(読み)ケン

デジタル大辞泉 「県」の意味・読み・例文・類語

けん【県】

とともに、市町村を包括する広域の地方公共団体議決機関として議会、執行機関として知事・教育委員会公安委員会などを置き、条例の制定、地方税の賦課・徴収などの権能をもつ。現在、43県。→都道府県
明治初年、に対して、朝廷直轄地の称。
中国の地方行政区画の一。代に郡と並んで設置されたが、代に郡県制の実施により郡の下に置かれ、以後、州・府・道・省などに属した。現在はの下に位置する。
[類語]

けん【県〔縣〕】[漢字項目]

[音]ケン(漢) [訓]あがた
学習漢字]3年
都・道・府と並ぶ地方公共団体。「県警県庁県民県立近県府県廃藩置県
中国で、もと郡の下に置いた行政区の単位。「知県郡県制
[名のり]さと・とう・むら
[難読]県主あがたぬし県召あがためし

あがた【県】

大化の改新以前、諸国にあった大和政権の地方組織。また、県主あがたぬしが統治した地域とも。
平安時代国司任国。また、その国司。
地方。いなか。
田面たづらなるわら屋の軒の薦簾こもすだれこれや―のしるしなるらん」〈夫木・三〇〉

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精選版 日本国語大辞典 「県」の意味・読み・例文・類語

あがた【県】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 大化前代の地方行政単位。国造(くにのみやつこ)の国制に先行して、畿内や西日本、大和政権の料地に施行された。後には国の下級組織となる。その首長は県主(あがたぬし)または稲置(いなぎ)と称された。倭の六御県が有名で、薪炭、酒、氷、蔬菜の貢上がおこなわれた。
    1. [初出の実例]「即(すなは)ち茅渟(ちぬ)の県(アカタ)の陶(みか)の邑(さと)にして大田田根子(をほたたねこ)を得て貢(たてまつ)る」(出典:日本書紀(720)崇神七年八月(北野本訓))
  3. 地方。田舎。国。
    1. [初出の実例]「青みづら依網(よさみ)の原に人も逢はぬかも石ばしる淡海(あふみ)(あがた)の物語せむ」(出典:万葉集(8C後)七・一二八七)
  4. 国司の任国。赴任先の国。また国司その人。
    1. [初出の実例]「あがたへゆく人に、むまのはなむけせむとて」(出典:伊勢物語(10C前)四四)
    2. 「諸国の司をば、外官(げくゎん)とも、あがたとも申也」(出典:百寮訓要抄(1368‐88頃))

県の語誌

( 1 )「県」は中国では州(郡)の下の下級地方行政単位であるが、日本ではアガタ・コホリの両訓があり、文献中の県がそれぞれの箇処でどう訓まれていたかを確定することは難しい。
( 2 )アガタは県主(アガタヌシ)を管掌者とし、古い時期から置かれていた大和政権の直轄領とするのが通説で、五・六世紀に国造制が成立して以降は国県制として下級地方行政単位となるとする説(こういう県は稲置(イナギ)を管掌者とし、コホリと訓まれ、後の評・郡に発展するとする説もある)と、アガタは一部に遺制として残存しただけとする説とがある。


けん【県】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国の行政区画の一つ。秦の始皇帝が確立した郡県制のもとでは郡に所属したが、その後時代によって州・府・道・省などに所属した。現在は省または市に所属。
    1. [初出の実例]「いにしへ、かうやうけんに住みけるはくかんこそは」(出典:浜松中納言物語(11C中)一)
    2. [その他の文献]〔広韻〕
  3. 慶応四年(一八六八政体書に定められた地方行政機関。府と並び藩に対する新政府の直轄地に置かれ、地方官として知県事、判県事が置かれた。
  4. 市町村を包括する普通地方公共団体。明治四年(一八七一)、藩を廃して県とした。議事機関として議会、執行機関として知事、教育委員会、公安委員会などをおき、条令、規則の制定権、地方税の課税権その他の行政権を有する。
    1. [初出の実例]「仍(よっ)て今更に藩を廃し県と為す」(出典:廃藩置県の詔‐明治四年(1871)七月一四日)

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普及版 字通 「県」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 9画

(旧字)縣
人名用漢字 16画

[字音] ケン
[字訓] かける・くに

[説文解字]
[金文]

[字形] 会意
旧字は縣に作り、(きよう)+系。は首を倒(さかさま)にして懸けた形。系はその紐。縣は懸首の意。〔説文〕九上に「(か)くるなり」とあり、すべて懸(けんけい)する意に用いる。金文の斉器〔叔夷鐘〕の銘に「其の縣三百」とあるのは、〔(そはく)〕に「侯氏之れに邑二百九十九邑~を易(賜)(たま)ふ」とあるものと、ほぼ匹敵するものと考えられ、古く県は邑を単位とするものであったかと思われる。郡県の郡は、古く氏族国家の首長であった里君の所領地であり、また県は国の直接の支配地であった。ゆえに県・邑は賜与の対象とされた。

[訓義]
1. かける、首を懸する、倒懸する。
2. つりさげる、つなぐ、つらねる、おもり。
3. 懸けて示す、掲げて示す。
4. くくる、くびる。
5. かけはなれる、へだたる、懸隔がある。
6. 王畿の外の聚落、農耕地、直接の支配地、公有地
7. のち郡県の県、行政の単位。
8. 懸と通じ、懸隔。

[古辞書の訓]
名義抄〕縣 アガタ・コホリ 〔字鏡集〕縣 カク・ハルカナリ・コホリ・アガタ

[熟語]
県尉・県異・県尹・県遠・県下・県家・県衙・県解・県隔・県官・県跂・県久・県拠・県空・県君・県軍・県磬・県・県愆・県壺・県公・県侯・県衡・県獄・県宰・県師・県車・県首・県殊・県書・県賞・県鐘・県象・県城・県水・県旌・県絶・県泉・県治・県著・県廷・県庭・県・県伝・県瀑・県薄・県鄙・県封・県乏・県法・県・県命・県門・県邑・県疣・県流・県令・県聯
[下接語]
県・郡県・州県・治県・倒県・府県・辺県

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改訂新版 世界大百科事典 「県」の意味・わかりやすい解説

県 (あがた)

倭(やまと)王権下の地方組織または区分。語義については,あがり田(大王の料地),わかち田(班給の地),さらに朝鮮語のカka(辺地)などから説明されるが定説はない。県の長を県主(あがたぬし)という。県,県神社,県主など関連名称の地域的分布は,大和・河内を中心に遠江・信濃・越前以西に多く残存し,筑紫の岡県主・伊覩(いと)県主の祖が賢木(さかき)に鏡,剣,瓊(たま)をかけて服属したという伝承(《日本書紀》仲哀8年条,《筑前国風土記》)は,県が本来祭祀的集団を基盤として倭王権に早期的に統属された地方単位であることを物語る。しかし県の行政的性格をめぐって次のような諸説がある。(1)大王の家産制的機関に直結した税物・労役の貢進団体とみなし,殿部(とのもり)や水部(もいとり)の供御に奉仕するトモを貢じた山背の葛野県主,大和の菟田(うだ)県主などをその典型とする説。《延喜式》祈年祭祝詞以下にみえる,大王の供御料地化した大和の六御県(むつのみあがた)(高市,葛木,十市,志貴,山辺,曾布)の各県もこの系列で理解される。(2)5,6世紀以後,各地の地域首長を再編した国造の支配下で,国の下級組織とされたのが県とする説。《隋書》東夷伝倭国条の〈軍尼(くに)一百二十人有り,猶中国の牧宰のごとし,八十戸に一伊尼翼(いなぎ)(翼は冀)を置く〉の記事によって〈いなぎ〉を県の首長とみ,7世紀初頭,国県の上下組織が成立したとする。(3)県の古訓に〈あがた〉と〈こおり〉の二つがある点から,県主を長とする〈あがた〉と稲置(いなぎ)を長とする〈こおり〉に分け,それを前後期に位置づけるか,畿内と畿外に対応させて理解する説。〈県邑に稲置をおく〉(《日本書紀》成務5年条),〈県(こおりの)稲置〉(大化元年8月条)の表現を重視し,〈あがた〉は大王家の直領地,〈こおり〉は国の下級組織とする。県制の成立と稲置の管する県の実態究明が今後の課題となろう。大化期,改新政策は東国と大和の6県でまず具体化されたが,律令制地方組織の成立にともない,県は郡名にうけつがれることが少なくなかった。
稲置
執筆者:


県 (けん)
xiàn

中国の行政区画の単位。秦・漢時代以降の旧中国では,全国は1500を上下する県に区分され,その数によって王朝の領域の広狭が推定できる。官員が派遣されるのは県までであり,会館をはじめとした地縁結合の単位でもある。県は官(おかみ)に懸(か)けるの意で,秦の武公10年(前688)文献に初出し,新開地を直轄地とする場合使われたが,秦の統一(前221)で郡県制が施行されるとともにその位置を確定した。前漢時代には県とそれに準ずる区画が1587あり,後漢は1180に減少したが,唐代には1573に戻り,その後は1600を前後した(清朝以降,領域の拡大により今日では2000をこえる)。唐以後,重要度と人口数によって,赤,畿,望,緊,上,中,中下,下の等級がつけられ,宋以後は,劇,煩,僻,簡,盗,難治などの区分も加わり,官員任命に差等がつけられた。県の人口は唐では下県が1000戸以下だったが,元代江南では1万戸が中と下の境界線で,40km平方が普通である。長官は唐までは令,丞,尉。宋以後は知県,主簿,県尉と呼ぶ。

 なお,日本の県については〈府県制〉の項を参照されたい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「県」の意味・わかりやすい解説

県(けん)
けん

地方自治法(昭和22年法律第67号)において、市町村を包括する広域の地方公共団体として都道府県が定められており(2条5項)、県はその一つである。府とは名称が異なるにとどまる。道とは組織に関して若干異なる(警察法51条)。都は1943年(昭和18)の東京府と東京市の統合により設けられたという経緯があり、組織・事務・財政などに関して違いも多い(地方自治法281条~283条、地方税法734条~737条、739条)。

 市町村と二層的に置かれるが、いずれも完全な自治体であり、上下関係にあるわけではない。市町村と競合しないように、広域事務、連絡調整事務、補完事務を担当するが、補完事務は規模・能力に応じて市町村が担当することができる。なお、戦前の府県制のもとでは、議会が設けられていたなど自治体たる性格と、官選知事のもとで国の事務を担当していたことなど国の出先機関たる性格があった。現行の制度を廃止して国の総合的な出先機関たる性格を併有する道州を設けることが憲法上許されるか、議論がある。

[荒木 修 2022年2月18日]


県(あがた)
あがた

古代、大和(やまと)国家の地方制度。国造(くにのみやつこ)の支配する国よりも、普通は狭い領域をさし、国の下の単位となる地方もあり、県主(あがたぬし)の支配下にあった。県がいつごろ成立したかについては、大和王権が成立した4世紀から5世紀とみる説、および大和王権が、強大な吉備(きび)(岡山県)、大和(奈良県)、筑紫(つくし)などの豪族を打倒した5世紀から6世紀とみる説がある。県は西日本を中心に分布し、東日本には遠江(とおとうみ)(静岡県)、信濃(しなの)(長野県)、武蔵(むさし)(所在地は神奈川県川崎市)などに限られる。とくに多く分布するのは、大和、山城(やましろ)(京都府)、河内(かわち)(大阪府)、吉備、筑紫などで、そのうち大和の六県(むつのあがた)は、高市(たけち)、葛城(かずらき)、十市(とおち)、志貴(しき)、山辺(やまのべ)、添(そう)(曽布)からなり、朝廷の直轄地で「みあがた」とよばれた。

[原島礼二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「県」の意味・わかりやすい解説


あがた

大化以前の地方制度。『日本書紀』では「神武紀」に菟田県,「景行紀」に子湯県などがみえ,「成務紀」には,国郡に造長をおき,県邑に稲置 (いなぎ) をおいたと記し,『古事記』では,大国,小国の国造 (くにのみやつこ) を定め,国々の堺 (境界) および大県,小県の県主を定めたと記している。また,大化改新のとき,東国と大和の6県に,他に先んじて新政をしいたことがみえる。これらの記事から,(1) 大和朝廷の直轄地とする説,(2) 国造治下の狭小な地方組織とする説,(3) 県主を首長とする「あがた」と呼ばれる皇室の直轄地と,「こおり」と呼ばれる稲置を首長とする国の下級組織,という3説があるが,いずれとも断定はできない。県は軍事的,経済的に重要な地域が多いことや,大和の6県が令制になっても,官田または園地として,皇室の直轄地としての性質を長く保っていたことからみても,大和朝廷の直轄地としての性格をもっていたことは十分うかがえる。その語源を「上り田」「班 (あか) ち田」とする説があるのも,これから出たのであろう。県は大化改新によって郡または郡の一部となって,国郡制という地方制度に編入された。

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百科事典マイペディア 「県」の意味・わかりやすい解説

県【あがた】

倭(やまと)王権下の地方行政組織または単位。大和の六御(むつみ)県をはじめとして河内・山背(やましろ)・摂津・吉備(きび)・筑紫など西日本に多く分布する。行政的性格については諸説ある。稲置(いなぎ)を首長とする国の下部組織説。県の古訓に〈こおり〉と〈あがた〉があることから,稲置を長とする〈こおり〉と県主(あがたぬし)を長とする〈あがた〉があり,時期的あるいは地域的相違とする,あるいは〈こおり〉は国の下部組織,〈あがた〉は大王家の直轄地などとする説。国造(くにのみやつこ)の国制に先行して県主を長とする県制が設置され,のち再編されたとする説。大王家に直結し供御などを貢進する集団説など。律令制下で郡名に引き継がれる場合もあった。→

県【けん】

都道府県

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「県」の解説


あがた

大和政権の地方制度。畿内の県は大和国の六御県(むつのみあがた)のように,大王(おおきみ)の日常生活を支える物資を供出し,内廷経済を支えた。その長が県主(あがたぬし)。一方,畿外の県については諸説があり,「古事記」「日本書紀」の所伝では祭祀とも深い関係をもち,宗教的性格が強いところから,国造制の成立以前におかれた大和王権の古い地方組織とみなす説,「隋書」倭国伝の軍尼(くに)―伊尼冀(いなぎ)から,稲置(いなぎ)を県の長とみなし,国―県という2段階の地方組織が7世紀にあったと考える説などがある。さらに県を「こおり」とよみ,評・郡の前身となる地方組織の存在(屯倉(みやけ)を核とする)を推定する説もあり,その実態には検討が必要である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「県」の解説

県(けん)

中国の地方行政区画。春秋時代以降,諸侯が自国の集権化のため,新付の土地を県と名づけて直轄経営したのに始まる。秦の郡県制で郡に属し,地方行政単位として確立した。現在は省や自治区の下に属し,市よりも規模が小さい。

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旺文社日本史事典 三訂版 「県」の解説


あがた

大和政権の直轄地および国造 (くにのみやつこ) の下部行政組織
大和政権に服属した地方豪族の支配地が,大和政権治下に組み入れられたときの名称と考えられている。畿内とその周辺の県は,政権の直轄地としての性格が強い。大化の改新で廃止された。

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防府市歴史用語集 「県」の解説

 古墳時代に、畿内[きない]の朝廷[ちょうてい]は国造[くにのみやつこ]に地方を支配させていましたが、それとは別に、朝廷が直接支配していた土地のことです。県の責任者が県主[あがたぬし]です。朝廷に食料や物資を納めていました。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【天領】より

…天領の年貢米の多くは,村から直接河川もしくは海上を舟運で江戸の御蔵(おくら)へ回送され,幕府財政の収入となり,残りは大坂・二条・駿府城などの籾蔵(もみぐら)に回送・貯蔵されて不時の凶荒に備えられた。 1868年(明治1)大政奉還ののち徳川氏は静岡藩に移封され,旧直轄地の大半は維新政府の没収するところとなり,旧大名領の藩に対し県と呼称されたが,71年廃藩置県とともに旧藩領との区別は消滅した。県時代は,一般には朝廷(天皇)の直轄領と映り,天朝領もしくは天領と呼ばれたが,ここからさかのぼって,旧幕時代の直轄地をも天領と呼ぶようになったのである。…

【府県制】より

…府県は市町村を包括する広域的普通地方公共団体であり,直接公選の知事と議会の二元的代表機関のもとに,普通地方公共団体の権能のうち,広域的なもの,統一的処理の必要なもの,市町村にゆだねるのが不適当な規模のものを処理するとともに,市町村間の調整を責務とするとされている。府県とは歴史的沿革による名称の違いであって,実質的権能を異にするものでない。…

【遵義】より

…冶金,機械工業の発達した貴州省第2の都市。漢代に(へい)県がおかれたが,遵義の名は唐代に恭水,羅蒙とともに県名に使われたことに始まる。1949年遵義県の市街部が独立して市に移行した。…

【郷里制】より

…中国,漢代から唐代にいたる時代に行われた地方末端の行政単位。漢代では地方を郡県に分けたが,その県の下には古来からの邑の伝統をもつ多くの自然集落が包含された。集落はいずれも城郭で囲まれ,その一つ一つが亭であり,10亭ちかく集まると,その最大のものが郷=都亭となり,他の亭を従えた。…

【郡県制】より

…中国の地方行政区画制度。厳密には秦から唐初まで郡県制が実施され,それ以後は州県制に代わるが,ここでは一つに取り扱う。郡県は周代の封建に対する語。…

【中国】より

…韃靼(だつたん)人(満州族を指す)の桎梏(しつこく)から国を守ることができなかったとすれば,シナに栄えた学問や哲学というものにいったい何の意味があったのか,と。
[政治機構――封建と郡県]
 中国の文明はしばしばローマのそれにくらべられ,政治的文明と称せられる。たしかに両者は,多くの少数民族をも含む非常な広域,いわゆる〈天下〉が,中央政府より派遣する官吏によって統一的に統治せられた点で似ている。…

【都市】より

…やがて漢民族の発展とともに集落は平原に進出し郭は高くかつ巨大になってゆく。河北省易県で発掘された春秋時代の燕の下都は,東西8km,南北4kmに及ぶ長方形をなし,中央の運河を境とした東半分の内城には有力者,庶民の居住区,公共建造物,手工業区などの遺跡が存在するのに反し,西半分の外郭には遺跡はほとんどなく,戦乱などの際周囲の農村住民を収容する場所であったと考えられている。こうした外郭,内城は二重構造になっているとは限らず,両者が接続して大きな都市面積を構成しており,そうした伝統は20世紀まで部分的に継承されている。…

【邑】より

…都市国家が領土国家へと発展するにつれて,邑という語は都市,集落一般を意味するようになっていった。秦・漢時代の県,郷,聚,亭は,すべて邑が発展し,規模や性格によって分化したものということができる。後世には県を指して邑とよぶことが多く,特にその雅名としてよく使われる。…

※「県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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