江戸幕府は、親王を太政(だいじょう)大臣、左(さ)大臣、右(う)大臣の三公の下とした。古代から中世にかけて、未婚の皇女または女王は、代々、伊勢(いせ)神宮と賀茂(かも)社に奉仕し、伊勢斎宮(さいくう)、賀茂斎院とよばれた。また皇親で仏門に入る者が増え、平安中期から、親王で出家した者を入道親王、出家後に親王宣下を受けた者を法親王(ほうしんのう)と称した。室町時代から、出家した皇親が入室した寺院を宮門跡(みやもんぜき)、比丘尼(びくに)御所(尼(あま)門跡)とよび、一種の寺格となった。律令制では、四世以上を皇親としたが、736年(天平8)敏達(びだつ)天皇の四世王が橘宿禰(たちばなのすくね)となって以後、賜姓(しせい)降下で皇親の身分を離れる例が増えた。814年(弘仁5)嵯峨(さが)天皇の4皇子、4皇女が源朝臣(みなもとのあそん)となり、賜姓源氏の最初となった。のち賜姓源氏は、清和(せいわ)天皇から出た清和源氏など100人近くに及んだ。また律令制では、皇親の女子は臣下に嫁することを許されなかったが、平安初期から三世、四世女王の臣籍降嫁が許され、とくに藤原氏には、その功により二世女王の降嫁が認められた。
明治維新後、出家した皇族は還俗(げんぞく)を命ぜられ、宮門跡などの称は廃止された。1889年(明治22)制定の「皇室典範」は、皇族を、皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、同妃、皇太孫、同妃、親王、同妃、内親王、王、同妃、女王とし、庶出を認め、臣籍降嫁以外は、永世の皇族とした。のち1907年(明治40)「皇室典範」の増補で、五世以下の王に、勅旨または請願による臣籍降下が認められた。皇族は、臣民の外にある特権的身分で、「皇室典範」と皇室法規によって規律され、皇族費を支給された。皇族は皇位継承と摂政(せっしょう)就任の資格をもち、成年男子は貴族院議員となり、在京の成人親王は枢密院会議に列席した。親王、王は、18歳で原則として陸海軍武官に任ぜられ、また皇族から伊勢神宮の祭主が選ばれた。戦前の皇族には、桂(かつら)、有栖川(ありすがわ)(以上はのち断絶)、閑院(かんいん)、伏見(ふしみ)の4親王家、伏見宮から分かれた山階(やましな)、賀陽(かや)、久邇(くに)、梨本(なしもと)、朝香(あさか)、東久邇(ひがしくに)、小松(のち断絶)、北白川、竹田、華頂(かちょう)(のち断絶)、東伏見の各宮家と、大正天皇の皇子が創立した秩父(ちちぶ)、高松(両家はのち断絶)、三笠(みかさ)の3宮家があった。
第二次世界大戦後の1947年(昭和22)、皇弟の3宮家以外の11宮家51名が皇籍を離脱した。同年制定された現行の「皇室典範」は、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王を皇族としている。皇族は嫡出に限り、皇子と嫡男系の皇孫は親王・内親王、三世以下の嫡男系の子孫は王・女王とする。皇族でない者は、皇后となる場合と皇族男子と結婚する場合以外は皇族となることはできない。皇族は国民に含まれるが、皇位継承と摂政就任の権利をもち、皇族費を支給される。皇族は、一般の国民と異なり、立后、男子の婚姻、財産の授受に制約があり、選挙権・被選挙権をもたないものとして取り扱われる。皇太子、皇太孫を除く満15年以上の皇族は、皇室会議の議により皇籍を離脱することができ、また天皇と皇族男子以外の者と結婚した皇族女子は皇族の身分を離れる。現在の皇族は、天皇の家族と、上皇、上皇后、皇嗣(こうし)の秋篠宮(あきしののみや)、上皇の弟の常陸宮(ひたちのみや)、三笠宮と、三笠宮から分かれた高円宮(たかまどのみや)である。
[村上重良]
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(岩井克己 朝日新聞記者 / 2007年)
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