精選版 日本国語大辞典 「真崎甚三郎」の意味・読み・例文・類語
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
陸軍軍人。佐賀県出身。陸軍士官学校9期。荒木貞夫(あらきさだお)、阿部信行(あべのぶゆき)、本庄繁(ほんじょうしげる)らと同期。陸軍大学校卒業後、陸軍省軍務局課員となり、おもに軍令・教育畑を歩く。1926年(大正15)陸士校長となり、精神主義教育を重視し生徒をひきつける。荒木らと反宇垣(うがき)閥を形成し、のちに皇道派とよばれる勢力の中心人物となる。1934年(昭和9)教育総監となり国体明徴運動を推進させたが、新たに台頭した統制派と対立し、林陸相に罷免された。二・二六事件では反乱幇助(ほうじょ)の容疑で逮捕されたが、結局無罪となる。敗戦後、A級戦犯容疑者として巣鴨(すがも)拘置所に収容されたが、被告選定の最終段階で起訴から外された。『真崎甚三郎日記』(山川出版社)が公刊されている。
[小田部雄次]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
1876.11.27~1956.8.31
大正・昭和期の軍人。陸軍大将。佐賀県出身。陸軍士官学校(9期)・陸軍大学校卒。教育総監部第2課長・陸軍省軍務局軍事課長・陸軍士官学校校長などをへて,1929年(昭和4)第1師団長となる。台湾軍司令官ののち,32年参謀次長となり,荒木貞夫とともに皇道派中心の人事を推進。34年教育総監となるが,翌年林銑十郎陸相により罷免された。これが相沢事件,2・26事件の遠因となった。2・26事件後に予備役編入となり,反乱幇助容疑で軍法会議にかけられたが無罪。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…昭和期の陸軍部内の派閥。1920年代後半,宇垣一成陸相のもとで形成された宇垣閥に反発した一派の系譜をひく荒木貞夫,真崎甚三郎を中心とする派閥。陸相時代の荒木が国軍を皇軍といったり,皇道精神を唱えたりしたことから,皇道派という呼称が生まれた。…
…しかし,彼らが二・二六事件の指導者として決起すると,今度は逆に事件の責任の追及と内部統制再建のための措置が粛軍の具体的内容とされた。陸軍中央部は事件鎮圧とともに特設軍法会議を設け,反乱軍指導者をはじめ民間の北一輝らをも死刑を主とする厳罰に処したが,この間,36年3,4月には,事件当時の軍事参議官林銑十郎,真崎甚三郎,荒木貞夫,阿部信行の4大将をはじめ,現役の大将10名中7名を予備役に編入するなど,8月の定期異動をも含めて3000名をこえる空前の将校人事異動を行い,事件の責任を明らかにするとともに,皇道派勢力の一掃をはかった。また寺内寿一陸相は,4月8日の師団長会議で,軍人個々の政治行動は軍人の本分にもとるとし,軍の政治行動は陸軍大臣を通じてのみ行うべきものと訓示して軍内統制の方向を示し,政府も5月の第69議会で不穏文書取締法を成立させて,いわゆる怪文書取締りを強化して軍内秩序を側面から支援する姿勢を示した。…
※「真崎甚三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
1 日が照っているのに、急に雨がぱらつくこと。日照り雨。2 夜、山野で狐火が連なって、嫁入り行列の提灯ちょうちんのように見えるもの。[類語](1)狐日和びより・天気雨・雨天・荒天・悪天・雨空・梅雨空・...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新