石仏(読み)せきぶつ

精選版 日本国語大辞典 「石仏」の意味・読み・例文・類語

せき‐ぶつ【石仏】

〘名〙 石を材料とした仏像。独立した仏像と、岩壁などに刻まれた仏像(磨崖仏石窟仏)との二種があるが、狭義には前者をさす。多く、凝灰岩花崗岩を用い、線刻・半肉彫・丸彫などがある。奈良時代からあるが室町以降は、民間信仰対象として石地蔵などが多数つくられた。石像仏。いしぼとけ。
※神宮文庫本百練抄‐承元三年(1209)三月七日「上皇御幸長谷寺并宇多郡内大野石仏」 〔宋史‐王賓伝〕

いし‐ぼとけ【石仏】

〘名〙
① 石を刻んで造った仏、菩薩などの像。
浮世草子好色二代男(1684)四「礼場朝風茂りの草ほうほうと、石仏(イシボトケ)はありしままにて立帰る」
感情を容易に外にあらわさない人。または口数の少ない人。

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デジタル大辞泉 「石仏」の意味・読み・例文・類語

せき‐ぶつ【石仏】

石で作った仏像。または磨崖仏まがいぶつなど、岩肌に刻まれた仏像。
[類語]持仏仏像本尊金仏木仏

いし‐ぼとけ【石仏】

石でつくった仏像。せきぶつ。
感情を動かさない人。また、非常に口数の少ない人。「木仏きぶつ金仏かなぶつ石仏

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石仏」の意味・わかりやすい解説

石仏
せきぶつ

石に彫刻した仏像の総称。独立した石塊を彫り上げた石仏、岩壁に刻まれた磨崖(まがい)仏(摩崖仏)、石窟(せっくつ)内の壁面に彫られた石窟仏の3種がある。また彫出しの状態から、線刻、薄肉(うすにく)彫り(レリーフ)、光背をも一石から彫り出したりする浮彫り(半肉彫りや側面まで露出した高肉彫り)、背面まで彫り上げた丸彫りなどに分けられる。

 石仏は東洋各地に遺例があり、インドでは仏教彫刻の始まった紀元前後からつくられている。西北インド(現在のパキスタン)のガンダーラ地方では青黒い片岩(へんがん)を用いてギリシア・ローマ彫刻の流れをくむ石仏がつくられ、中央インドのマトゥラでは赤色砂岩(マトゥラ石)で古代インド彫刻の伝統を継いだ石仏が5世紀ごろまで続いた。また2~4世紀の南インドのアマラバティでは、大理石造の躍動的な独立像が多くつくられた。アフガニスタンには、5世紀ごろの制作になるバーミアン石窟の像高55メートルと38メートルの大石仏があったが、2001年タリバン政権によって2体とも破壊され、失われた。中央アジアでは良質の石がないためもあって石仏はほとんどないが、東南アジアでは7~11世紀のグプタ様式の石仏や、8~9世紀のジャワのボロブドゥール遺跡の石仏が著名である。

[佐藤昭夫]

中国・朝鮮

中国では彫刻に適した砂岩や大理石などの石材にも恵まれ、仏教伝来以来、石窟寺院内に大規模な石仏群が多数つくられた。なかでも北魏(ほくぎ)の都であった大同の近くの雲崗(うんこう)石窟のうち、もっとも古い(460ごろ)曇曜(どんよう)五窟の像はバーミアンに次ぐ巨像で、その表現にインドや中央アジアの影響がみられる。雲崗では494年の北魏の洛陽(らくよう)遷都までの間に、大きなものだけで数十に及ぶ石窟が造営されたが、以後唐代までに洛陽に近い竜門をはじめ、麦積山(ばくせきざん)、響堂山、天竜山などに次々と大石窟が開かれた。7世紀なかばの唐の高宗の建造になる竜門石窟奉先寺洞(ほうせんじどう)の盧遮那(るしゃな)仏は、唐代最大の像である。独立した石仏では河北の白玉(白大理石)、西安(せいあん)付近の黄華石(黄緑色の石灰岩)の像などがあるが、これらは都市などの平地に建てられた木造寺院の像として用いられている。

 朝鮮では花崗(かこう)岩にも恵まれて各時代に磨崖仏や独立石仏がつくられたが、百済(くだら)の遺品として忠清南道瑞山市雲山面の磨崖仏、新羅(しらぎ)の遺品として慶州南山長倉谷の菩薩(ぼさつ)立像(ともに7世紀前半ごろ)、石室構造をもつ慶州石窟庵(あん)の諸像(8世紀なかば)が著名である。

[佐藤昭夫]

日本

石仏ではないが古代信仰に基づくものと考えられる亀石、二面石、石神、須弥山(しゅみせん)石、猿石、さらに奈良県高取町光永寺の人頭石などの怪異な石造遺物が飛鳥(あすか)地方を中心にみられるが、石仏としては、その制作に適した石材が乏しいせいもあって作例は少ない。日本の石仏最古の遺品とされる奈良石位(いしい)寺の三尊像(7世紀)は、一石の半面を用い、方座に倚座(いざ)した中尊と立像の両脇侍(わきじ)を彫り出した表情の愛らしい像である。兵庫県の古法華(こぼっけ)三尊も7世紀ごろの作とみられる半肉彫りの石仏だが、古代の石仏の多くは凝灰岩でつくられたため、石肌には独特の美しさがあるが耐久性に欠け損傷もひどい。奈良時代に東大寺の開山良弁(ろうべん)によってつくられたとされる奈良頭塔(ずとう)石仏群は、いかにも奈良時代風の豊麗さをもつ浮彫りで、階段ピラミッド形の墳丘の周りに花崗岩の一石彫りの像をいくつも配置している。またこのころには石製層塔の基部に石仏を彫り出したものや、岩窟内の壁面に浮彫りした例もある。

 平安前期の遺品としては奈良地獄谷の線彫りの像や滋賀県狛坂(こまさか)廃寺石仏があり、とくに狛坂磨崖仏は新羅との密接な関係が指摘されている。平安後期には北九州をはじめ各地で磨崖仏が制作された。阿蘇(あそ)山の溶岩を利用した大分・熊本地方は日本最大の宝庫であるが、大分県の臼杵(うすき)石仏はとくに著名で、中心になるホキ石仏の阿弥陀(あみだ)三尊は凝灰岩から丸彫りに近く彫り出された堂々たる体躯(たいく)の磨崖仏である。富山県日石寺(にっせきじ)の不動明王坐像は高さ3メートルに及ぶ薄肉彫りの像で、立山信仰との関係も考えられるが、大岩(おおいわ)不動として今日も尊崇されている。栃木県大谷寺(おおやじ)の石仏群(大谷磨崖仏)は凝灰岩(大谷石)に浮彫りし漆食(しっくい)(塑土(そど))で表面をつくった珍しいもので、なかでも4メートルの千手観音は壮観である。福島県大悲山(だいひざん)の石仏群(泉沢石仏)も摩損が著しいが注目される。

 鎌倉時代には仏教が一般民衆のなかに深く溶け込んだ結果、ほかの材料よりも費用的に負担のかからない石仏の造立は急激に盛んになる。前代に引き続いて凝灰岩製の磨崖仏もつくられたが、規模も小形化して作品の質も劣ったものになったのに比し、技術的には向上して花崗岩や安山岩などの硬い石材が用いられるようになった。神奈川県の箱根石仏は安山岩系統の代表作の一つである。群馬県不動堂の不動明王像は建長(けんちょう)3年(1251)の銘をもつ丸彫り像であるが、上下の半身が別材からなる特異な造法をとっている。鎌倉浄光寺の正和(しょうわ)2年(1313)在銘の地蔵像も、鎌倉時代まではほとんどみられなかった丸彫り像である点が注目される。京都府の当尾(とうのお)石仏群、神奈川県九品(くほん)寺の浮彫り像なども、この時代の石仏として著名である。以後、石仏は花崗岩、安山岩、凝灰岩、砂岩など種々の石材を使って全国的に広がっていくが、室町時代以降は庶民信仰に基づく像が多作されながら形式化が進み、美術的に目だったものはない。江戸時代には五百羅漢の群像や、民間信仰的な地蔵、青面(しょうめん)金剛(あるいは庚申(こうしん)像)、馬頭観音像などが多数つくられている。

[佐藤昭夫]

『久野健著『ブック・オブ・ブックス日本の美術36 石仏』(1975・小学館)』『日本石仏協会編『続日本石仏図典』(1995・国書刊行会)』『日本石仏協会編『石仏巡り入門――見方・愉しみ方』(1997・大法輪閣)』『日本石仏協会編『石仏の楽しみ方』(1999・晶文社出版)』『石井進・水藤真監修『石仏と石塔』(2001・山川出版社)』


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百科事典マイペディア 「石仏」の意味・わかりやすい解説

石仏【せきぶつ】

石造の仏像。岩壁に刻まれたものが多い。2世紀ごろガンダーラ地方に始まり,マトゥラーをはじめインド各地で作られた。仏教の伝播とともにアフガニスタン,東南アジア,西域,中国へと広まり,アフガニスタンのバーミヤーン大石仏(2001年夏タリバーンによって爆破された),ジャワのボロブドゥール,中国の雲岡(うんこう)石窟竜門石窟などが今日に残る。日本では,彫刻材料としての良質の岩山に恵まれず,あまり発展しなかったが,奈良県石位寺の石仏,頭塔(ずとう)の石仏,兵庫県北条町の石仏,大分県の臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ),栃木県大谷の石仏などが刻された。→磨崖仏
→関連項目大谷磨崖仏

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石仏」の意味・わかりやすい解説

石仏
せきぶつ

石造の仏像彫刻。材質上の用語で,金銅仏,木像,乾漆像,塑像に対する語。石造の仏像彫刻はインドのガンダーラ地方で初めて丸彫と浮彫が造られ,やがて中部インド,アフガニスタン,中央アジア,中国で制作された。中国では独尊像としてよりも石窟内に刻出する像が大部分で,天竜山石窟雲崗石窟などが著名である。日本では良質の石材に恵まれなかったためか遺品は少い。奈良時代の奈良市高畑の頭塔 (ずとう) ,平安時代の大分県臼杵の石仏群 (→磨崖仏 ) が有名。平安時代以後は各地で石仏が彫られ遺像も多数現存する。

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世界大百科事典 第2版 「石仏」の意味・わかりやすい解説

せきぶつ【石仏】

石造の仏像。彫刻される石の形状から,移動できる独立した石材に彫られた石仏,露出した岩層面に彫られた磨崖仏,岩層に窟をうがってその中に彫られた石窟仏の3種に大別される。彫出の状態からは,線刻,薄肉彫(レリーフ),半肉彫,高肉彫(側面をほとんど彫出したもの),丸彫に分けられる。石は彫刻用材として最も普遍的なものの一つであり,インド以来仏教の伝播にしたがって各地で盛んに製作された。
[インド]
 紀元前2~前1世紀ころからヤクシー,ヤクシャの丸彫石像やストゥーパの石製欄楯の浮彫などが作られていたが,クシャーナ朝の2世紀ころにガンダーラとマトゥラーで仏像の造顕が始まり,石仏の製作が始まった。

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世界大百科事典内の石仏の言及

【高麗美術】より

…金銅仏にはモニュメンタルな作例がなく,ソウル澗松美術館の金銅三尊仏龕,霊塔寺の金銅三尊仏座像,長谷寺の金銅薬師如来座像,禅雲寺の金銅地蔵菩薩座像などが注目され,また,天暦3年(1330)銘の納入品をもつ日本の長崎県豊玉町観音寺の銅造観音菩薩座像や,至順2年(1331)銘の納入品をもつ韓国国立中央博物館の銅造観音菩薩立像など制作時期が明確なものもあるが,いずれも高麗時代末期の作品である。石仏は,法住寺の如来形倚像,安東泥川洞の阿弥陀如来像,大興寺北弥勒庵の如来形座像,北漢山旧基里の如来形座像などの磨崖仏,あるいは開泰寺址の如来三尊像,万福寺址の如来形立像,灌燭寺の菩薩形立像などの丸彫像などがあるが,いずれも様式的に類型的表現となっている。
[工芸]
 まず1123年に徽宗の使として高麗を訪れた宋の徐競の《宣和奉使高麗図経》で評価された螺鈿(らでん)が注目できる。…

【新羅】より

… これらの諸寺に安置されていた仏教彫刻には,記録によれば塑造や金銅造があったと知られるものの,現存作例は石造と金銅造が多い。石仏としては,6世紀後期の制作といわれる慶州西岳洞松花山麓から移した国立慶州博物館の半跏像,634年ごろの制作と考えられる芬皇寺石塔(模塼塔)仁王像,7世紀初期の拝里三尊像や644年ごろの制作と推定される三花嶺三尊像などが優品として注目される。いずれも白味の強い良質な花コウ岩を用材として,やわらかい造形感覚を示し,中国,隋代や唐代初期の仏教彫刻の影響をうけたものと考えられる。…

【磨崖仏】より

…露出した岩層面に彫刻(浮彫,線刻)された石仏。独立した石材に彫刻された石仏に対していい,また石窟をうがってその中に彫刻されたものを石窟仏と呼び,これと区別することがある。…

※「石仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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