世界大百科事典(旧版)内の直接行動派の言及
【赤旗事件】より
…(1)1908年6月22日東京神田の錦輝館での山口孤剣(義三)出獄歓迎会終了後に起こった社会主義者と警官隊との衝突事件。当時社会主義勢力は,大杉栄らの直接行動派(硬派)と片山潜らの議会政策派(軟派)の二派に大きく分かれていた。筆禍事件で入獄していた山口は直接分派問題に関係がなかったこともあり,久しぶりに両派が一堂に会して盛大な歓迎会を開いた。…
【アナーキズム】より
… 日本では明治30年代末に煙山専太郎や久津見蕨村によって無政府主義の紹介がなされているが,社会運動の中でそれを推進したのは,クロポトキンとも文通して1908年に《麵麭(パン)の略取》を翻訳公刊した幸徳秋水や大杉栄らである。このグループは1907年以来〈直接行動派〉と呼ばれるが,20年代初頭のアナ・ボル論争を経て勢力は衰退し,大正末から昭和初めにかけては無産運動の周辺部にとどまった。だが56年まで生きた石川三四郎の理論的活動や,三好十郎,埴谷雄高などの文学者の寄与は注目に値する。…
※「直接行動派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」